俳句  朝寝して海シャガールの碧となる
ふらここの真下にありぬ水溜り   (ふらここ=ぶらんこ)

朝寝して海シャガールの碧となる

蛇衣を脱ひでをんなになる夜か


先日、tamagoさんからいただいた<早春賦>のコメントで、
にわかに思い出したのが<知床旅情>の盗作論議だった。

知床旅情が流行しはじめたころ、
この歌いだしのモティーフが早春賦にそっくりなために、
盗作云々の論議が起こった。
なるほど、歌いだしがそっくりである。

昭和35年の春、
北海道知床に大掛かりな映画のロケーション隊が、
二年にわたった滞在を終えようとしていた。

東宝映画<地の涯に生きるもの>のロケ隊で、
監督久松静児、主演ならびにプロデュース森繁久弥。
この映画は、戸川幸夫の原作<オホーツク老人>の映画化であった。

長かったロケーションを終わった最後の夜、
主演の森繁久弥を中心に、
ロケ隊はこの地に別れの宴を張った。

雪と氷の長く苦しかったロケの思い出も彩って、
いま、氷の去った知床に咲き乱れるはまなすの紅の花は、
それぞれのスタッフに感慨を与えていた。
このひとりにわたしの一族の者もいた。

多才な森繁久弥は即興で一曲の歌を披露した。
それがこの<知床旅情>である。

映画の中にこの歌は現れなかったが、
映画が人々の記憶から消えても、
この歌はそれからそれへと日本中にひろがり、
人々に愛され、残った。
わたしの祖父の愛唱歌でもあった。

心から湧き出した自然のメロディー、
そしてその当時は未だ耳新しかった<しれとこ>の歌い出し。
この歌は、その後に続いたディスカヴァー・ジャパンの波に乗って、
知床半島を大いにポピュラーにした。

盗作云々を聞いてもっとも驚いたのは森繁久弥であった。
なぜなら、彼はのびのびと自分のふしを歌ったのであり、
盗むなどという料簡とは真反対の、
素直な心でこの歌を作ったからである。
彼にとっては、盗んでまで作曲する必要はさらさら無いのである。

考えるまでもなく、
この両歌に共通な歌い出しは、
それぞれ主和音の分散形である。
ソドミソドというこの分散和音が盗作であることになれば、
ベートーベンのピアノ協奏曲第五番<皇帝>の終楽章の第一主題も、
リズムが変わっただけの盗作になってしまう。

分散和音というものは、音階と同じく現象なのだ。
丁度、文章を書いていて、
<あれはいつのことだったろうか>という書き出しが、
どこかにあるからといって、
そういう書き出しの文章がみな盗作とならぬように、
創造と思考現象は区別されねばならないのである。

<早春賦>が季節のリリシズムに満ちているに対し、
<知床旅情>はおとなのリリシズムに満ちて魅力的である。


    知床旅情  森繁久弥 作詞・作曲

  知床の岬に はまなすの咲くころ
  思い出しておくれ 俺たちのことを
  飲んで騒いで 丘にのぼれば
  はるかクナシリに 白夜は明ける

  旅の情けか 酔うほどにさまよい
  浜に出てみれば 月は照る波の上
  今宵こそ 君を抱きしめんと
  岩かげに寄れば ピリカが笑う

  別れの日は来た ラウスの村にも
  君は出てゆく 峠をこえて
  忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
  私を泣かすな 白いかもめよ 白いかもめよ


    早春賦  吉丸一昌作詞・中田章作曲

  春は名のみの風の寒さや
  谷の鶯 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

  氷解け去り葦は角ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空
  今日もきのうも 雪の空

  春と聞かねば知らでありしを
  聞けば急かるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か
  いかにせよとの この頃か


きょう、アメリカは<スーパーボウル>に湧いていて、
ポール・マッカートニーがステージに立った。
で、いまハーフタイムショーで、
<ヘイ・ジュード>を歌っておる。
ポール、老いたりとはいえ、やっぱり華があるねぇ。
凄いステージになっているよ。
なんか、アメリカ中が盛り上がっている感じだ。
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by leilan | 2005-02-07 12:07
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