『秀句鑑賞』

 雪はげし抱かれて息のつまりしこと  橋本多佳子


美女の誉れたかい高貴の未亡人、橋本多佳子。
ゆくところ座はどこもが華やいだという。

明治32年、東京本郷に生まれる。
祖父は琴の山田流家元。父は役人。

大正6年、18歳で橋本豊次郎と結婚。
豊次郎は大阪船場の商家の次男で若くして渡米し、
土木建築学を学んで帰国、財を成した実業家。
ロマンチストで、芸術にも深い造詣があった。

結婚記念に大分農場(10万坪)を拓き経営。
9年、小倉市中原(北九州市小倉北区)に豊次郎設計の三階建て、
和洋折衷の西洋館「櫓山荘」を新築。
山荘は小倉の文化サロンとなり、中央から著名な文化人が多く訪れる。

理解ある夫との間、四人の娘に恵まれる。
まったく絵に描いたような幸せな暮らしぶり。
しかし突然である。

  月光にいのち死にゆくひとと寝る

病弱で寝込みがちだった豊次郎が急逝。享年50歳。
このとき、多佳子38歳。
葬後、ノイローゼによる心臓発作つづく。

掲句は、寡婦になって12年、多佳子50歳のときの作。

降り止まぬ雪を額にして、
疼く身体の奥から夫の激しい腕の力を蘇らせた。

物狂おしいまでの夫恋。
微塵たりも二心はない。
そうにちがいない。
だがしかしである。

ここに多佳子をモデルにした小説がある。
松本清張の「花衣」がそれだ。
主人公の悠紀女が多佳子。

 悠紀女は癌を患って病院で死んだ。
 その後になって、自分は悠紀女と親しかった人の話を聞いた。
 彼女には恋人がいたという。
 対手は京都のある大学の助教授だった。
 年は彼女より下だが、むろん、妻子がある。
 よく聞いてみると、その恋のはじまったあとあたりが、
 悠紀女の官能的な句が現れたころであった。

とするとこの夫恋の句をどう読んだらいいものやら。
多佳子が官能の句を詠みはじめたのは40代になってからだ。

まあ、しかし、
息のつまるほど抱かれたことがなければ、
こんな句は詠めるものではない。
「雪はげし」なんて季語に結びつけられないよ、普通は。

(雪はげし・冬)
[PR]
by leilan | 2006-01-24 09:01 | 秀句鑑賞
<< 『俳句』  チャイナタウンは春節 『俳句』  ワイキキは春の雨 >>


バッカスの神さまに愛されたい
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