2004年 11月 27日 ( 3 )

◇◆勘九郎、平成の勘三郎へ
中村勘三郎は、髪結新三や法界坊が当たり役といわれた昭和の名優だが、このひとが演じた仮名手本忠臣蔵の高師直(吉良上野介)は忘れられない。その憎憎しさは、小澤栄太郎の吉良上野とならんで見事な悪役ぶりだった。

勘三郎が亡くなったのは昭和63年4月。息子の勘九郎は髪結新三で三宅坂の国立劇場に出ていた。このとき、父親の当たり役だった髪結新三が、勘九郎は初役だったが大当たりで、切符がなかなか手に入らなかったことを思い出す。

髪結新三という芝居には江戸の匂いがたっぷりある。たとえば江戸なまり。これはちょっと舌っ足らずの甘えた感じがあって、親方がオヤカタではなく「オヤァッタ」となる。いまでも浅草あたりに行くと、こういう話し方をする人がいて妙に昔なつかしいが、勘三郎の魂が勘九郎に流れていると感じるのは、こうしたところだ。

その勘三郎を息子が襲名することになった。歌舞伎の世界では、主役級の花形役者は特定の血統で占められることが多い。血統というとまるで競走馬のようだが、実際、血筋のいい役者に花があるのは確か。こうしたあり方はよくいえば格式を守ることになるが、わるくいえば封建的で、多くの役者の出世を閉ざすことになる。

そういう意味では、市川猿之助という役者に注目せざるを得なくなる。猿之助は、その襲名と前後して、父段四郎と祖父翁猿を相次いで失った。二十代後半の頃だったが、その後、どの一座にも加わらず、古典の復活上演を試みはじめ、鶴屋南北の独道中五十三駅や伊達の十役を人気演目に仕上げた。さらに、ヤマトタケル、リューオー、オグリ、八犬伝など、獅子奮迅の勢いで新しい試みを繰り返してきた。

しかも、猿之助は従来の歌舞伎界のしきたりを超えて、門閥以外から笑也、笑三郎などの人材を抜擢、劇団の中心俳優に仕立て上げてきたのである。歌舞伎を古典として守ろうとする人にしてみれば、猿之助は秩序の破壊者に見えて仕方がない。しかし、歌舞伎界の活性化のために猿之助が果たしている役割、ことに人材の抜擢という面で示しているテーマは大きい。

反面、勘九郎のように、小さい頃からスターになるべくして育てられた者には、品や芸格の大きさで一日の長があるのも確かである。芸格とは人格みたいなもので、育てられ方や大きな役を演じているうちに自然と身につくものだろう。歌舞伎界の名門の子弟は、言ってみれば生まれながらにして将来の団十郎、将来の菊五郎として育つから、オーラというか鷹揚さが身につくのだと思う。それが日本人の忘れてしまった家柄というもので、その幻想が現実として通用しているところに、歌舞伎の面白さがある(のかもしれないと、根っから庶民のわたしなどは思う)

世襲制度が明確な形で示されるのが、親や親戚の名前を継ぐ襲名の儀式である。これはファンに公開され、襲名披露公演というお祭りを通じて共有される。父親が昭和の名優にして、祖父が六代目尾上菊五郎、伯父が初代中村吉右衛門という歌舞伎界一の良血・勘九郎の勘三郎襲名は、団菊にならぶ規模の襲名披露興行が打たれるであろう。

勘九郎はどんな役でもこなす万能役者だが、わたしはこの人の踊りが好きだ。「かさね」を舞ったときの勘九郎は妖艶な中にも一筋せつない女心が忍ばれ、その幽玄の美しさは地唄舞の武原はんを彷彿とさせた。

とまれ、平成の名優の誕生を心から祝福したい。中村屋ーッ!

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by leilan | 2004-11-27 23:37

◇◆黒タイツの力道山
<東京無重力生活>氏のブログは、氏の闊達な筆力に加え、
なつかしい人々の写真がアップされていて、これがまたグッとくるのダ!

今回は力道山の勇姿↓が。

韓国映画『力道山』、上陸はいつだ!?

力道山が死んだのは小学校1年のときだった。
いまどきの、小学1年の女の子はプロレスを観るんだろうか?
などと、ふと思うが、
わたしはプロレスが大好きだった。

とくに、フレッド・ブラッシーが悪役で登場すると、
「おじいちゃん、きょうは流血試合になるねッ」
なーんて、
血圧の高いじーさんと一緒に興奮しまくらちよこ!
和服姿でふだんは上品なばーさんも、
けっこう力が入っていた。

プロレスラーがトランクスをはくようになったのは、
たぶん昭和40年代からで、
それまではみなピッチリ黒い海パンだった。
そんな中で、力道山だけが黒のタイツ姿で、
「おじいちゃん、どうして力道山だけタイツなの?」
という孫の<どうして攻め>に、
「それはな、力道山がいちばん強いからじゃ」
なんて、ジジは適当に答えるのだった。

だから、プロレスごっこのときは、
上半身裸にアツギのタイツで、
「空手チョップ!」
机の上から飛び降りて・・・ただのお転婆だった。

力道山亡き後は、吉村道明と豊登を応援していたが、
忘れられないのはレフェリーの沖識名。
なぜか、いつもシャツ破られるんですね。

ところが、わが弟のん太くんたちは、
同じプロレスごっこでも知能指数の高い遊びをしていた。
近所のガキんちょたちが遊びに来て、
なにやらみんなで図画工作をしているので、
しげしげ眺めていると、
なんと、チャンピオンベルトを作っているのダ。
しかも、リングアナウンサーの黒い蝶ネクタイまで。

