カテゴリ:俳句( 213 )

『俳句』  Stay Foolish!  

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    大子規の頭の前に悴(かじか)めり


    燗酒や舌ゆきたがる抜歯痕


    月島発もんじゃ風味のコートかな


    石段に冬日ぱいなつぷるちよこれいと


    貧乏ゆすり隔世遺伝する湯ざめ


    むかうから父が来さうな冬木立


    雪だるま迎ふる佐々木理髪店


    なべ焼の横に乱歩の丸眼鏡


    山茶花の陰からぬっと雨男


    腹立ちのほどけてきたる根深汁



■俳句について


俳句は世の片隅に密かに、慎ましく生き続けるもの(飯田龍太)

手垢のついた言葉は使わない(後藤綾子)

俳句は子供にも作れて易しいが、大人にも作れて難しい(曽我弧泉)

作句は言葉の引算、鑑賞は言葉の足算(曽我弧泉)

人間に対する思いを失っては、見事な俳句は生まれない(飯田龍太)

俳句は命をいとおしむもの(飯田龍太)

一度きりの人生を、一行きりの俳句に賭ける(曽我弧泉)

俳句は平凡な風景を、あらためて感じるところに、特色がある(飯田龍太)

名人はあやふき所に遊ぶ(芭蕉)

余韻は生命(虚子)

俳句は殊に情のねばりを嫌うべし(乙字)

すべて滑稽はあわれであり、さびでありしおりでなければならない(寺田寅彦)

俳句は省略、こね回してはいかん。平明で一個所決まっておればよい(阿波野青畝)

因と過程は詠むな(藤田湘子)

「さびしさや」と感じたところは「しづけさや」と表現する(上田五千石)

この世を憂き世ではなく、浮き世として詠んで行きたい(森澄雄)

人生五十年も八十年も、同じように一瞬である。
要は取り返すことの出来ないこの時間を生きているということである。
今を大事にし、今に永遠を掴み、無限を詠むことである(森澄雄)

作句は、われが、唯今、眼前にしたものを詠め(上田五千石)

俳句は意味ではない(奥坂まや)

深く見てさらりと表現したい(倉田紘文)

実に即して虚を求める(林田紀音夫)

季語に語らせる(老川敏彦)

俳句の本質はリズム、沈黙の表現、外におさえて内の虚空にひびかせる。(平井照敏)

俳句は謙虚の詩(後藤比奈夫)     

削るのは良いが、付け加えるな(後藤夜半)

何もしていない時がいちばん充実している。
何かをしている時間より何もしていない時間が大切なんだ。
そのなんでもない時間が俳句を生む(森澄雄)    

いい句は狙った的のもう一つ奥に思いがけなく命中している句だ(高柳重信)    

他人の句を味わわないで、どうして自分のいい句が出来るか(森澄雄)

俳句は瞬間の永遠化(鷹羽狩行)

自分自身の身を軽やかにしろ(藤田湘子)

遥かなものへ繋がるために、俳句を詠む(正木ゆう子)

芸に遊ぶは至境なり(孔子)



【追記】

玄耕庵日乗の素楽さんが、
すごーい自販機の写真をアップしてくださいました。
ここをクリック。

素楽さん、ありがとうございました。
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by leilan | 2006-01-10 10:51 | 俳句

『俳句』  新春十句  ・・・うぶなあの日に帰れない

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    親不孝してきて恋し七日粥


    初夢のやさしき母語に目覚めけり


    ゆふぐれや誰ぞ忘れし独楽一つ


    人妻を見つむ獅子舞口あけて


    御降りの真っ只中を水買ひに


    パンのみに生くるにあらず福寿草


    歯固めの山田五十鈴と森光子


    初声や人の話を聞いてない


    小走りの母に負はれし破魔矢の子


    人日の茶柱すこしメランコリー




啄木の「ローマ字日記」を読了。
実にさわやかでない内容。

勤め先の朝日新聞で給料を前借して、
翌日から二週間も休んでしまったら、
そりゃ、信用もなくなるだろうよ。

私が3億円の宝くじに当って、
しかもタイムマシンを発明したら、
まず、明治時代に行って、
樋口一葉と石川節子にお金をあげて
生活を立て直させてやりたい、と、いつも思っている。

