カテゴリ:書棚( 11 )

『書棚』  雨にぬれても / 上原隆


雨にぬれても


上原 隆 / 幻冬舎
ISBN : 4344406532
スコア選択: ★★★★




普通の人々の普通の生活を取材して、
センスのいい短文にまとめた「コラム・ノンフィクション」。
ノンフィクションとはいえ、
まるで切れ味のいい短編小説を読んでいるかのように錯覚する。
胸に残る風景が語られる。

その中の一篇、「雨にぬれても」はあとを引く。

語り手の竹内敏子が所沢霊園にいるシーンから始まる。
勤め先の社長が4年前に自殺してから、
彼女は毎月命日になると墓まいりしている。

「竹内さんと社長とは恋人の関係だったんですか?」と尋ねられると、
彼女はこんなふうに答える。
「そんなんじゃありません。社長には奥様も子どももいたし、
どちらかというと父親みたいな存在だったかな」

小さな頃に両親が離婚し、
竹内は母親にひきとられたので実父を知らない。
それで10歳年上の社長を父親のように思いたかったのかもしれない。
27歳の時に離婚し、社長の印刷屋に入る。
やがて会社は生命保険会社のPR誌を作るようになり、
編集プロダクションのようになった。社員は10人いた。

ところが10年くらい前から不況になり、社員が減り続け、
最後は社長と竹内だけとなり、おまけに6000万近い借金が残る。
竹内は自分の貯金を会社のためにつぎ込むようになって、
とうとう4年前に社長が自殺する。

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私の胸に残るのは次のエピソードだ。
社長の趣味は競馬だった。
その土曜の風景が語られる。
竹内が10時頃出社して、社長が昼頃来て、
いっしょにお昼を食べて、車で後楽園まで馬券を買いに行って、
2時頃からおしゃべりしながらテレビを見て、
4時頃になると、じゃあ帰ろうかと社長の車に乗る。
竹内の家が途中にあるので、
いつも社長の車に乗って、だべりながら帰る。

竹内がコーヒーが飲みたい、
社長がラーメンが食べたいってときは、
東大島のミスタードーナツに寄る。
隣が本屋さんなのでよく文庫本と競馬新聞をそれぞれ買って、
明日の予想をして、じゃあねって帰っていったという風景。

毎週土曜はそうして過ごしていたという。
たしかに、男女の関係ではない。
しかし、土曜は仕事をほとんどしてないことに留意。

2人とも出社しなくてもいいのだ。
いっしょにお昼を食べて、馬券を買いにいって、
テレビを見て、それで帰るだけだ。

つまり、社長も竹内も、
週末に居場所のない人間なのである。
いや、週末だけではない。
会社以外に居場所のない人間たちといっていい。
仕事が忙しいから遅くまで残っていたわけではないはずだ。
帰ろうと思えば、帰ることは出来る。
帰りたくないのだ。

社長と竹内敏子の関係が、男女の関係よりも、
そして疑似親子関係よりも、もっと濃密な関係に見えるのは、
居場所のない人間同士だからである。
その寄り添うかたちが羨ましい。

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by leilan | 2005-06-07 23:45 | 書棚

『書棚』  すべての女は痩せすぎである / 姫野カオルコ


すべての女は痩せすぎである
姫野 カオルコ / 集英社
ISBN : 408747710X
スコア選択:★★★★




この著者の本は初めて読んだ。面白かった。
こちらの気分にピタリと着地する表現が随所にあって、それが気持ちいい。

たとえばこんな表現。
「燃えるゴミと燃えないゴミを徹底的に区分けして出さずにはおれない市松模様のような性分は、ときとして失礼になるのだ。しぼり染めのようなファジーな感覚を体得したいものではある」

ふーむ、とうなってしまうような表現である。
これまでここに書かれているようなことが気分としてはありながら、
ピッタリくる言葉を持たなかった私は、
しめしめ、これからはこの言い方が使えるわ、と大いに満足した。

余談だが、友人の娘が小学校の頃、
レストランではっきりとクレームをつけた母親を称して、
「ママはハキハキした性格だから」と私に言った。

きつい、こわい、では剣がある。
そこで子どもなりに考えて「ハキハキ」と表現したのだが、
私はこの言い方が気に入って、
何かというと「ママはハキハキした性格だからね」と利用させてもらったものだ。

さて、この本の中には、美人だ、痩せている、ハンサムだ(これって死語?)、
太っている、京美人・・・・など、
大抵の人が何となくそう思っていながら、
じゃあその基準は何? と問われると、
やっぱり「何となく」としか答えられないファジーな基準が取り上げられている。

これらの言葉から思い浮かべるイメージというものはあるが、
一体何を基準にして美人だったり、痩せていたりするのだろうか、
と考えるとはて? と思うものが次々に登場する。

