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『俳句』  待宵や身を尽くしたる泣きぼくろ
                   Maria Callas
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           待宵や身を尽くしたる泣きぼくろ  麗蘭





『俳句』  待宵や身を尽くしたる泣きぼくろ_b0048657_2054939.gifジャクリーヌ・ケネディ・オナシスが死んだとき、
何故オナシス夫人として、アリストテレス・ソクラテス・オナシスの隣に埋葬されなかったか、
という疑問が、いくつか報道された。

ジャッキーが再婚したとき、オナシスには感じやすく甘やかされて育った十代の継子が二人いてジャッキーを悩ませた。

アレクサンダー、クリスティーナという、その二人の継子が早逝して、父オナシスと共に眠る今、オナシス家の墓はジャッキーにとって心安まるものではない、といったところが大方の結論だったろうか。

でも、この問題の底には、
実はジャッキーが何故オナシスと再婚したのか、
という例の疑問がいまだに澱んでいたのは言うまでもない。

『俳句』  待宵や身を尽くしたる泣きぼくろ_b0048657_2049845.jpg何故、彼女は、アメリカの若きプリンセス、
まるでギリシャ悲劇をもしのぐような、
壮大な悲劇のヒロインの座をたちまち捨てて、
大富豪の年老いた船舶王と結婚してしまったのか。
当時を知るアメリカ人たちの間で、
嘆くがごとく恨むがごとく・・とでもいった感じで
論じられて来た、この古くからの難題・・・。

でも、私にとって、
これはことの最初から極めて理解しやすい問題だった。
鍵は他ならぬマリア・カラスである。

この二十世紀最大のソプラノ歌手の魅力については、
すでに語りつくされているように思うが、
特筆すべきは、その劇的な存在感といったものだろう。

彼女がステージに現れたとたんに旋律が走る、
歌を聴く前にすでにその歌に酔ってしまう。

その凄いカラス、正確にはマリア・カロゲロプーロス・メネギーニを、
夫メネギーニ氏から召し上げて愛人にしていたのが、
他ならぬオナシスだったのである。

オナシスという男がすさまじい魅力を持っていたことは
一点の疑いもない。

『俳句』  待宵や身を尽くしたる泣きぼくろ_b0048657_20275384.jpgそして、そのオナシスを魅了し、
凄いカラスを捨てさせてまで
正妻の座に坐ったのがジャッキーとくれば、
JFKも草場の陰で
まんざらではないのではないか・・・。



と、まあ、短絡な私はこの件を単純に割り切っていた。
しかし、事実はどうも違っていたようだ。
関係者がすべて亡くなってしまった今、
真実は謎に包まれているのだが・・・。


ジャクリーン再婚は“契約身売り婚”
オナシス氏の愛人でオペラ歌手マリア・カラスが語る



元ジョン・F・ケネディ米大統領夫人のジャクリーンが、
ギリシャの大富豪、アリストテレス・オナシスと再婚した真の理由は、
実は将来のケネディ家の大統領選挙キャペーン費として
2700万ドルを受け取るためだった―。

オペラ歌手マリア・カラスの自叙伝
「Maria Callas: Sacred Monster」の中で、
ショッキングな“契約身売り結婚”が明らかにされた。

マリア・カラス(1977年、54歳で死亡)は
長年オナシス(1975年死亡)と愛人関係にあったが、
「ナショナル・エズザミナ―」誌や他の米誌によると、
彼女はオナシスの死後、
同自叙伝の著者、ステリオス・ガラトポロスに、
「彼は彼女を愛して結婚したのではなかった」と語っという。

「それは経済的利益のために結びついた結婚だった」と。
事実、双方で一生懸命取り引きされた契約結婚であり、
この取引の仲介をした人が、
何と彼女の義理の母(JFKの母)ローズ・ケネディだったという。

「この取引は、
(ローズ夫人の)息子のジョン・F・ケネディが1963年に暗殺された後、
別のケネディ家の一員を大統領にすることを願った
ローズがやったことだった」

1968年の結婚を明記した書面による契約では、
結婚の期間は7年間で、
当時39歳のジャクリーンは
オナシス(当時68歳)の子供を産む義務はないこと、
そして彼と寝ることさえ要求されなかった。
そして、7年間が過ぎたら、家の金庫に入るというもの。

しかし、ジャクリーンは結婚した当初、
彼を満足させることを選んだと言う。
オナシスのヨットを管理している使用人は、
深夜裸の二人がヨットの中でセックスをしているのを目撃したという。

オナシスの結婚は誰からも驚かれた。
もちろん、彼と9年間恋人の関係にあった
マリア・カラスでさえも驚いたという。

「怒りというより、
なぜ彼がジャクリーンさんと結婚したのか分からず当惑した」

オナシスに裏切られ傷ついたマリア・カラスは最初、
彼に会うことを拒否していたが、
挙式のわずか1ヶ月後に彼がパリの彼女のアパートにやってきて、
「結婚は間違いだった」と涙ぐみ、
二人の関係を再び続けたいと懇願した。
この時、彼女は初めて「結婚の真相」を知ったという。
ジャクリーンは結婚した最初の年に、
自分の買い物だけで150万ドルという大金を使った。
しかし彼女の浪費性に目をつぶれても、
彼女の冷淡さには我慢できなかった。
オナシスは多くの問題を抱えていたが、
彼を慰め元気づけることさえしなかったという。

1968年に結婚し、1975年で契約の7年がくるが、
オナシスは少しでも彼女の財産の請求を減らそうと、
早めに結婚の解消を求めようとしたが、
彼は契約が切れる7カ月前に死亡した。

オナシスの健康状態が悪化するにしたがって、
マリア・カラスがより身近な人となっていった。
死の床で彼は、「あなただけを愛していた」と告げたという。

ジャクリーンは1994年5月、
がんの一種である悪性リンパ腫で死亡した。

by leilan | 2005-09-19 02:09 | 俳句
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バッカスの神さまに愛されたい

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