『俳句』  ぶら下がるものみな楽し青瓢(ふくべ)

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            ぶら下がるものみな楽し青瓢  麗蘭









b0048657_5315158.jpg田中角栄のことを思うと、私には妙な連想で美空ひばりが思い浮かぶ。

どちらも小学校を出た程度の学歴である。どちらも忘れ難い仕事をした。角さんの日中国交回復は大変なハード・ネゴシエーションだったというし、美空ひばりの歌はまだわれわれの耳に残っている。

角さんは目白に2600坪の屋敷を持ったが、美空ひばりも代官山近くの青葉台の御殿に住み、母親は十本の指すべてに純金の指輪をはめていたという。目白の邸宅には二部屋分の大金庫があるそうだが、美空ひばりは巨額の現金の置き場所に窮して、台所の床下に隠していた。

ロッキード事件のため、角さんは一、二審で実刑判決を受けた刑事被告人として死んだ。美空ひばりは弟がヤーさんに関係したとき、敢然とそれを庇ったため、紅白歌合戦から下ろされた。

b0048657_5445868.jpg一人は戦後日本の政界で無比の決断力と実行力を持っていた。一人は類まれな歌唱力の持ち主だった。それでいながら両者とも泥水をかぶり、世間から白い目で見られ、死んではじめて惜しまれた。

二人とも、その生き方は情の世界を引きずっていた。角さんの死を聞いて、社会党議員が「妙に通じるものがあった」と語っていた。大胆不敵に見えて、一方に細やかな気配りがあり、遮二無二突進する姿にかえって愛嬌があった。酔って興に乗ったときの角さんは、好んで「悲しい酒」を歌ったという。

「一人ぽっちが好きだよと、言った心の裏で泣く」

戦後日本を代表する政治家は戦後日本を代表する歌姫に、通い合うものを感じていたのだろう。

角さんは、どんな人間だったか?

彼は誰の二世でもない。
ただ越後の家畜商の子である。
小学校を出ただけだから、
東京に思い出を分かち合う同級生がいるわけでもない。
戦争が終わったときは土建屋の大将だった。
その会社も潰れていた。
選挙に出て二度目に当選し永田町に出てきたが、
徒手空拳である。助けてくれる人も頼れる人もいない。
まわりは知らない顔ばかり。
師もなければ友もいない。
一歩間違えば奈落。
越後から夜行列車に乗って出てくるたびに、
彼は敵地に乗り込むような緊張を感じたことだろう。
頼りになるのは、女房にくっついてきた土建業坂本組の金だけである。
政治家としての人生を、
28歳の彼は一人ぽっちの体制に縁なき者として踏み出した。

金を使えば人は面白いように動いてくれた。
学歴も教養もある偉い役人がペコペコし、
目指すことはたちまちにして成った。
彼は、不正な手段で仕入れた金を、不正なルートを通じて散じた。
官僚の懐柔から子分への盆暮れのつかみ金、
もっと他にわれわれの想像もつかない金の使い方をしたことだろう。
その中には、彼の死を悼んで彼の小学校時代の恩師が語った、
「ずっと盆暮れに十万円ずつ届けてきた」
という金も入っている。
彼は猛烈に集め、猛烈に使った。
日本においては政治も土建業と大差ない。
しかるべき人を手なずけ、闘志をもって当れば成り、事業は無限に伸びる。

土建屋の感覚で政治をする角さんの流儀は加速していった。
財界という体制に縁のない彼のことだ。
懐に入る金は小佐野賢治らから来る素性の怪しい金か、
家の子郎党の名義を使った幽霊会社が、
土地を転がして生み出す資金だった。

彼はその札束で他人のツラを引っぱたいて階段を上がっていった。
その頂点が47年の総裁選である。
それは54歳の「庶民宰相」を生んだが、
当時の金で一票二千万円だったそうである。

しかし、実際の話、
一人ぽっちの反体制派に、
金を使う以外どんな方法があったというのか。

時代が呼び込んだ政治家だった。
角さんが政治家としてスタートした時代は、
何をさておき復興と建設の時代だった。
造船が世界一になると「外貨獲得だ」と手放しで祝った。
黒四ダム、新幹線、高速道路・・・
政治家も役人も業者も、
みんなコンクリートを食って大きくなった。

今日とは時代が違うのだ。
過労死する奴はバカで、だいたい過労死という言葉がなかった。
木があれば切って材木にし、
クジラを殺して、牛肉より安いから、それを食った。
出先では他社と、社内では同僚と競争し、
毎年着実に上がる給料から工面して
トヨタの車や松下の電気冷蔵庫を買った。
おかげで日本企業は世界で押しも押されぬ大企業に育った。
日本中にミニ角栄がいたからこそ、
われわれの町には外国人に見られても恥ずかしくない道路と橋ができた。
角さんはそういう時代の政治家だった。
だから土建屋の感覚が通用したのである。
いまの尺度で彼を測ってはならない。

日本そのものが誉められた国ではなかった。
朝鮮戦争で儲け、ベトナム特需で潤った。
同じアジア人が血を流しているのに、その血を吸って太った。
防衛は米軍に任せ、それを知らないわけでもないのに、
日本は平和憲法を持つ平和国家だからこんなに繁栄しました、
ほら見てご覧と自慢し、
外国まで隊伍を組んでブランド品を買いに行くようになったのである。
どさくさのうちに稼いだ日本、
みな叩けばホコリの出るようなことをして、
今日の結構な日本を築いたのだ。

世の中は99パーセントまでが金である。
金で政治を動かし、政治で金を生んだ角さんは、
その範囲では大天才だった。

ただ、世界史でも稀なほどの速度で繁栄の坂を駆け上がる忙しさと、
日本の体制に楯突く意地が強すぎたために、
残り1パーセントのことを忘れた。
人間が人間として立派に完結した生涯を生きるには、
その1パーセントが大切なのに、彼はつい忘れた。

なぜ忘れたのか。
身近にそれを言う人がいたのに惜しいことである。
子を見ること親に若(し)くものはない。
彼の母フメさんは、つねづねこう言っていた。

「悪いことをするくらいなら、アニ、いつでも帰って来いよ」
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by leilan | 2005-08-21 06:51 | 俳句
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