『俳句』  秋袷(あわせ)母のたもとを恋ひにけり

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             秋袷母のたもとを恋ひにけり  麗蘭






村上春樹がサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を新しく翻訳し、
それが日本でベストセラーになった話は友人から聞いていたが、
最近、ようやくそれを読む機会に恵まれた。

私自身は中学生の頃から野崎孝訳に馴染んで来たので、
読み比べると、
かつての野崎訳の方が攻撃的で「反抗の文学」色が濃いと感じた。

村上訳はある種サイキックな文学になっていて、
16歳の主人公、ホールデン・コールフィールドの、
「心の闇」みたいなもんを覗く文学になっている。

しかも、野崎訳は、
「~してやがんだ」とか下町のツッパリ風だったのが、
村上訳は彼が関西出身のせいか神戸か芦屋の高校生みたい。
村上春樹の文体は、
私には、ある意味でつらかった。
主人公の語りは、
「関西の漫才師が真似した東京弁」のようなのだ。
人工的な言葉過ぎやしないか。

主人公は16歳なのに、
親から逃げ回ってNYのホテルに泊まったり、バーに行ったり、
金持ちのぼんぼんの不良だった。
東京だと、私らの時代には麻布高校あたりにこんな不良がいた。

しかも、ホールデンの愛読書は、
アイザック・ディネーセンの「アフリカの日々」という早熟さ。
デンマーク貴族の女性が、
アフリカでコーヒー農園を経営した日々を回想した、
いわば大人の記録文学で、
ホールデンはその本を読んで、
「優れている」とか、
「著者に電話したい」とか言っているのだからスゴイ!

「ライ麦畑でつかまえて」を抵抗の文学と言っても、
マクロな社会体制への抵抗ではなく、
それはミクロな人間関係への違和感である。

主人公は誰ともうまくいかず、
学校は退学させられ、
いいなと思っていた女の子をすかしたルームメイトにかっさられ、
喧嘩した末に寮を逃げ出す。
要するに、社会化の困難を描く物語で、
ホールデンは最終的に入院し、精神分析も受けている。
これは私の高校時代(1972~4)よりも、
今の日本の方が理解しやすいと思う。

そう捉えると、村上訳の方が、
絶対に解消できない厄介なものを抱え込んだ人物の、
その救われない心情が出ていて、適切かもしれない。

難を言えば、
野崎訳ではもっとも魅力的だった妹のファービーが、
なぜか村上訳ではあまり可愛くない。
生意気で素敵なことを言う妹に、ホールデンが会って、
そのイノセントさに救われるのがハイライトだけれど、
村上訳だと、なんだか幼女誘拐犯一歩手前みたいな雰囲気(笑)
村上春樹には、フィービーに感応するイノセンスが欠けているのか・・・。

1969年、私が中学に入学した年、
丸善の洋書コーナーには、
銀色の装丁の"The catcher in the Rye"が、
どーんと山積みになっていて、
すでに一部ではカルト的な人気になっていた。

その隣には、ヘンリー・ミラーの、
"Tropic of cancer"(北回帰線)が平積みになっていた。

アメリカ文学に興味のある人なら、
必読の二冊だったのだろう。
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by leilan | 2005-09-05 06:30 | 俳句
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