登場するプロレスラーも、
ジャイアント馬場にアントニオ猪木、デストロイヤー。
のん太くんは、ジム・オズボーンが贔屓だった。渋いね。

ジャイアント馬場には思い出がある。
以前、アラモアナのコンドミニアムに住んでいた頃、
上の階から水漏れがして、
コンドのマネージャーが点検に来た。
たいした水漏れではなかったので、
「上の階の人に、気にしないでと伝えて」
と言っておいたのだが、
ドアチャイムがピンポンと鳴って、
ドアを開けたら、
そこにはジャイアント馬場が立っていた。
こういうとき、人は言葉を失う。
いきなり、ホンモノなんだもの。
馬場さんは水漏れを丁寧にお詫びしていかれた。
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by leilan | 2004-11-27 20:00

◇◆俳句  夕暮れのただ一望に冬の海

夕暮れのただ一望に冬の海

湯ざめしてシャネルの五番忘れけり

新海苔をかざしてゐたり裏表

首過ぎていま胸となるセーターよ

そのあとのゴールデン街酉の市


11月の第四木曜日はサンクス・ギビング・デー、感謝祭。
アメリカではどの家庭も七面鳥のごちそうを囲む。

その昔、アメリカ新大陸に渡った人々は旱魃に苦しみつつ、
最初のささやかな収穫を土地のインデアンたちと共に祝った、
という故事を背景にもつ、宗教的な行事の一つである。

この日、人々は教会で祈りを捧げ、
近在の人々と「ハッピー サンクス・ギビング」と挨拶を交わす。
そして、自宅に戻ると、オーブンからターキーを取り出す。
切り分けるのは、お父さんの役目。
それを、クランベリーソースやドミグラスソースで食べる。
付け合せは、スィートポテト。

一通り、食べ物が行き渡ると、席についてまたお祈りする。
みな目を瞑って、手をつないで、神に感謝を捧げる。
いつもはひょうきんな人も、神妙な顔で祈りを捧げている。

不謹慎とのそしりを免れないのは百も承知ながら、
わたしには、これがおかしくてたまらない。

感謝祭のたびに誰かがディナーに招いてくれて、
七面鳥を食べ損ねたことがないのだが、
今年はすべて欠礼することにした。

遠いアラビアの砂漠にいるマークやエリック、ダグラスは、
砂漠のどこかでターキーを食べただろうか。

夕暮れ間近、ディスカバリー紅子と、
カイマナビーチホテルの都レストランへ行く。
カピオラニパークの水族館に隣接するホテルだ。

スティーブンが、
ボクが子供の頃はヌアヌの家からちゃりで
カイマナビーチまで遊びに来たもんさ、
と言ってたが、
ダウンタウンの山側からダイヤモンドヘッド近くまでちゃりで来るなんて、
エナジー過剰なちびっ子だったんだろう。
いまだって、アルコールが入ればエナジー過剰気味ダ。

1950年代のホノルルに懐旧の念はつのる。
嗚呼、吾れノスタルジイ。

そろそろ雨季を迎えようという、この時期のハワイは、
たとえれば晩夏のそれで、まさに哀惜の一語に尽きる。

  夕暮れのただ一望に夏の海

と詠みたいところだが、
いま北半球は冬という季節を迎えているんです、これがわたしの懊悩。
ハワイで俳句を詠む難しさなのダ。

ディスカバリー紅子は愛と仕事に生きる女だが、
ここんところはエロスよりも仕事過多のご様子。
今月、39歳になったのに、
どー見ても23歳という<年齢違反>の女ダ。
そんな化け物・紅ちゃんと、
都の<霜月会席>をいただく。

35ドルでも安いと思うのに、
カマアイナ(住民)割引でさらにお安くなる。
申し訳ないので、アルコールを注文する(うそです、飲みたいだけ)
ビールでのどをしめらし、
秋田と長野の大吟醸をきゅッといく。
くまのぷーさんがまるで蜂蜜なめるみたいに、
日本酒なめているディスカバリー紅子の分も取上げて、飲む。

都の月替り会席はハワイの素材を中心につかった会席なのだが、
今回は、クラブミート(たらば蟹)を柿の種のコロモで揚げた一品がうまかった。

   <都・霜月会席>
   菊とほうれん草の胡桃和え
   秋野菜の煮物
   若布豆腐、うに乗せ
   刺身(鯛と鮪)
   たらば蟹の柿の種ころも揚げ
   鯛めしと味噌汁、お新香
   果実の七色ゼリー

ところが、ディスカバリー紅子に異変発生!
紅ちゃんがバスルームで滝のような汗を流しはじめた。
身体中の水分が毛穴という毛穴からほとばしる感じで、
紅ちゃん、しばしぐったりするも、
それが止まると、別人のごとく元気になる。

なんと言うか、
お産の女性が後産に苦しんで、
胎盤が出はらったら、きっとこんな感じか。
(経験ないので、わからんけども)

紅ちゃん、
「いったいどうなっちゃたの~ あたし~」
ねーさんにも、わからん。
ホント、滝のような汗だった。

帰り路、
モアナホテルの樹齢百年というバニヤンツリーの下で、
ジャックダニエル。
ディスカバリー紅子は、
なにやら得体のしれぬ緑のリキュールをなめる由。

ホリデーシーズンに入ったせいか、
モアナホテルは米本土やカナダからの白人が多い。

1974年、
ニクソンと田中角栄が会談したホテルである。
小佐野賢治が執念で手に入れたこの名門ホテルも、
UFJの不良債権整理に絡んで、
売却の噂が駆け巡っている。

もし、売却されれば、
日本人がこのホテルのオーナーになることは、
二度とないだろう。

かくて、
感謝祭の一日はおわる。
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by leilan | 2004-11-27 12:18


バッカスの神さまに愛されたい
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