『俳句』  ちひさき手あはす子のゐて原爆忌

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           ちひさき手あはす子のゐて原爆忌  麗蘭






アメリカの海軍情報将校として参戦し、
戦後は外交官、
さらには日本文学研究者として知られているサイデンステッカーが、
「私のニッポン日記」の中で原爆投下にふれている。

原爆投下のニュースが入った。
もうこれで、戦争が秋までもつれこむことはあるまい。
ニュースを聞いて誰しもが考えはじめていた。
私自身は、まず深い恐怖を感じたことを覚えている。
しかしそれは道徳的な怒りというものでなかった。
広島を訪れるものは誰しも
道徳的憤激を感じなければならないことになっているらしいが、
それとも多少違っていた。
それに正直、ほっとしたという気持ちが混じっていたことも否めない。

もしかりに本土上陸作戦が行われていたとすれば、
日米双方とも、どれほどおびただしい人命を失っていただろう。

サイデンステッカーの率直な話しぶりはそれなりの説得力はあるが、
アメリカ人がよく口にする論理で格別驚きもしない。
しかし、原爆投下の被爆者の実態にふれもしないで、
「広島を訪れるものは誰しも
道徳的憤激を感じなければならないことになっているらしい」
というモノの言いかたには、
サイデンステッカーが日本文学の「もののあわれ」を研究した学者だけに、
一般のアメリカ人から言われるのとは違って、
閉口頓首だ。

b0048657_16383357.jpg「死ねばみんな天国に行く。でも、ハリー(トルーマン大統領)だけは地獄に落ちたさ。あんなこと(原爆投下)したんだから」
と、囁いたアメリカの老兵もいた。

原爆投下はおぞましい犯罪だ。
アメリカ人に、あれは仕方がなかったと言われれば、私は粘り強く反論する。
あなたがたにも言い分はあろうが、
アメリカの原爆実験のために
死んでいった人々、今も苦しみの中にいる被爆者の方々を思うと、仕方がなかったなんて言葉で片付けてくれるなよ。


ほんとうは人殺しの実験だったのに、
それを戦争終結に責任転嫁するアメリカの狡さを、
どうしても許せないのだが、
こうしたことにはたしかな証拠がない。
実証がないから、口を噤まざるを得なくなる。

世界の歴史にはユダヤ人虐殺、
スターリンや毛沢東の自国民の圧殺、
アフリカ、北朝鮮などでの惨めに死んだ人たちがおり、
原爆の犠牲者がそれほど特別なものかという疑問もあるだろう。

さらには、行事の陰に見え隠れする正義感への当惑、
ケロイドにやけただれた写真を無理やり強制的に直視させるのが、
本当に平和教育になるのだろうか、という疑問もある。

同情心に訴えるだけで、
国際問題としての平和運動の中核となる日本人が育成できるものか。
口承伝承で、経験を伝承しているだけでよいのか。

若者のヒロシマ・アレルギー的なものを見るにつけ、
思い当たるのは“平和教育”と呼びながら、
教育的な配慮がなされてきていなかったのではないかということ。
子供の精神的な発達に対応した体系的なプログラムを用意した
平和教育が現場でなされて来なかったのではなかろうか。

平和教育は見直しの時期に来ているのだろう。

西の水平線に手を合わしつつ、そんなことを考えていた。


{枠を点線にしてみたのだが、もっとさりげない点線ってないのかねぇ。}
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by leilan | 2005-08-06 17:41 | 俳句
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