俳句  片足のなき鳩生きて寒の入
片足のなき鳩生きて寒の入

雪折れてなほ雪折れて真夜の庭

ふゆのさくら墓みな祖国向きにけり (移民一世のお墓は日本を向いている)


わたしの身近にいる日本女性の話。
彼女はまだ二十代だが、しっかりしたお嬢さんだ。

彼女は父親の転勤で4歳のときアメリカへ渡る。
そして小学4年までアメリカの公立の小学校で学んで、帰国。
ところが帰国子女の常で、日本の小学校に馴染めずインターへ転校。
同じような境遇の子が多かったので、インターは楽しかったという。

高校1年のとき、また父親がアメリカ赴任になり、
今度はサンフランシスコの私立高校に進学。
これがとても苦しかったそうだ。
彼女いわく、日本のインターというのは無国籍的で、
アメリカの学校とはまたちょっと違うらしい。
驚くことに彼女は、英語で苦労したという。

エッ! あなたが!
と、わたしは正直ビックリした。
だって、インターは英語でしょう、それでも苦労されたの。

インターの授業は英語でも、
通って来る生徒の日常会話は日本語が多いのだそう。
英語の日常会話は出来ても、語彙の量が全然ちがうのだとも。
そして、ディベートでコンビンスする力が弱いんだそうだ。
この聡明な子でも・・・と、しばし絶句した。

華僑の子弟が通うインターに日本の子供を入学させるのって、
あなたならどう思う、と訊いたら、
逆に、どうしてそんなことを親は考えるのかしら、と訊き返された。

ほんとにねぇ。
母語がしっかりしてないと、英語の論文なんか書けないよー。

高校の同級生で、同時通訳の仕事をしている女性がいる。
毎年6月にスイスのジュネーブでILOの総会が開催され、
彼女は毎年、通訳として参加しているが、
ある年、ILOに大変尽力のあったアメリカ人が亡くなり、
総会に先立って、追悼のスピーチが行われたという。
こういう通訳は通常二人一組で行われる。
一人が通訳し、もう一人はそれをチェックするのだが、
彼女の相方の帰国子女の女性がこれを通訳していたとき、

本来なら、
「惜しくもご逝去されまして、さぞや奥さまもお嘆きのことと」
と通訳すべきを、
「惜しくも去勢されまして、さぞや奥さまもお嘆きのことと」
と、言ってしまったそうだ。
あわてて、訂正のメモを渡したそうだが、
日本の代表団だけ下を向いて、クククと笑っていたそう。

帰国子女の同時通訳には、こうしたミスが多いのだという。
日本語に弱く、ことに敬語がダメなんだそうだ。
で、彼女が分析するには、
昔の帰国子女に、こんなミスは少なかったけど、
きっとそれは家族、ひいては日本人がかつては日常的に、
敬語や謙譲語を使っていたからだろうと。

こうした言葉も少しずつ消えていく運命にあるのかもしれない。

しかし、われわれの年代でこうした言葉がきちんと使えないと、
場所によっては、けっこう恥ずかしいのだが。
それに、親が使えないと、子供には伝わらないわけで。

こんなこと、言っても仕方ないのかなー。

少子化は止められるものではないし、
第一、結婚しない男女が増えたというが、
昔は、独りだと生きていくのに不便だった。
それで、なんとなく結婚した人も多かったことだろう。

しかし、帰国してコンビニエンス・ストアを覗くと、
独りのための食事が完備していて、
バナナが1本から買えたりするから、ちょっと驚く。
(幸田文の「流れる」に、確かこんな描写があったっけ

男性で家事が不得手の人でも、
あれだと、なんとか凌げてしまうのかも。
わたしなんか習性で、食事のあと洗い物をしないと、
なんとなく物足りないが、
お弁当箱ポイッも、慣れれば便利なのかもしれない。