もちろん、啄木には直接、お金を渡さない。

                          
        
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by leilan | 2006-01-07 08:10 | 俳句

『俳句』  新春十句 どこまで続くぬかるみぞ・・・

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    繭玉の垂れてかすめる眉間かな


    初弥撒やパーマン2号飛んでゆく


    移民二世いま百歳の手鞠唄


    初風呂やヘアピン置かれ洗面台


    素っぴんでトーストかじる三日かな


    乳房吸ふいとほしき背に初明り


    初暦まるまる睫毛パーマかな


    弾初やうなじ並んで連弾す


    買初のレシート裏に一句かな


    初夢の男ささやく嘘始め


    



いまラジオから、
ビートルズの「抱きしめたい」が流れている。

この曲を聴くと思い出すのはなぜか、
東京オリンピック、そして叔父のことだ。

父のいちばん下の弟は、私と12歳しか違わない。
だから、もの心ついたとき叔父はまだ中学生だった。

家族は皆、叔父のことを「よっちゃん」と呼んでいたが、
私だけはよっちゃんを「先輩」と呼んでいた。
よっちゃんが「そう呼べ」と言うのだ。
叔父というより、年の離れた兄という感じだった。

先輩の中学はAZABUだから、そこそこは優秀だったのだろうが、
学校でタバコを吸っていたのが見つかって、
父兄が呼び出しをくらうことになった。

ところが、先輩の母親である私の祖母は明治一代女だ。
さすがの先輩も祖母に言うのはビビったのだろう。
義理の姉である私の母に、そっと打ち明けたそうだ。

母が赤ん坊の私をおぶって学校に出向くと、
担任の先生は紙袋の中から一冊の本を取り出し、
「実は、授業中にこんなものを読んでいましてね」
と、苦笑いされたそうだ。

そこには当時のベストセラー、
謝国権の「性生活の知恵」があったという(笑)

先輩は洋楽の類が好きだった。
ビートルズもローリング・ストーンズも先輩がよく聴いていた。

当時、ビートルズのシングル盤はキャピトルレコードの赤い盤のやつで、
レーベルは紺に金文字で書かれていた。

「抱きしめたい」が流行ったのは、東京オリンピックの頃。
I wanna hold your hand のリフレインを、
「あわのほうゆうへい」と聴き覚えていて、
先輩にねだるときは、
「あわのほうゆうへい、かけて~」と言っていた。
まだ小学校2年生だった。

今も、この「抱きしめたい」を聴くと、
「あわのほうゆうへいええええ~」
と脳裏に平仮名が浮かび、
その彼方を、エチオピアのアベベが裸足で駆けてゆく。


    
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by leilan | 2006-01-05 20:03 | 俳句

『俳句』  新春十句

あけましておめでとうございます。
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    去年今年爆竹走るオアフ島        (去年今年=こぞことし)


    若水の珈琲うまし未明かな


    初日の出ひとりは海へ走り出す


    あらたまの少女の唇の真一文字


    やはらかき春着を濡らす日照雨かな   (日照雨=そばえ)


    初鏡白髪すきまに納まらぬ


    凧はるか小さくなって重くなる


    一椀の雑煮ちちはは想はざる


    姫はじめいろはにほへと未然形


    ワイキキの片隅にゐて寝正月



本年もよろしくお願い申し上げます。


    
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by leilan | 2006-01-02 19:37 | 俳句

『俳句』  行く年の羅馬のからす巴里の鳩

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           行く年の羅馬のからす巴里の鳩  麗蘭





