寺山修司を聴くとノスタルジアが込みあげてくるのだ
                
        
          少年に母の膝あり寺山忌  麗蘭





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寺山修司 1935年12月10日、青森県弘前市に生まれる、中学1年から小説、短歌発表、早稲田在学中「チェホフ祭」で新人賞。1967年劇団「天井桟敷」結成後マルチに活動し、
1983年5月4日死去(47歳)。

 ーCD『寺山修司 作詞+作詩集』 より抜粋ー


  
真珠

 もしも
 あたしがおとなになって
 けっこんして こどもをうむようになったら
 お月さまをみて
 ひとりでなみだをながすことも
 なくなるだろう
 と
 さかなの女の子はおもいました

 だからこの大切ななみだを
 海のみずとまじりあわないように
 だいじにとっておきたい
 と
 貝のなかにしまいました
 
 そしてさかなの女の子はおとなになって
 そのことを忘れてしまいました
 でも
 真珠はいつまでも
 貝のなかで
 女の子がむかえにきてくれるのを
 まっていたのです
 
 さかなの女の子
 それは
 だあれ?


  
さよならだけが人生ならば

 さよならだけが
 人生ならば
  また来る春は何だろう
  はるかなはるかな地の果てに
  咲いてる野の百合何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
  めぐりあう日は何だろう
  やさしいやさしい夕焼けと
  ふたりの愛は何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
  建てたわが家は何だろう
  さみしいさみしい平原に
  ともす灯りは何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
 人生なんか いりません


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何か大切なものを忘れてきたように思うのですが、
もう何を忘れたのか思い出せそうもありません。

だけど私が忘れたものを、
取りにくることを待っている真珠がいるような気がして、
少しはホッとするのですが、
忘れものを取りにいくことさえしないのではと恐れます。

さかなの女の子は、
実は私なのです。

忘れたものは、何だったのでしょうか? 

さよならだけでない人生かも知れません。
でもこの答えはとてもむつかしくて、
私のあたまで考えても思いつきません。

私はほんとうに何を忘れてきたのでしょうか? 
それを思い出すためにさよならするのでしょうか。
女が死ぬときに手向けるただ一語の餞別のことばを、
誰か教えてください。
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by leilan | 2005-05-05 08:23 | 書棚
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