ワイキキ某所で「鯛のあら煮」を食べていた。
前日に、友人とディナーの約束が出来てからというもの、
私は、鯛の頭を思いつめていた。
何というか、脳も舌も胃袋もぜんぶそちらへ向いていた。
私は魚の唇を自分の口に入れ、
皮とわずかな肉をしゃぶり取ると、
半月形の小さな骨を、骨入れの鉢に投げ入れた。
つづいて、砂摩(すなずり)にとりかかったとき、
小さな骨が咽喉に刺さった。
「ウッ、骨が刺さったみたい」
咳払いしてみたが、そのくらいで取れはしない。
それをすばやく察知した仲居頭の女性が、
「よう効くおまじないが、おますがな」
「ごはんの塊を呑む、なんてやつかしら?」
「そんなことやおまへん。由緒正しいものだっせ」
そう言いながら、調理場の奥へ姿を消した。
まもなく、彼女は、片手に水の入ったグラス、
もう一方の手に細長い小さな紙をもって、戻ってきた。
ケバ立つような和紙で、
「とげ抜き地蔵」という毛筆の文字が印刷されている。
その和紙を示して、仲居頭さんは説明する。
その和紙で、咽喉のところを撫でまわしながら、
「お地蔵はん、お地蔵はん、どうぞトゲ抜いておくんなはれ」
と三遍繰り返してから、紙と水を一緒に呑み込むのだ。という。
「あいや~、おねえさんがそのおまじないを替りに言ってもらえませんか?」
紙切れを指先でつまみながら頼むと、
「それはあきまへん。ご自分で言いはらへんと、効き目ちいともおまへんわ」
そばで成り行きを見ていた友人は、もう可笑しくてたまらない。
「れいさん、やってみたら(ニヤニヤ) 一人でぶつぶつ言ってごらんなさいな」
「一人でぶつぶつ言うのォ?」
仲居頭さんは真面目な顔して、促すようにグラスを差し出している。
やむなく、和紙を咽喉の皮膚に当てて、教えられた言葉を呟き、
「これでいいでしょうか?」
「あきまへん。三遍唱えなんだら、ご利益はおまへん」
仕方なく、同じ文句をあと二回繰り返した。
横目で友人を見ると、笑いを噛み殺すのに必死である。
紙片を口に含み、水を一緒に呑みくだすと、
たちまち、咽喉の違和感がなくなった。小骨が取れてしまった。
「どないだすか」
「おかげさまで、取れました。ありがとうございます」
「そうだっしゃろ。このおまじないは、よう効きまんねん」
水を含んでしなしなになった和紙が、
骨をくるみこんで胃の腑に落ちてゆく光景が眼に浮かんでくる。
そうとなれば、理屈に合った事柄で、おまじないではない。
この光景を、隣席にいた4人の白人が興味津々の態で見詰めていた。
It worked out peacefully.(円満解決しました)
と4人にウインクしたら、
Congratulations!
と高らかに拍手してくれるのだった。
ちと、恥ずかしかった。