ハワイは眩しいばかりの碧空の12月30日を迎えています。

じつは風邪で寝込んでまして、まだ、脳ミソぼよよ~ん。
たぶん、ここに来て疲れがどっと出たのね。

今月のはじめに友人の乳がん手術があって、
あれも独り者だから、
やれご飯だ、掃除だ、洗濯だ、なんて世話してて。

22日に一緒にドクターのところへ行って、
「もう、大丈夫!」
の言葉を聞いたらホッとしちゃって、
油断しました、私。

そんなこんなで冴えない年の瀬ですが、
脳腫瘍の治療を1年半にわたり続けてきた甥っ子が、
来月の17日に無事退院できる運びとなりました。

その間、ブログのお仲間にも励ましていただきました。
ありがとうございました。

小学校に入学したばかりのときに発病し、
その後はずっと養護学校の先生がベッドまでいらしてくださって、
国語と算数を中心に指導してくださったそうです。
そのお陰で2年生に復学できるのだとか。
ありがたいと思いました。

甥の完治が何よりうれしく、
私にとっては最高の年の瀬です!

どうぞ、みなさんもよい年をお迎えくださいませ。

来年もひとつよろしく! アロハ!





            泳げない実家の愛犬・あきた君でーす。
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             へーっくしょん移してなほす風邪退治

                
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by leilan | 2005-12-31 15:53 | 俳句

『秀句鑑賞』

 地の涯に倖せありと来しが雪  細谷源二


昭和16年、
細谷源二は新興俳句弾圧事件に巻込まれて検挙され、
2年余の獄中生活を送った。

その後、終戦直前に北海道開拓移民団に加わり、
一家をあげて北海道に渡る。

掲句には、期待に胸をふくらませて北海道に渡ったものの、
厳しい現実に直面している作者の思いが込められている。

正岡子規以来俳句の中で、
「しあわせ」が詠まれることはあまりなかったといっていい。
当時の俳句は貧乏と病気が主なテーマであった。

源二の句の「倖せ」も願望にとどまっている。

しかし、昭和も越えて平成になると
俳句の中にも確かな「幸せ」が登場してくる。


  しあわせに目もあけられず花吹雪  鷹羽狩行


今日、日本はクリスマス。
細谷源二が希求したささやかな「倖せ」に思いを馳せつつ、

メリークリスマス。

(雪・冬)
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by leilan | 2005-12-26 07:47 | 俳句

『俳句』  聖夜いま東京タワー点灯す

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             聖夜いま東京タワー点灯す  麗蘭







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              I wish you.....a

                 Marry Christmas

                  Happy Hanukka

                 Mele Karikimaka
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by leilan | 2005-12-25 08:31 | 俳句

『俳句』  集まって来てフラフープ四温晴れ

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           集まって来てフラフープ四温晴れ  麗蘭





30年以上も前に書かれたものだろうが、
山口瞳の『男性自身』にこんな一文があった。


  私たちが結婚することになったとき、先輩が、こう言った。

  「夫婦が、夫婦としてレールに乗るようになるには十年かかる。
  隣に寝ている女が俺の女房だと思うようになったのは、十年後だった」

  いまから思うと、本当にその通りである。私もそう思う。

  それ以後の夫婦を支えるものは他者である。外的なるものである。
  夫婦以外の何かが夫婦を支えるようになる。

  共同の敵が夫婦をささえる。
  たとえばそれは病気である。貧困である。戦争である。
  あるいは子供である。親類縁者である。友人たちである。

  夫婦愛というようなものには実態はないと思う。それは幻である。

  げんに、私は、まことに当たりまえの話であるが、
  女房より美しい女、優しい女、すぐれている女に何人も遇ってきた。
  女房の側から言わせても同様だろう。

  それならば、なぜ、夫婦として共同生活を営んでいるのだろうか。

  私の父が病気する。父は我儘者である。
  その父を女房が献身的に看病する。
  子供が病気をする。女房が寝ずに付き添う。

  こういう女房を、どうして私がポイすることができましょうや。

  従って、私は、愛は不毛であるか、とか、
  夫婦間の愛の砂漠について、なんていうテーマは、
  ちゃんちゃらおかしくてならないのである。

  私が夫婦について感ずることは、縁ということだけである。
  そう考えるのが、すなわち二十年のキャリアである。


こうした夫婦の機微に無縁な人生を過ごしてきた。
しかし、頭の中で想像しても、これはなんとなく理解できる。
おそらく、自分の両親を見てきたからであろう。

ところが、女房に死なれた亭主族というものはあっという間に再婚する。
すでに六十であり、七十である。
死なれた当座は嘆くことひとかたでないので、
まさかと思っていると、三回忌もたたないうちに再婚する。

