空き瓶にコスモス細く無縁墓 麗蘭
「飯一念室妙觀信女」
その横には、天保4年(日にちは摩滅して不明)とある。
天保4年(1833年)といえば天保の飢饉がはじまった年だ。
この年から約5年間、
気候不順による慢性的な凶作が続いて、
全国的な大飢饉となったのである。
特にこの天保4年は大凶作だった。
この墓碑の年号は天保の飢饉のはじまりと一致している。
この写真は、
数年前に帰国した折に秋田県の乳頭温泉に出掛け、
その近在で写して来たものの一枚である。
お寺の和尚さんに聞くと、
墓碑の戒名はたまに本人の意向でつける場合があるが、
ほとんどはお寺でつけるそうである。
この「飯一念」とは、
「飯を食べたいと深く思う」という意味だろう。
想像するに、
この信女は飢餓に苦しみながら死んでいったのであろう。
哀れに思った和尚がこのような戒名をつくり弔ったのではないか。
草葉の陰にひっそりと忘れられた墓碑にも、
歴史の事実が刻まれている。
しばし頭を垂れ、その墓碑の前にたたずんだ。
その隣には、
「無学妙為信女」
寛政八辰年十一月十四日の墓碑があった。
これは「無学であるがすぐれたことをなす」という意味であろう。