しかし、コンビニのお弁当ばかりじゃ、
日本人も、アメリカ人を笑えなくなるだろう。
それに、瀬戸物や漆器でごはんは食べたい。

お料理はやりつければ楽しいですよー。
で、食べてくれる相手がいれば、もっと張り合いがある。

少子化の問題は、
やはり子供が一人だと、
わたしみたいな世話焼きおばさんは、
この世から、やがて消えていくということだろう。

わたしは、ほんと余計なことを次々する女で、
病気の人なんか見ると、放っておけなくて手を出してしまう。
日本人の中には、そんな、構うこと無いわよ、なんて言う人もいるが、
そんなこと言いなさんな、人情じゃないか、なんて啖呵きるわね。
ひとりで病気になるのは辛いものですもの。

このおせっかいは、わが家に流れる血でもあるが、
子供のときに弟の世話を焼いたせいもある。
弟が生まれなくて、一人っ子だったら、
こうはなっていない。

やっぱり世の中、すこーし人情は必要じゃないのかしら。
古いのかな。
個人主義のアメリカ人だって、
実は、近隣でみんな助け合っている。
うちのコンドでは、
パイを焼いたからって、お裾分けが届いたりもする。
パイ焼き名人のおじいちゃんがいるのだ。

新聞の宅配を頼んでいたおばあちゃんがいらして、
新聞はドアの前に置いていくのだが、これが二日たまったとき、
すぐお向かいの男性が心配して、
マネージャーと一緒に部屋に入ったら、
おばあちゃんはキッチンで転んで、一日半も立ち上がれずにいたという。
脱水症状を起していたので、ペットボトルのお水をたっぷり飲ませ、
それから救急車で運んだそうだ。
最近は、首から小さな携帯電話をいつもぶら下げておられる。

この辺の距離の取り方が、アメリカ人は上手だと思う。

また、アメリカにいると、よく日本のことについて質問を受けるのだ。

大仏の耳には何故孔があいているのか、
なんて質問してくるアメリカ人もいる。
日本人が仏教のことを知っているのは当然と思うのだろう。

ハワイ大学の社会人セミナーで、
俳句や芭蕉について勉強している人たちもいる。
われわれ日本人ならば、

  古池や蛙飛び込む水の音

と聞けば、ああ静かだなぁ・・・と思うが、
この静謐がアメリカ人にどこまで理解できているのかな、とも思う。
芭蕉はけっこう人気があって、質問を受けるものの一つである。

わたしが、多少ビクビクしながら参加するものに、
ホノルル美術館の会員パーティがある。
満月の夜に、中庭で胡弓を聴きながらカクテルなんか頂くのだが、
日本人はいつも2~3人しか参加していないので、
これが、おっかない!
この会には、日本の仏教美術に興味のあるアメリカ人が多いのだ。

日本人が宗教に関する知識がなさすぎるのは確かなことで、
これは海外に出ると、意外と問題になる。
ことに、宗教を問われて、無宗教だ、なんて答えると、
国によっては、コミュニストと間違えられることもあるから困る。

この会に、インド人の財閥で、古唐津なんかに興味のある女性がいて、
彼女から骨董関係の鋭い質問が飛んでくるので、
なるべく離れた場所にいるようにしているのだが(情けない、わたし)
でも、内心、彼女は古唐津が解っているのかな、
という疑念がないわけでもない。
あの良さは外国人に理解しがたいものの一つではなかろうか。

でも、ビクビクしながらでも出席するのは、
彼らがどんな美術に興味を示すかに関心があるせいもある。

たとえば、日本の竹細工をコレクションしたアメリカ人男性がいて、
それを展示して、みんなで彼の話を聞いたりするのだが、
こういうときの彼らを観察しているとすごく面白い。
細工の細かさなんかに注目するのは、やっぱり日本人だけである。

このパーティは美術愛好会なので、かなり特殊なのだが、
普通に暮らしていても、
歴史のことなどは聞かれる機会が多い。

で、答えられないとやっぱり恥ずかしいです。

そんなときは、日の丸背負っている気分なんですよね。
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by leilan | 2005-01-09 23:26
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