俳句  付かぬこと伺ひますと冬帽子
神なくて祈る姿のうつくしき

付かぬこと伺ひますと冬帽子

惜しみなく冬の金魚やフラダンス


アメリカ人の意識というのは、
ものごとを区別することから始まる。

ゆえに、神話を見れば天と地が分かれたとか、
光と闇が分かれたとか、
何もかも一つのことが二つに分かれていくという展開になっている。

区別することが意識の始まりで、
区別することを徹底的に洗練させていくことによって、
アメリカの文化はできている。

その背後にあるものは、
神と人間は違う、
人間とほかの被創造物は違うという非常に明確な区別である。

そして、人間同士にも区別があるわけで、
つまりは、英語の一人称には「アイ」しかない。
これは、わたしとわたし以外の他を区別する存在の単位なのだ。

ところが、日本は関係が優先するので、
「わたし」「おれ」「ぼく」「わし」「おいら」など、
お互いの関係性によって一人称を使い分ける。

アメリカ社会に暮らすようになって、
実は、これがいちばんのカルチュア・ショックだった。

アメリカ人が「I want」なんて言うときは、
まさに自分が欲しいものを言っているわけだが、
わたしなど、そんなふうに育てられていないので、
すぐ周りの空気を読んでの「I want」なのだ。

つまり、それまでのわたしは、
区別しないことを鍛錬して来たわけで、
仏教文化とは、アメリカ文化のまったく逆だと思う。

たとうれば、
親しき仲であれば何もしゃべらなくても、
「うん、わかるわよ」
というところがあって、
それが、女の気働きというものだと、
祖母や母から薫陶を受けて来たのだ。

アメリカ人が区別の意識を鍛錬して育つのとは逆の、
区別しない方の鍛錬を積み上げて来たわけだから、
最初は、慣れなくて本当に参った。

アメリカ人に対しては、どんな親しい仲でも、
「こうして欲しい。ああして欲しい」
と、意思表示をしなければ何もはじまらない。

そして、仏教の考え方を単純明快に一言で申すなら、
区別のない方に鍛錬して、
ものごとの境目がどんどん無くなっていって、
結局はすべてが一緒になる。
自分は宇宙と一体だとか、
宇宙は一つだとか、
そちらの方の体系を構築して来たのが仏教の考え方だ。

ま、だいたい、いつもアメリカ人にそんな説明をしているのだが、
「なるほど、日本はそうなのか」
と、アメリカ人も一応は頷いてくれる。

で、気がつけば、
わたしもアメリカ的区別文化に慣れて来て、
「強いですね」
なんて日本人の方たちから言われるのだが、

大和撫子のやさしさは失っていない。

つもりだ。



が。
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by leilan | 2005-01-23 23:54
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バッカスの神さまに愛されたい
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