<奉仕活動>を子供に刷り込む社会と政治的アジェンダ
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東京の都立高校で、2007年度から「奉仕活動」を必修科目とする方針を固めたという記事。その背景には、通学せず仕事にも就かず、職業訓練も受けていない「ニート」と呼ばれる若者の増加があるという。

ニートが(こうした意味がよく通じない略語を、嬉々として量産していく社会にはゲンナリさせられるが)原因であれば、それは家庭教育の問題であろう。こういう子供を持つ親の苦労を思うと、さぞや大変だろうと同情する。だが、いささか冷たい言い方をすれば、これは親が育て方を間違ったということに帰結する問題だ。

しかし、東京都が都立高生に「奉仕活動」を強制する真の理由は、ニートと呼ばれる無気力な若者の増加にあるのだろうか。

アメリカでは奉仕活動や募金活動の数が圧倒的に多く、それはきわめて日常的なことである。アメリカで暮らした人なら、教会、病院、出身大学、地域団体、慈善団体、子供の通う幼稚園、学校、交響楽団、美術館、教育放送、ありとあらゆる団体から毎日のように寄付の依頼を受けた経験があるだろう。

また、功成り、名を遂げた人がチャリティーに協力するのは、ロックフェラーやカーネギー以来、この国の伝統である。チャリティーに自然に金が出るのは、教会で献金をする風習と、どこかでつながっている。中世のヨーロッパには、所得の一割を教会に差し出すタイディングという習慣があった。アメリカ人の意識の中には、まだこの習慣が死なずに残っているように見える。

もちろん金を出すだけが、チャリティーの手段ではない。アメリカの子供たちは、学校の必修科目に奉仕活動があり、大学進学の際にはこれが重要な採点項目にもなっている。大人も時間に余裕があれば、教会や地域や学校のため、何らかの奉仕活動に精を出すのが、よき市民たる一つの条件とされている。いくら仕事に有能であっても、働くしか能がないというタイプは、必ずしも評価されない。金が万能のアメリカ社会で、金では得られないそうしたある種の信用というものが必須とされているのは、日本人から見れば「不思議な国・アメリカ」の一つであるかもしれない。

この国のこうしたチャリティーやボランティアは、大きな政府を好まないというアメリカ人の気風と、どこかでつながっているように見える。政府は国防、治安維持といった最小限の役割さえ果たせばよい。多額の税金を取って、福祉や教育、芸術といった生活のプラス・アルファの分野にまで干渉するのは期待していない。むしろ嫌う。国民の生きがいなどに、政府は口を出してほしくない。

こうしたアメリカの性向はGDPなどとは別の社会の豊かさとも言えるが、そのためには子供のうちから、学校における奉仕活動でそうした性向を刷り込んでいくわけである。

かつてレーガンは、連邦政府の支出削減におおなたをふるい、共和党は貧しいアメリカを見捨てたと非難されるたびに、「アメリカ国民よ、政府のプログラムに頼らず、もっとチャリティーを通じて貧しい人々を助けようではないか」と訴えた。しかし、これですべての問題が解決するものではない。自らの窮状をアメリカ流の率直さでうまく表現できない、社会の最貧層には、こうした恩恵がなかなか及ばないという最もな指摘もある。

東京都における今回の決定を知り、ふと脳裏をよぎったのは、日本の子供たちも「奉仕活動」をアメリカ流に刷り込まれてゆくのか、という思いであった。ニートなるものが真の理由ではないだろう。これは政治的なアジェンダ、裏のもくろみがあるのではないかと思う。

アメリカにおけるレーガンの八年間は、小さな政府への分岐点となった。福祉や教育予算は大幅に削られ、貧しい若者が大学に進みずらくなったこと、ホームレスが増えたことは事実である。以来、金持ちはより金持ちに、貧しき人々はいっそう貧しくなった。豊かなアメリカは貧しきアメリカを見捨てたわけである。

日本もこうした社会へ驚くほどの速さで向かっているわけで、うがった見方かもしれないが、ボランティアやチャリティーを、無言で強制していく社会が日本にも構築されていくのではないか、そんな予感がする。
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by leilan | 2004-11-11 18:34
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