『俳句』  はつ夏や岬の児らの丸きひざ
七つの子


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            はつ夏や岬の児らの丸きひざ  麗蘭




b0048657_7194292.jpg瀬戸内海の小豆島。
その岬の分教場に新任の先生が来ることになった。

大石先生(高峰秀子)は洋服を着て、自転車に乗り、颯爽と村を走る。8キロばかり離れた実家から自転車で通うのだった。

昭和3年当時、自転車も洋服もまだ珍しく、大石先生は人目を引いた。

先生の受け持ちは、小学校1年生の12人の子供たちだ。
点呼を取りながら大石先生は一人一人の顔と名前を覚えていく。
皆、まだあどけない顔をしている。

大石先生と子供たちは歌を歌い、汽車ゴッコをして野原を飛び回る。
子供たちは先生にすっかりなついていった。

9月のある日。
嵐が吹き荒れた後を片付けていた子供たちのところへ大石先生がやって来た。
他愛無い話で皆で笑っていると、
よろずやの女将さん(清川虹子)が血相変えて怒鳴った。

「人の不幸がそんなに可笑しいんか、うちの人が屋根から落ちても可笑しいんやろ!」
大石先生は何も言えず黙った。
「先生、失敗の巻き」
先生と子供たちは砂浜へ行った。

砂浜で子供たちと戯れていた大石先生が、上級生のいたずらで、
砂浜に掘られた穴に足をとられ動けなくなってしまった。
子供たちが泣きながら男先生(笠智衆)を呼びに行く。
大石先生が荷車に乗せられ病院に運ばれた。そして入院。

大石先生がいないので、男先生が代わりに授業をした。
男先生は無骨もので味気ない。
歌を歌おうにも調子が合わないのだ。
「男先生の授業はホンスカン!(ホンマに好かん、大嫌い)」

b0048657_7351897.jpg大石先生のいない学校はつまらない。
「お見舞いに行こう」
子供たちの意見がまとまった。
遠い道のりをとぼとぼ歩く子供たち。
その頃、親達が子供がいないので
捜しはじめる。
「どこへいったんでしょうか?」

やがて泣き出す子供たち。
そこへ、バスが通りかかった。
「あ、先生だ!」 
気付いた大石先生が松葉杖を付いて降りてきた。

「皆、どうしたん」 
「先生の顔が見たかったんや」
大石先生を取り巻き泣き出す子供たち。
大石先生も泣いた。

その後、大石先生の家で子供たちは大いにもてなされ、
記念写真を撮る。
それが、上掲の一葉だった。

昭和39年、東京オリンピックの年。
私は小学校2年生だった。
担任が校内一の美人先生だったのがちょっぴり自慢でもあり、
私たちは皆、やさしい影山美智子先生が大好きだった。

その先生が産休に入られたとき、
私たちは先生に逢いたい一心で、
親たちの承諾も得ぬまま、先生のお宅に突然お邪魔したことがあった。

実は、影山先生は私の母と親戚だった。
そのことは誰にも言ってはいけないと、
母から、固く口止めされていたのだが、
「わたし、先生のおうち、知ってる」
と、つい言ってしまったのだ。

電車賃など持っているはずもなく、
男女9人の生徒が片道2時間ほど歩いた。
交番のおまわりさんに呼び止められることもなく、
今から思えば、実にのどかな時代であった。

先生はひとり娘だったのでお婿さんを貰われて、
ご両親と一緒に住んでおられた。
この父親に当たる人が、母といとこだった。
教え子たちのちん入に、
先生も先生のお母さんも大変驚かれたご様子だったが、
先生がすぐうちの母に電話して、
母が同行生徒の家に連絡する羽目となった。

われわれは、後で大目玉を食らうのだが、
この時の道行のことは生涯忘れられない。
先生のお母さんがみんなに取ってくださった支那そばの味とともに。

そして、まるで二十四の瞳のように、
赤ちゃんを抱いた先生を十八の瞳が囲んで、
庭先で撮った写真は今も私の宝物である。

このとき生まれた笙子ちゃんが40歳だという。
あれから40年もの歳月が流れたと思うと感慨深い。

「もはや戦後ではない」
と経済白書に謳われた年に生まれた私たちが、
マツエちゃんのように小学校を中途退学してうどんやに奉公したり、
磯吉くんのように戦争で失明して、
記念写真を手にとり、
「私には、この写真、良く見えるのです。これが、大石先生、
これが、・・・・」
となぞるようなことはなかった。

b0048657_73641100.jpg主役の高峰秀子が圧倒的に名演だった。
その慈愛のこもった表情と演技は彼女の人間性の発露であろう。

現地の子供たちの中から選ばれたという児童役の12人も秀逸だ。
素直で素朴、眼が輝いて、まさに、二十四の瞳である。

小豆島の素晴らしい自然や人々の様子があまつなく描かれ、
今では見られない貴重な民族資料館的な映画でもある。


また、映画の中で、子供たちが歌う唱歌の数々も郷愁を誘う。
「仰げば尊し」「七つの子」「故郷」「冬の星座」「浜辺の歌」「埴生の宿」
「おぼろ月夜」「庭の千草」「蛍の光」などが効果的に挿入されていた。

この年(昭和29年)の映画界は大作揃いで、
本作の他にも、黒澤の「七人の侍」、溝口の「近松物語」「山椒太夫」、
それに、本田猪四郎の「ゴジラ」が加わる。

その中で、かの「七人の侍」をおさえ、
「二十四の瞳」は見事、キネマ旬報ベストワンに輝いた。

ちなみに、この年の外国映画はマルセル・カルネの「嘆きのテレーズ」、
クルーゾーの「恐怖の報酬」、レナード・カステラーニの
「ロミオとジュリエット」、エリア・カザンの「波止場」、
ワイラーの「ローマの休日」と、まったくため息である。

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by leilan | 2005-05-15 07:40 | 俳句
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