2004年 12月 26日 ( 3 )

05年元旦、人民元の切り上げは?
外国為替市場で、中国が人民元を05年早々に切り上げるとの観測が出ている、
という↓記事。

Excite エキサイト : 経済ニュース

本来なら、05年元旦がいちばん良かったのだが、
先月来、中国に対する人民元切り上げの外圧があまりにも強過ぎる。

中国は、こうした外部からのプレッシュアーがあれば、
決して、人民元を切り上げないはずだ。

以前にも書いたのだが、
人民元は、日米欧の通貨のように、
中央銀行や財務省がコントロールする通貨ではない。
中国共産党の最大の経済手段であり、党栄光の象徴である。
そのため、外圧で切り上げたとなれば、
外部に屈した印象を中国国内に与えてしまい、
胡錦濤にとっては自殺行為となる。

1月1日に無いとすれば、切り上げはいつになるのか?

2~3月は全人代が控えているので、おそらく動かないのではないか。
最も可能性のあるのは4月1日かもしれないが、
中国でエイプリル・フール(万愚節)はポピュラーなのかしら?
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by leilan | 2004-12-26 21:47

俳句  金城次郎死すや潤目のかがやけり

金城次郎死すや潤目のかがやけり

冬スミレ少し愛してすぐ忘る

聖なる夜をんなはうさぎ見失ふ

大年の一日一夜惜しみけり


昨夜は、メソジスト派教会のミサに出かけた。
といっても、クリスチャンではないのだけれど、
あの厳かな一夜が好きで、若い頃からよく出かけたものだ。

甥のことや、イラクに駐留している友のことを祈った。

終わってから、
Tavora Tavora で、香草で燻したモイを肴に白葡萄酒。

最後に、ジャズ・クラブを覗く。
What is this thing called love をリクエスト。
ケニーのアルト・サックスがスィングする。

ケニーが眼で合図するので、
調子に乗ってチャールストンを踊る。
ドレスの裾持ち上げて。

聖夜、のはずだったのに・・・。


<業務連絡>

紅ちゃん、今夜は鯛めし。
クリスマスなんだから遅くまで仕事してないで、お夕飯、いらっしゃい!
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by leilan | 2004-12-26 09:47

ただ ひたすらにさく花は
たぶん、唐獅子牡丹のことなのだろう。

1960年代から70年代にかけて作られた、
東映の、いわゆる仁侠映画の数々に痺れた世代は、
現在、何歳以上の男たちなのだろう。

60年代と70年代では、任侠映画の趣きといったものがガラリと変わる。

60年代は、尾崎士郎の「人生劇場・残侠篇」の描く世界観が根底にあった。
窓の外にしとしと雨が降るあばら家で、
鶴田浩二の飛車角と藤純子のおとよが押し黙ったまま、
長い長い時間が過ぎる。
それを、カメラも黙って、中ぐらいの俯瞰で見ている。
ときは大正の末、
「男も女もつらいけど、男と女はなおつらい」
の世界である。
飛車角の鶴田浩二が服役中に、
おとよの藤純子と情を交わしてしまう宮川が高倉健だった。

それが70年代に入ると、任侠から戦後の暴力団抗争、
いわゆる実録シリーズ「仁義なき戦い」が脚光を浴びていく。
菅原文太の「そうじゃけんのぉ」という広島弁の凄味、
荒々しい手持ちカメラの映像が、
まるでドキュメンタリーを見ているかのような生々しさだった。

昭和40年代のわたしは、フェリーニの「道」に涙し、
スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」に新世紀を予感しながら、
その一方で、東映の映画館にも通いつめていた。
ヤクザ映画全盛の時代に何百本観たかわからない。
その中で、とりわけ心に残るのは「昭和残侠伝」シリーズだった。
俗にいう、健さんの「唐獅子牡丹」である。

唐獅子牡丹は、もちろん背中の刺青の柄である。
牙を剥いた唐獅子が左下を睨み、
その背に渦巻く尻尾に絡んで、
大きな赤い牡丹と、小さな白い牡丹が咲き乱れている。
ポスターの惹句がまた凄かった。

「地獄みやげに拝んでおけよ、雨のしずくか血か汗か、濡れております唐獅子牡丹」

「いまが盛りの菊よりも、きれいに咲きます唐獅子牡丹」

「仁義渡世は男の闇か、闇と知ってもなおドス暮らし」

こんな文句が真っ赤な字で、映画館の大看板に書かれ、
スピーカーからは、おなじみ健さんの唐獅子牡丹が吼えていた。

  義理と人情を 秤にかけりゃ
  義理が重たい 男の世界
  幼なじみの 観音様にゃ
  俺の心は お見通し
  背中(せな)で吼えてる 唐獅子牡丹

ラ行が巻き舌になるのである。
その巻き舌の不貞腐れがアナーキーでたまらない。
哀しいというのでもなく、
嬉しいというのとも違う。
勇むでもなく、かと言って萎えるでもなく、
これはもう痺れというしかないのであろう。

あの頃、新宿も池袋も上野も渋谷も、丸の内や銀座でさえ、
東映の小屋の通路にはデモのゲバ棒が転がり、
池辺良の風間重吉が現れると、
「ヨーシ!」
金子信雄が狡そうな顔で出て来ると、
「ナンセンス!」
の声が飛んだ。

いざ殴り込みのシーンになると、前の席で、
思わずヘルメットをかぶり直すシルエットが見えた。
顔面蒼白の、
痩せ細ったヒロイズムが、
映画館の中で身悶えていた。

そんな時代だった。

53歳の国語教師もあの時代の気持ちいい感傷を、
どこか引き摺って生きて来たのだろう。
それが、つい、
「ヤクザが書くような言葉」と口を滑ったことは容易に想像できる。
彼の感傷を否定も肯定もしないが、
尾崎士郎の「人生劇場」が、
角川文庫でも新潮文庫でも絶版になっているという事実を、
この教師は知っていただろうか。

そして、これは、ある時代の男の世界であり、
ラ行の巻き舌に痺れる気持ちは、なかなか女には解らないだろう。
まして、三高の男に血道を挙げた女などには。

人情の機微などというものは、もはや絵空事である。
わたしの時代にも生徒をからかう教師はいたが、
相手を選んでからかっていた。

中学のとき、国語の宿題をうっかり忘れたことがあった。
担当は杉山先生という方で、
宿題を忘れた罰として何か芸をやれ、という。
わたしは、振り付きで「スーダラ節」を唄い、喝采を浴びた。
そういうことが気にならないたちの性格だということを見抜いて、
杉山先生はやらせた、ということも理解していた。

後年、クラス会でお会いした先生はスーダラ節を覚えておられた。
それには、こちらの方が驚いたが、
あの、どこかのんびりした時代が懐かしい、とも仰っておられた。
よく作文や詩を書かせる先生だったが、
生徒たちの作品をからかうようなことは決してなかった。

いまも、こうした教師たちの方が多数であろう。
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by leilan | 2004-12-26 08:45


バッカスの神さまに愛されたい
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