一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

「雑念系ブログ」の六尺さんこと heavier-than-air さんのエントリ
『山崎方代の歌』を拝読。



  はぎしりしてかなしきを打つ靴を打つときのまもあり広中淳子



b0048657_20195461.jpg山崎方代(Yamazaki houdai)

知る人ぞ知る昭和の放浪歌人。
山頭火、放哉につながる伝説の人
一生妻帯せず、無職、居候、童貞を通した。

金に困れば親しい寺へ行き、住職から金を受ける。住職は「御布施」と言った。短歌結社ともほとんど無縁だった方代は、歌は「作る」ものではなく「詠む」ものでもない、「出る」ものだと言い、酔うほどに酒場の天井に向かって「寂しいから歌が書けるのだ!」と、生まれ故郷の甲州弁でわめきちらした。しかし、その人柄は多くの隣人たちに愛された。



  声をあげて泣いてみたいね夕顔の白い白い花が咲いている



b0048657_21491384.jpg大正3年、山梨県東八代郡右左口村の貧農に生まれる。
八人兄弟姉妹の末っ子。
方代は本名。「生き放題、死に放題」の謂とか。

昭和16年、27歳で召集。
翌年、チモール島クーパンの戦闘で砲弾の破片を浴びて右眼失明。
左眼視力0.01となる。

21年5月、病院船で帰還。年末に退院。

「兵隊にとられ、戦争に引っぱっていかれた7年間のあいだ、
私は、心の底から笑ったことは、ただの一度もなかった。
……何のために、人殺しの訓練をして、人を殺さねばならんのか、
まるっきりわからない。
まさに私にとって軍隊生活は地獄の苦しみだ」
(「あじさいの花」)


砲弾の破片のうずくこめかみに土瓶の尻をのせて冷せり


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退院後、街頭で靴の修理をする。
23年、歌誌「工人」創刊に参加。
尾形亀之助、高橋新吉、鈴木信太郎訳『ヴィヨン詩鈔』に出会い心酔する。
この頃より26年まで放浪生活。


  汚れたるヴィヨン詩集をふところに夜の浮浪の群に入りゆく


24年、この頃方代はいかにも方代らしい恋をする。
「工人」に和歌山から投稿してくる女性同人がいた。
広中淳子である。


  捨てられぬかというおびえにて嘘つきし唇人測りし我が頸重し 広中淳子

  星遠き深夜の窓に哀願と呪詛をいだきて歩みよりたり


若い娘の切ない恋心を綴った歌。
方代はこの歌の中の淳子に恋をする。
そのうち「工人」の仲間がまことしやかに告げるのだ。
淳子さんは評判の美人で、方代さんの歌の大フアンだって、と。

方代の胸の深くで淳子への想いが膨らむ。
こうしちゃいられない、とまれ会って胸の内を伝えよう、そうしなくっちゃ。

ある日、ふらりと方代は東海道を西下する。
旅費は横浜の歯科医に嫁いだ姉くまの財布からくすねた。
道中、歌仲間を訪ね歩きながら気持を固めよう。
山梨、静岡、名古屋、大阪、京都、奈良、行く先々で暖かいもてなしを受け、
餞別までいただく。
京都では加茂川の土手の真菰の中にもぐり込んで眠っている。


 加茂川のまこもがくれに眼をさまし今ん日さんにお辞儀一つ


こうしてようやく意中の人にまみえることになる。
淳子さんは19か20歳、結核で自宅療養している。

b0048657_21182640.jpg「はじめて会った淳子さんは、無造作に髪をたばね、
布団の上に座っていた。
結核ということは聞いていたが、そうやつれてはおらず、
白いうなじと黒いつぶらな瞳の清らかな娘である。
あまりの美しさに茫然として、
あいさつもできない私を見て淳子さんは吹き出した」
(「恋の使徒」)

このとき思わず口をついてでた。
「おしたい申しております」

すると美しい彼女は目を見張った。
「方代さん、おかしいわ。
だって、わたしと方代さんとお会いしたのは今日が初めてよ」

帰京した方代は姉の家に入り、歯科技工の見習いをする。
旅は終わったが、恋は終わっていない。
方代は叶わぬ想いを手紙に託す。
たとえば、ヴィヨンの詩で有名なエバイヤアルとエロイーズとの間に交わされた
「愛と修道の手紙」を写して、こんなふうに

「太陽一つ 月一つ ましてあなたに捧げる愛は一つ
風が吹いている 花が咲いている 雲が飛んでいる あなたのために
するどき歌を作る子は 小さな木槌をふりあげて 金の歯型を調べている 
あなたのために」

なんとも切なすぎる。
そして上に掲げた歌もそうだろう。
たのまれて靴の修理をする間も心にその面影があるとは。
しかし詮ないか。
いくら恋しても彼女の心を掴まえられない。

「病が癒えて、嫁いだことを六年のあとに知った。
やがて、子供の出来たこともつたわってきた。
ハガキにはすでに畑淳子と名前が変っていた」


  地上より消えゆくときも人間は暗き秘密を一つ持つべし

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30年、41歳で第一歌集『方代』を自費出版。
歌壇の反応はまったくなかったが、
これをきっかけに吉野秀雄(写真)を知り師事する。
吉野は彼の身を按じた。
そして今わの際、自分の妻子に、
山崎方代を頼んで死んでゆく。

40年、姉死去。
天涯孤独の身となり、アパートの留守番、
農作業の手伝いをして口を糊する。

47年、鶴岡八幡宮前にある鎌倉飯店の店主が、
鎌倉市手広の自宅に六畳一間の家を建て、
方代を迎える。
名付けて「方代艸庵」。                

これから死ぬまで方代はこの艸庵にひとり住まうのである。
49年、歌集『右左口』を刊行。
これによりようやくその歌が知られるようになる。


 こんなにも湯飲茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり


b0048657_21272670.jpg55年、第三歌集『こおろぎ』を刊行。
こんな歌がある。
どうしても忘れられない。
死んでも。
嗚呼、広中淳子……。


 一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております


60年、死去。享年71歳。
きっとその魂はそこで憩っているだろう。
いやいまもまだ恋の道を踏み迷っていたりするか。


 ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられてわがかえる村


この世に私有しているものなどなにひとつないという自由。
作り続けた歌にウラミ節はいっさいない。
口語短歌で分かりやすく、
ちょっとトボケた味がある。
読んでいると、ホッとする。
ニヤリと笑う。
そしてしみじみ人生を振り返りたくなる。


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by leilan | 2005-05-22 02:22 | とらば&とらば
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