俗に愛妻家といわれる人にこのことがある。
だからあてにならないと、とがめているのではない。

子供たちは去って久しくなる。
ひとりでは何も出来ない生活なのだろうと察するのである。

本心では再婚したくなくても、せざるを得ない人もあろう。
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by leilan | 2005-12-23 18:34 | 俳句

『俳句』  ゴスペルは海へ流れて冬薔薇(ふゆそうび) 

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            ゴスペルは海へ流れて冬薔薇  麗蘭





青木玉さんの『底のない袋』(講談社)に、こんな一節が。


  むかしの人は夜、寝しなに、
  「寝るぞ根太、頼むぞ垂木、梁、柱、なにごと有れば起こせ屋の棟」と、
  家中の要所要所に我が身を守れと言葉をかけて横になる慣わしを持つ人が
  あったそうだ。


1993年7月、北海道の奥尻島を震度6の地震が襲ったとき、
私は、すぐ隣の礼文島の民宿でお風呂に入っていた。

今までに経験したことのない揺れだ。
正直、これはやばいかも、と思った。

しかも、間が悪いことに、全裸だ。

大きな地震というのは、
単純に縦や横に揺れるのではない。

マッチ箱をイメージして、
それぞれの柱の対角線がねじれるように揺れるのだ。
ゴーゴーと不気味な音をたてながら。

あのときほど、
建築物に柱があるということを意識したことはなかった。
昔の人ではないが、頼むぞ柱、なんとか持ちこたえてくれ、と祈った。

今回の耐震強度偽装事件は、
「頼むぞ垂木、梁、柱」というごくふつうの人々の日々の祈りを踏みにじった。

一級建築士の誇りも道義心も捨てた姉歯さんは、
「不本意ながら、やってしまいました」とか、
「自分が弱かったのです」などと、
「醜さ」を「弱さ」でカムフラージュする発言をした。

心が弱いという言い方は、
どこか「人間味」というものを感じさせ、
同情を誘うものがある。

でもそれは、狡い欺瞞だろう。

今日の日本では、
賢く見られる話し方とか行動の仕方とか、
さまざまなマニュアル本が売れいる。

頭が悪いと思われることに対して、
とても神経質になっている人が多い。

その一方で、
心の弱さはどこか善良なイメージがあるために、
そう見られても構わないという傾向がある。

お利口さんに見せるためのマニュアル本は、
他者と摩擦を起こさないテクニックや、
他者によく思われるための表層的なハウツーであり、
帳尻合わせの処世にしかすぎない。

それは、自分が属する現実が不本意なものであっても、
やむを得ないものとして諦めたうえで、
自分にとって一番楽で都合のよい人生を歩めばいいではないかという、
スタンスの上に成り立っている。

そのスタンスのことを、
今日の社会は「頭がいい」などと言うが、
それは単に小賢しいだけで、
小賢しさというのは本当の意味の頭の良さとは、
正反対なのではないかと思う。

