◇◆逆縁・・・わが子を失う哀しみ
幼い子が殺される事件ほど辛いものはない。

怖かったでしょうに、苦しかったでしょうに・・・
どんな言葉を書き連ねても、ただただ空しく、やりきれない。

同時に、わが子を失った親の哀しみ。
こんなにもむごい形でわが子を失うとは、
親御さんにとっては生き地獄だ。
この世の不幸で、もっとも哀しいことは逆縁だと思う。

シャボン玉の歌が苦手だ。
幼子を亡くした野口雨情の哀感が偲ばれて、
つらくなってしまう。

雨情は、シャボン玉の歌を、
「弾むような、楽しい歌に作って欲しい」
と言って、中山晋平に作曲を依頼したという。

「うまれてすぐに こわれてきえた」わが子の姿を、
弾むように楽しく歌う子供たちにだぶらせたかった・・・
わたしにはそんな気がしてならない。

だめだ。
ここまで書いてきて、もう、鼻の奥がツーンとなってしまった。

伯母のところの次男坊、
俊郎さんが亡くなったのは、わたしが小学5年のときだった。
オートバイの事故だった。
俊郎兄さんは機械をいじるのが好きで、
大学には進まず、修理工となった。
そのことでは父親と大いに揉めた。

俊郎兄さんがオートバイ事故で即死の知らせを受けたとき、
わたしは、畳をかきむしってオイオイ泣いた。
人の死はこんなに哀しいものかと。
俊郎兄さんには思い出がいっぱいあった。
夏になると、キャンプに連れていってくれたし、
自転車の乗り方も教えてくれた。

伯母は・・・
「俊郎、俊郎・・・どうして返事してくれないの、どうして」
と、亡き骸に話しかけていた。
そして、その夜、
伯母は俊郎兄さんに添い寝して一晩すごした、という。

俊郎兄さんが伯母の実子でなかったことを知ったのは、
それから何年も経ってからだった。
伯父さんがよその女の人に産ませた子を、
赤ん坊のうちに引き取って伯母が育てたのだという。

ちっとも知らなかった。

俊郎さんは、お兄さんの逸郎さんともよく似ていたし、
たぶん、本人も知らなかったんじゃないかと思う。

月命日になると伯母は、
「俊郎が好きだったから」
と、いつもお赤飯を炊いて仏前に供えていた。
うちにもよく届けてくれた。

夫が外の女性に子を宿したと知ったときは、
伯母もずいぶんと苦しんだことだろうに。
それでも、伯母にとっては大事なわが子だった。

 シャボン玉 きえた
 とばずに きえた
 うまれて すぐに
 こわれて きえた

 風 風 ふくな
 シャボン玉 とばそ

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by leilan | 2004-11-23 18:44
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バッカスの神さまに愛されたい
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