『俳句』  秋深し首を廻せば骨の音

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              秋深し首を廻せば骨の音  麗蘭




突然コルトレーンが聴きたくなった。

専用のスタンドに灯をともすと、
硝子の火屋を透した光がステレオ装置を照らし出す。

いつの間にか増えたコルトレーンのディスクの中から、
今夜は名盤ばかりをセレクトした一枚を選んだ。

氷の塊をいくつか放り込んだグラスに酒を満たし、
カウチに凭れ込んだ。

椅子の傍らにはグラスを置くための円テーブルがある。
アンダルシアの寄せ木細工のコースターに、
グラスを置くと曲がはじまった。

スタンダードのバラードだ。

後期のあまりにも先鋭化したコルトレーンは疲れる。
マイルスと分かれて自前のコンボを持ったときあたり。
それもちょっと肩の力を抜いてスローなスタンダード曲が、
こんな夜には相応しい。

心地よいけだるさが体中に広がっていく。

今夜はもう何もしたくない。


.....と、ここまで書いて、
アップするのを忘れ、寝てしまった。

いま起きて、つらつらニュースを見ていたら、
「文化功労者 森澄雄」

大正8年に姫路に生まれた森澄雄の俳句人生は、
実に60年以上に及ぶ。

その間、彼はひたすら「俳句とは、人生とは何だろう」と
己に問いかけながら、
昭和、平成の俳壇において、
時流とは無縁に自らの信じる俳句を作り続けてきた。

「俳人」と呼ばれることを嫌い、
「俳人である前に一人の人間でじゅうぶん」という森澄雄の、
俳句、人生への志向は、
フィリピン・ボルネオでの苛酷な戦争体験から奇跡的に生還したとき、
さだまっていたといわれる。

「妻を愛し、子供を愛し、身近な人と愛し合いながら生きていきたい。
それを平凡なおのれの生き方の芯としてきた」

それが惨憺たる戦争から還ってきた者の
もっとも自然な生き方だったと言う。

この澄雄の家族へのあたたかいまなざしは、
数々の名句を生んだ。
特に、澄雄ほど妻を詠んだ俳人は他に類をみない。

その最愛の妻の突然の死、
そして数々の病など人生の様々な苦難を経て、
まさに「いのちをはこぶ」ように詠まれてきた一句の世界はさらに深まり、
ひろがりをもってきた。
 
左半身不随の身となった86歳の現在も、
自由自在に果てしない時空に心をあそばせる澄雄俳句の魅力。

文化功労者 森澄雄
b0048657_2135345.jpg雪国に子を生んでこの深まなざし (『花眼』 昭和44年刊)

「雪国に子を生む」ということを選び出すことによって、たった17文字でこんなに美しい深いまなざしを描けるとは・・・。

森澄雄はこの句について、
「昭和四十二年、はじめて長女をあげた川崎展宏夫妻の祝いに米沢に出かけた折の作。見舞った床上の夫人の黒い深いまなざしも美しかったが、降りしきる雪の米沢の夕暮の町を、長靴に雪を踏みしめながら、角巻に赤子を背負った若い女の深いまなざしも美しかった。その美しさに、雪国に生まれたこれからの子供の生と、その女の生が、何か辛い思いで胸に宿った」
と書いている。

私も遠い昔この句に詠われたような「深まなざし」に
出会ったような気がする。

角巻きやマントで覆われた中から現われた、
肌理の細かい固くしまった白い肌、
雪国に生まれてそこで育ち結婚して子を生む、
そういった生き方をごく当然のこととして受け入れている
ゆるがないまなざしの、どきっとさせるような深さ。

この「深まなざし」の女の美しさは、
一般的な美人の基準とは別の範疇に入る美しさなのだとも思う。

赤子を背負ったこの女性は、
森澄雄が感じたように、
自分が辛い生を生きているなどとは
思っていないのではなかろうか。

自分を見た人が自分に対して、
憐憫の思いを抱いているなどと知ったら、
意外の感に打たれるのではないか。

他の土地から訪れた人間を、
ひるませるまでに深く美しいまなざしは、
自然に備わった自らの生き方に対する
揺るぎない思いに起因しているのだと思う。

そしてそれは、雪国を背景にすることによって、
さらにその美しさを増す。


森澄雄といえば、
二年前だったか、讀賣新聞紙上で、
長谷川櫂との往復書簡が話題になった。

当時、讀賣はワイキキのどのホテルにも置いておらず、
唯一「ラーメン屋・えぞ菊」に置いてあった。
この時ばかりは、えぞ菊に日参して、
この「芭蕉をめぐって」を読んだものだった。

二人の35歳という年齢差だけではなく、
もっと根本的なところで食い違った奇妙な往復書簡で、
そこが滅法面白かった。

要は、芭蕉の発句についての長谷川櫂の小賢しい解釈を、
森澄雄が一刀のもとに斬って棄てる、
という構造なのだが、細かいことはともかく、
やはりここでは、森澄雄の方に圧倒的に説得力があった。

「貴君が句集『虚空』の帯に書いた<天体も生命も虚空に遊ぶ塵>という悟ったような賢しらは嫌いです」とか、

「貴君も小さな理屈を捨てることが、俳句が大きな世界を得るための一番大事なことだ」とか書かれたら、

さしもの長谷川櫂でも、返す言葉がなかったであろう。
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by leilan | 2005-10-28 22:56 | 俳句
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