『俳句』  花カンナ寝たりてなほも眩しかり

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           花カンナ寝たりてなほも眩しかり  麗蘭






遅ればせながら、月刊誌「文学界」7月号を読んだ。
関川夏央が司馬遼太郎の「『坂の上の雲』を読む」を連載していて、
これがなかなか面白いので、日本から送ってもらっている。

その7月号では、
乃木希典の旅順攻撃の評価についてふれていた。

乃木は参謀の伊知地とともに、
海軍の策定した203高地攻撃に見向きもせず、
大要塞の玄関口から攻め込んでいく真っ正直な戦法をとる。

そのため、190日を要し日本側の死傷者6万人という、
世界史上、又とない未曾有の流血記録を作った。
結局、児玉源太郎が総司令部の仕事を一時捨て、
旅順にやってきて主導権をにぎり、
203高地攻撃をし、旅順攻撃は急展開した。

この一件からして、
乃木の、軍人としての「無能力説」は多くから指摘されるところであるが、
司馬もこの作品の中で、
「驚嘆すべきことは、乃木軍の最高幹部軍の無能よりも、
命令のまま黙々と埋め草になって死んでいった
この明治という時代の無名日本人の温順さであった」
と乃木らの作戦を批判している。

関川さんはこうした司馬の批判について、
「司馬遼太郎はその性として、
スタイリストと精神主義者を好きでありませんでした。
戦争体験者として戦後的合理主義者を愛する作家である彼が、
乃木に注ぐ冷たい視線は自然と思われます」
と述べている。

しかし、司馬はこの旅順攻撃について、
乃木だけを責められないこともまた述べ、
日本陸軍そのものがこの大要塞の認識について、
実に疎漏であったことを指摘している。

このことに関連して関川さんは、
かつて評論家福田恒存が展開した、
「乃木無能論」に対する反論を紹介している。

福田は、
「203高地が取れたのは、
第1回、第2回の総攻撃で本命の東北正面を主攻し、
敵兵力に大打撃を与えたからである」
と述べ、
乃木軍が行った第1回、第2回の正面攻撃よりも、
第3回の203高地攻撃の死者が遥かに多いことを指摘している。

さらには、
「司馬氏は将軍(乃木)を軍人戦略家として否定しながら、
その宿命的な生涯を同情をもって書いている」
とも述べている。

そういわれると司馬さんは、
ステッセルと乃木の会談にもふれ、
ステッセルが尊大さのない乃木に感激しその尊敬は生涯変わらなかった、
と言うことも紹介していた。

特にステッセルが地元で死刑の宣告を受けたときに、
助命の願いを出しているという。

このような乃木の人間性にもかかわらず、
旅順攻撃の作戦で多くの日本人を無意味に死地に追いやったことが、
司馬遼太郎には我慢がならないようだ。
その気持ちはよくわかる。




■反米と平和主義

日本における平和主義とは、
どうもその目的が平和ではない。
反米感情、反権力の感情が根底にあって、
それがそのまま目的になっている。

反米と自民党政権の打倒が、
つまり平和への道程だと勘違いしているんだな。

したがって、米軍の行動には全部反対する。
自衛隊にも反対する。

しかし、人民解放軍と名称が変わると、
ころりとおとなしくなってしまう。
旧ソ連軍にも平身低頭する。
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by leilan | 2005-08-30 06:31 | 俳句
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