『俳句』  削氷(けづりひ)に脳天撃たるわたくしよ

♪Vacation
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             削氷に脳天撃たるわたくしよ  麗蘭






醸しだす俳句
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俳句結社に属したこともなく、師系すら持たず、
おまえさんには俳句がわかっているのかい?
と問われれば、わかっているような、
わかっていないような・・・
私はそんな程度の者です。


あぁそれなのにそれなのに、ネェ(って、この歌、判ります?)
bowl さんtamago さん に、わが身も省みず、
俳句添削なんかしちゃっているのだ。嗚呼。

んなもんで、ついつい言葉足らずとなります。
先だってから、「余韻の輪が幾重にも広がる俳句」だとか、
「句は、醸しだすものがなければならない」だとか、
まあ抽象的なことばっかり言っておるのですが、
今日は、これをもう少し具体的な言葉で話してみます。
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俳句の季語には大きく分けると二通りある。

それは、人間の五感(視・聴・嗅・味・触)にストレートにはたらきかけるものと、そうでないものに分類される。


前者は、歳時記では天文(for example 青嵐・梅雨)、
地理(夏の川・青田)、生活(更衣・冷奴・水泳)、
動物(雨蛙・蛍)、植物(薔薇・バナナ)が当てはまるだろう。

たとえば、青嵐ならば、それは肌で感じることが出来るし、
青嵐によって青葉が強く揺れるさまを見ることも出来る。
薔薇ならば、その美しい姿に加えて、香りを嗅ぐことも出来る。

こうした、五感にストレートにはたらきかける季語を使うならば、
俳句の詠み方は二通りになろう。
つまり、季語そのものを詠む句と、
季語とは別の描写をどんと持ってくる句である。

例として、季語「薔薇」を二通りの方法で詠んでみると、

  ①薔薇崩るもっともつよき香を放ち (季語そのものを詠んだ句)

  ②薔薇嗅ぎて大人になるを急ぎすぎ (季語とは別の描写の句)

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①は、薔薇そのものを詠んだ写生句であるが、
「薔薇が崩れるとき最も強い香を放つ」という、
いかにもありそうな事実に見せかけて、
実は虚構というところに余韻が広がるのだ。


よく考えれば、薔薇が散るとき最も強く香るなんてことはない。
しかし、読む側を「そうかも知れない」と思わせてしまう、
一種のだまし絵のような魅力がある。
加えて、セクシーなムードもそこはかとなく醸しだされている。
これは「薔薇」という季語の持つ強みでもある。

②は、「大人になるを急ぎすぎ」という別な描写をどんと持って来ている。
まだあどけなさの残る少女が、薔薇に顔を近づけている。
匂いを嗅いでいる眼差しが、ちょっと大人びて見える。
背伸びの季節、そんなに急ぎなさんな、
大人の女になれば、苦しむことがたくさんあるのだから。

季語と描写を響き合わせることで、第三の世界をつくり上げる。
これもまた「醸しだす」ということである。
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そうした一方で、五感にはたらきかけて来ない季語がある。

たとえば、「初夏」「夏」「短夜」「六月」などは、現実として目に見えなければ、耳にも聞こえず、味わうことも出来ない。

こうした季語を使うなら、描写と響き合わせる句をつくるしかない。
しかし、五感にはたらきかけて来ない季語に、
現実の描写を上手に響きあわせると、
そこにはおのずと第三の世界が浮き上がり、
これが醸しだす余韻は、俳句の醍醐味であろう。

  「初夏」  はつ夏や岬の児らの丸きひざ  

  「夏」    海広しとなりに誰もいない夏  

  「短夜」  短夜の逢瀬たちまち影となり

  「六月」  六月の地下街にゐて酢の匂ひ

最後に、俳句を詠むときに最も心がけるべきことは、
誰が読んでもその情景が思い浮かべられるような
俳句を詠むことが望ましい。

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              かき氷せりせり話そらしをり  



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by leilan | 2005-06-05 20:21 | 俳句
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