俳句  声あげて泣く若さ欲し寒昴
はればれと海ありにけり日脚伸ぶ

声あげて泣く若さ欲し寒昴

太郎次郎胸につららの鳴つてをり


歌舞伎座二月公演夜の部の演目に、
森鴎外原作の<ぢいさんばあさん>を見つけた。
筋に曲折のないサラリとした短編だが、
宇野信夫がこれを脚色し、
わたしは、先代仁左衛門の伊織、
先代鴈治郎のるんで観たことがある。
鴎外の原作と同様、凛とした気品のある舞台だった。

るんは安房国の由緒ある家の娘で、
十四のとき江戸へ出て、
さる大名屋敷に十四年奉公した。

御殿から下がったときは二十九歳、
当時の常識ではとうに婚期を逃していたが、
彼女はなるべく御旗本の中で相応の家へ嫁に行きたいと言った。
世話する者があって、
旗本、美濃部伊織と結婚した。
伊織は三十歳だった。

るんは必ずしも美貌ではなかったが、
単に綺麗なだけの女にはない美しさがある。
大柄だから押し出しがいい(無重力さん好み)
目から鼻へ抜けるように賢く、
眉や目の間にその才気が溢れている。
ぼんやりと手を明けているということのない女で、
つまり働き者であった。

仲人が立ってアレンジしたハイミスOLとサラリーマンの結婚というわけだ。
現代の娘はそんな他人の仕組んだ結婚はヤダ、
まず恋愛して、できれば婚前交渉もして、
相手を知ってから結婚したいと願うだろう。

だが、自分は自由だと信じ込んでいる現代人も、
その実は知らず知らずのうちにマスコミに操られたりして、
自惚れるほど決して自由ではない。

むしろ、るんの方が現代女性よりも能動的である。
自由である。
結婚したいと自分から言い出し、
当時の常識に則って相手を発見したのだから。

彼女の結婚は成功だった。
鴎外はその成功のさまを、ごく簡潔に書いている。

  るんはひどく夫を好いて、手に据えるように大切にした。

  伊織は好い女房を持ったと思って満足した。

鴎外は、<ひどく夫を好く妻>と<妻に満足した夫>のカップルを、
夫婦として最高のものと観じていたらしい。
わたしもまた、結婚の幸福は煎じ詰めればそこにあると思っている。

るんは、夫の老いた祖母にもよく仕えた。
少し気の短かった伊織は、
やさしい妻を得て癇癪が出ないようになった。

女は決して完成してしまった男と結婚するわけではないのだ。
夫は概して欠点の多い青年だが、
若いがゆえにフレキシブルであり、妻によって育つ。
妻は子を生んで育てるだけでなく、夫をも育てる。
 
女とは<育む(はぐくむ)性>である。

二人は新婚生活を仲良く過ごした。
るんは妊娠した。
ところが、ちょうどるんの臨月に異変が起きた。

伊織に京都検番の命令が出たのである。
サムライのことだから、むろん単身赴任だった。
そして赴任先の京都で事件があった。

寺町通りの刀屋でいい差料を見つけたが、金が足りない。
そこで伊織は同僚の下島某から三十両を借りて買った。
親しい友を二、三人呼んでささやかな宴を催し、
手に入れた刀を見せたが、
そこに下島某が乗り込んで来て、
「俺から金を借りておきながら招かないとは何事か」
と嫌味を言った。
瞬間、伊織は癇癪を起し、下島を斬った。

斬られた方にも咎があったとはいえ刃傷である。
伊織は知行召し上げの上、
越前の某大名家に、永の御預けとなった。
今日の無期懲役ないし不定期刑に当たる。
夫婦は、生きて再び会えないことになった。

るんが嘆き悲しんだ様子を、鴎外は書いていない。
鴎外の好みで書かなかったのではなく、
当時の妻は夫との永別を、
他人の前で嘆き悲しまなかったからだろうと思う。

昔の日本女性は運命に素直だった。
男もそうだった。
それは運命への卑屈な忍従ではない。
昔も今も、人は運命に逆らうことはできないのだ。
運命に逆らって叫び、足掻き、
これは人災だと言い張るのは、
賢い人のすることではない。
英語の諺にも、こぼしたミルクを嘆くな、と言う。

江戸の美濃部家では祖母がまもなく死に、
次いで父の顔を知らず生まれた嫡男が天然痘で死んだ。
るんは一人になった。
それでも、彼女は生きていくための強い意志を失わなかった。

奉公口をさがして、
るんは黒田家の屋敷に目見えに行った。
運命を甘受する素直さと、
生きていく強い意志が眉宇に漲っていたからだろう。
黒田家は一目見て彼女を雇った。
るんは以後三十一年、同家に仕えた。

夫婦が生き別れてから三十七年目に、
伊織は許されて江戸に戻った。

伊織もるんも総白髪になって、お互いのことが判らない。
しかし、夫が鼻をこすったその癖、その仕草で、
るんは、その人が伊織であるこに気づく。

二人は新婚のときのように仲睦まじく、
伊織の弟が建ててくれた隠居所で暮らした。

運命に素直なことは、
決して漫然と流されることではない。
それは強い覚悟と表裏一体になっていなければならない。
るんの謙虚と毅然の間から、香り高い気品が立ち昇る。

わたしには、とてもるんの賢さはないが、
るんから学ぶことは多い。
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by leilan | 2005-01-21 19:18
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