『秀句鑑賞』

 さやうなら笑窪荻窪とろゝそば  摂津幸彦


季語は「とろろ」で秋だが、冬にも通用する句であろう。
物の本によれば、正月に食べる風習のある土地もあるそうだから「新年」にも。
ま、しかし、摂津幸彦はさして季節を気にしている様子はない。

「荻窪」は東京の地名。
「さやうなら」と別れの句ではあるけれど、明るい句だ。

「さやうなら」と「とろゝそば」の間の中七によっては、
陰々滅々たる雰囲気になるところを、
さらりと「笑窪荻窪」なる言葉遊びしているからだ。

さらりとした別れの情感を詠みたかったということ。
たとえば、学生がアパートを引き払うときのような心持ちを。

このときに「笑窪荻窪」の中七は言葉遊びにしても、
単なる思いつき以上のリアリティがある。
ここが摂津流、余人にはなかなか真似のできないところだ。

笑窪は誰かのそれということではなくて、
作者の知る荻窪の人たちみんなの優しい表情を象徴した言葉だろう。
行きつけの蕎麦屋で最後の「とろゝそば」を食べながら、
むろん一抹の寂しさを覚えながらも、
胸中で「さやうなら」と呟く作者の姿がほほえましい。

蕎麦屋のおじさんも「じゃあ、がんばってな」と、
きっとさらりと明るい声をかけたにちがいない。

いいな、さらりとした「さやうなら」は。

(とろろ・秋)
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by leilan | 2006-01-16 06:17 | 秀句鑑賞
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