2006年 01月 24日 ( 2 )

『俳句』  チャイナタウンは春節

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    寒造杜氏は今も褌一つ


    チャイナタウン春待つ新聞売は老い


    大焚火して水夫らを見送りぬ


    冬の雨饅頭熱き別れかな


    アイリッシュ・パブ出でて眩しき冬鴎


    をじさんの春のハーレー波止場まで


    頬骨や離れて匂ふ水仙花


    飾らねば雛(ひいな)が泣くと母の言ふ
    

    向かうところ敵なし鯨のふぐり


    赤ちゃんの生まるる星の冬木の芽




■六尺さんちのお嬢ちゃん、一人でよくがんばったね♪
  ここをクリック!

    
    次女ちゃんにもらひしいのち雪だるま



■ホリエモン逮捕

恐らく検察は、
ホリエモン的マネー・メーキング・システムが、
アンダーグラウンドと結びつくことを警戒したのでしょうね。

株式分割の良い面だけを食べてしまったので、
あとはダークサイドが働くわけだ。

その歪みがあとになって矯正できないほど膨らむことへの懸念。

ライブドア関係者が主張するような意図的な捜査方針は確かに感じられる。
それを彼等が言うように国策捜査と呼ぶかどうかは別として。

しかし、今回の捜査とライブドアの悪しき評判の慣行と、
どちらが日本の社会にとって望ましいかは言うまでもないこと。

それにしても、外国特派員協会でホリエモンが言った
「悪い人」とは一体誰だったのか。

エンロンのときもニューヨーク市場は当初ガタガタした。
しかし、ライブドアの実態経済における存在感はエンロンよりはるかに小さい。

もっとも、昨年後半の急騰をどう考えるかという課題は残っている。

プロ野球リーグ騒動のとき、
ナベツネだけは毅然とホリエモン批判をやっていたが、
こうした裏事情を知ってのことだったのか。

証券取引等監視委員会。
今は捜査に協力しているが、この機関の問題の一つは権限不足。
その上部の金融庁のそれも指摘されるべきだろう。
地検特捜部が乗り出す前に、
これらの機関が出来ることは多かったはずだ。
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by leilan | 2006-01-24 09:14 | 俳句

『秀句鑑賞』

 雪はげし抱かれて息のつまりしこと  橋本多佳子


美女の誉れたかい高貴の未亡人、橋本多佳子。
ゆくところ座はどこもが華やいだという。

明治32年、東京本郷に生まれる。
祖父は琴の山田流家元。父は役人。

大正6年、18歳で橋本豊次郎と結婚。
豊次郎は大阪船場の商家の次男で若くして渡米し、
土木建築学を学んで帰国、財を成した実業家。
ロマンチストで、芸術にも深い造詣があった。

結婚記念に大分農場(10万坪)を拓き経営。
9年、小倉市中原(北九州市小倉北区)に豊次郎設計の三階建て、
和洋折衷の西洋館「櫓山荘」を新築。
山荘は小倉の文化サロンとなり、中央から著名な文化人が多く訪れる。

理解ある夫との間、四人の娘に恵まれる。
まったく絵に描いたような幸せな暮らしぶり。
しかし突然である。

  月光にいのち死にゆくひとと寝る

病弱で寝込みがちだった豊次郎が急逝。享年50歳。
このとき、多佳子38歳。
葬後、ノイローゼによる心臓発作つづく。

掲句は、寡婦になって12年、多佳子50歳のときの作。

降り止まぬ雪を額にして、
疼く身体の奥から夫の激しい腕の力を蘇らせた。

物狂おしいまでの夫恋。
微塵たりも二心はない。
そうにちがいない。
だがしかしである。

ここに多佳子をモデルにした小説がある。
松本清張の「花衣」がそれだ。
主人公の悠紀女が多佳子。

 悠紀女は癌を患って病院で死んだ。
 その後になって、自分は悠紀女と親しかった人の話を聞いた。
 彼女には恋人がいたという。
 対手は京都のある大学の助教授だった。
 年は彼女より下だが、むろん、妻子がある。
 よく聞いてみると、その恋のはじまったあとあたりが、
 悠紀女の官能的な句が現れたころであった。

とするとこの夫恋の句をどう読んだらいいものやら。
多佳子が官能の句を詠みはじめたのは40代になってからだ。

まあ、しかし、
息のつまるほど抱かれたことがなければ、
こんな句は詠めるものではない。
「雪はげし」なんて季語に結びつけられないよ、普通は。

(雪はげし・冬)
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by leilan | 2006-01-24 09:01 | 秀句鑑賞


バッカスの神さまに愛されたい
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