なぜなら、
小賢しさというのは、
自分の人生の可能性の幅を最初から狭めてしまうからだ。

自分が潜在的に持っているかも知れない可能性に、
ブレーキをかけてしまうような行為は、
人間として愚かなことだろう。

もちろん、
何かにチャレンジすることによって生じるリスクを回避する、
という意味において「頭がいい」などと言われるのだが、
それは短期的な視点である。

長期的に見れば、
チャレンジから逃避し続けることで、
自分の潜在的な力を損なっていくわけで、
どこかでそのしわ寄せがくる。

姉歯さんにとって、
建設会社の要求に対して、
「ノー」と言うことがチャレンジだった。

それが出来なかったのは、
弱かったからではなく、小賢しかったからだ。

そして、「ノー」と言えないしわ寄せが、
「偽装設計の仕事はすべて姉歯へ」という構図になって、
そこから抜け出せなくなっていった。

世の中に、叩けば埃の出ることはごまんとある。

かつて、祖父のいちばん下の弟は日本橋で繊維を扱っていた。
その大叔父が朝鮮戦争の頃、
商社からの納品督促に音を上げていたそうだ。

それは落下傘の布地だったそうだが、
開いても開かなくても構わん明日までに納めろという注文だった。

大叔父は注文を断った。
しかし、その注文はきっとどこかの問屋が受けたはずで、
飛行機から空中に飛び出したら落下傘が開かず、
日本の納入業者を呪う暇もなく、
朝鮮半島の大地に叩きつけられた米兵が何人かいたに違いない。
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by leilan | 2005-12-21 12:05 | 俳句

『俳句』  焼芋を食べて忘れるほどの用

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            焼芋を食べて忘れるほどの用  麗蘭




『わが青春の台湾 わが青春の香港』邱永漢(中央公論社)を読んで、
邱永漢さんの実母が日本人だったことをはじめて知った。

邱さんの母親、堤八重は久留米生まれの日本人。
彼女が邱永漢さんの父親である邱清海と同棲を始めたとき、
40歳前だった邱清海にはすでに妻がいた。
名前を陳燦治という。

たまたま邱清海と陳燦治との間には子供がなかった。
こういう場合は古い妻を離縁して新しい妻を迎えるというのが、
日本的な考え方なのかもしれないが、
台湾人を含めて中国人一般は、そういう風には考えない。

いったん縁のあった女は一生面倒見る、
というのが人間らしいやり方だというのだ。
それはそうかも知れない。

もちろん八重にしてみれば面白くはなかったと思う。
当時の日本の戸籍法と台湾の戸口法の間には、
相互をつなぐ規定がなかった。

日本人戸籍を有する人が植民地の人と夫婦の契りを結んでも、
法律上は夫婦として認められない。

そんなわけで、妻妾同居の暮らしのなかで邱永漢さんは生まれた。
1924年(大正13年)のことである。
彼の上に姉が1人おり、長男として邱永漢さん、
そして妹と弟がそれぞれ4人ずつ続いた。
10人兄弟姉妹である。

両親が戸籍上の夫婦ではないので、
生まれた子供はどちらかの子供として届け出る必要がある。
しかし、これがむつかしい問題をはらんでいる。

父親の籍に入れれば(つまり邱清海と陳燦治の子供として)、
もちろん邱家の相続人とすることができるが、
当時台湾は植民地であるから、
その後は台湾人として教育上も差別をうけるし、
社会に出ても苦労するだろう。

一方、母親の籍に入れれば日本人になるが、
私生児として届け出なければならない。

結局、両親は、姉と邱永漢さんだけを台湾人とし、
8人の妹弟は私生児として日本は久留米の母親の戸籍に入れた。

こうして邱永漢さんは、
同じ屋根の下に実母と法律上の母のふたりの母親がいる、
というちょっとかわった育ち方をされた。

ところが面白いのは、
実母の八重さんより血のつながっていない陳燦治の方が、
邱永漢さんにとってはいわゆる「お母さん」であったこと。

本書で、ちょっと胸がつまるのは、
東大に合格して日本に旅立つ「息子」のために、
何十年も家から出たことのなかった陳燦治が、
纏足のよちよち歩きで基隆港までついて行き、
岸壁で内台航路の船をいつまでも見送っていたというところだ。

東大在学中にこの母は亡くなり、
邱永漢さんは二度と再びこの世で相まみえることはなかった。
生みの母親のときは泣かなかったが、
この育ての親の訃報にはどうしても涙をとめることができなかった、
と書いておられるのが印象に残った。
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by leilan | 2005-12-19 16:41 | 俳句


バッカスの神さまに愛されたい
S M T W T F S
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