からす鳴く西瓜畑に悪太郎 麗蘭
ディープ・スロート
ケネディ暗殺からはやくも40年以上が経った。ケネディの後の大統領ジョンソンの時代に、アメリカのポルノ解禁があり、シアターは超満員だったと聞いた。これは、若者の眼をベトナムから逸らせようという手口だった、ともいわれている。
解禁から7年くらい経って、私自身がLAに行ったとき、女だてらにポルノ館を探してみた。ちょうど、「懐か
しの名画週間」という感じで、「ディープ・スロート」が上映されていた。さっそく入ってみたが、3割くらいの入りで、ポルノ草創期の傑作といわれるこの作品は健闘していた。
当時、アメリカのポルノ館にはあまり人影がなかった。
アメリカの男たちも全開直後はポルノ館に繁々と通いつめたのであろうが、
それもやがて食傷気味となり、
「うー、もう酒やめたー」と胃薬に手をのばす、
そういう状態に見舞われていたに違いない。
ポルノには、どこかそんな作用がある。
この映画は高校生のとき観ていたが、
検閲のためズタズタでさっぱり要領を得なかった。
リンダ・ラビレスという女優の名は覚えていたが、
顔も思い出せないくらいだった。
この女優は大統領のパーティに呼ばれ、
一躍有名人の仲間入りをしたのだが、
アメリカのここらあたりはおもしろい。
中曽根康弘が愛染恭子をパーティに呼んで、
親しく話しするということは考えられない。
ノーカット版で「ディープ・スロート」を観て、いろいろ発見があった。
まず、リンダ・ラビレスは草創期だからスタアになれたのであって、
少しあとだったたら出演することすらできなかったろう。
そこらのオバサンという印象であまり取柄はなかった。
ヘアを全部剃っていたのも、はじめて知った。
日本の検閲はヘアにうるさかったが、
さりとてヘアを剃ってしまうとべつのものが見えてくる。
リンダ・ラビレスが平凡な女なので、
せめてヘアでも剃って刺激的にしよう、
という監督のアイデアかと当時は思ったが、
アメリカ人にはそういう性癖があることを後に知った。
もう一人の主演ハリー・ジェームスは30センチの特大で有名だったが、
これをぜんぶ口の中にくわえ込むために、
彼女は額に汗を浮かべて奮闘していた。
努力賞といったところか。
映画自体は喜劇仕立てで、
絶頂感のときスクリーンに花火が打ちあがったりするところ、
悪くない。
凡庸な映画には、
女がヴァージンを失うと床の間の椿の花がポタリ落ちたり、
ヒロインの心が千々に乱れると、
波が岩に打ち当ってシブキが立つみたいな紋切り型シーンがあるけれど、
それを逆手に取ってコミカルに仕立てたあたり、評価できた。
ふりかえれば、これを観たときの私は、まーだ生娘☆
あーんな大きなモノをのみ込まなきゃならないんじゃ、
女になるのも、大変だわ・・・
なんて、ため息を吐いてたな(笑)
That All !