冒頭に登場する京美人。
この言葉からイメージするのは、色が白くて和服を着ている、
そして、××どすえ~、と喋る女性。

だが、姫野さんはこんな京都出身・京都育ちの女性に
ついぞ会ったことがないと書いている。

しかも、
「杉本彩のような洋服を着て、由美かおるのようにモダンバレエでくのいちをして、大信田礼子のようにプレイガールにならんとあかへんがな、ほれ」
とつっこみまで入れている(3人とも京都出身である)。

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そう言えば、京都生まれ、京都育ちの友人は、
京都出身者でないにもかかわらず、着物姿で、いかにも京都人どす、
というような顔をしてマスコミに登場する人を見ると「けっ」と怒り、
「私の目の黒いうちはあの人を京都人やなんて認めへん」と怒っている。
その度に、まあまあ、となだめる私である。

この本があんまり面白かったのでついつい余談が多くなってしまったが、
いちばん気に入ったのは、「彼の声」の章。
彼とは吉行淳之介である。
これは高校生の頃、吉行淳之介と電話で話していたという話なのである。
書かれていることはとっても面白い。
吉行淳之介の声を聞いたことがあるような気持ちにもなる。

その昔、田村町の四川飯店や帝国ホテルでお見掛けしたことはあった。
色男のフェロモンがただよっておられました。


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by leilan | 2005-05-24 20:07 | 書棚

『書棚』  あたく史外伝 / 小沢昭一


あたく史 外伝

小沢 昭一 / 新潮社

スコア選択: ★★★★★





小沢昭一が雑誌「シンラ」や「新潮」に載せた、日常であったことや思い出、それをまとめた随筆集である。

中学校時代、たくさんの毛虫を取ってきて授業中に教室に放し、教師を慌てさせる。怒られても平気なもんだから、翌日の父兄会で小沢さんの母親が担任の先生にこっぴどく叱られる。最後に母親が「でも、オモシロイ子ではありませんか」。この一言に思わず喝采する。たいしたもんだ。この母にして、あの小沢昭一あり。

ある高校が小沢さんの一人芝居を買い切った。その公演が終わり、生徒たちが楽屋訪問する。一人のリーダーと覚しき生徒の質問にべらんめー調で答え、帰りに「僕、アヤノミヤ(礼宮)です。母がフアンです」と言われ、今更言葉遣いを変えるわけにもいかず、「そうかい、じゃ、オッカサンによろしくね」と言ってしまった話に腹の皮がよじれた。

山椒魚のオトウサンが川底に1mほどの横穴を掘り、メスと若いオスをそこに呼び寄せ、産卵をすますとメスも若いオスもその穴を出て行き、オトウサンはひたすらその穴で卵を守り、一人前に育つまで一ヶ月も二ヶ月も多勢の育児に専念する姿に触れ、未来のヒト科のオトウサンを思い浮かべる。井伏鱒二の名作「山椒魚」をもじり、そこで一句。

    山椒魚井伏鱒二の貌で棲む  小沢昭一

本の帯に「懐かしき昭和のこころ」と書かれている。もとより私は復古調の女であるが、この本を読むと昭和が恋しくてたまらない気持ちになる。

お互いを許容して生きていくことが出来た時代は、もう二度と来ないのであろうか。小沢さんの名人芸に笑った後、しんしんと増す淋しさが私を襲った。



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小沢昭一が唄う 

 ♪靴が鳴る
               
 ♪お猿のかごや
               
 ♪夏は来ぬ
               
 ♪雨降りお月さん

    
小沢昭一の小沢昭一的こころ
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by leilan | 2005-05-13 11:31 | 書棚

『書棚』  定年ゴジラ / 重松清



定年ゴジラ

重松 清 / 講談社
スコア選択: ★★★★



開発から30年のニュータウン「くぬぎ台」で定年を迎えた4人組の仲間の定年後の生活を、哀感を込めて描いた物語である。

この仲間の一人藤田さんがこのニュータウン建設にたずさわったのであるが 、建設にあたって作ったニュータウンの模型が町内会館に保管されていることがわかり、それを物置からもってきて、ゴジラのように踏みつぶすことからこの物語は始まる。文中にこの題名に関連して次の言葉が象徴的である。「俺たちは定年ゴジラだ。ひたすらなにかを築けあげてきた俺たちが、今初めてそれを壊している」

あらすじは追わないことににするが、定年後のニュータウンの生活、共感できる行動、言葉に思わず肯いてしまう。曰く、悠々とはほど遠い「憂憂自適」とは、その気持がわかって、せつない。「濡れ落ち葉」という言葉も胸に響く。定年退職後、暇を持て余して、人恋しさに妻の出かける先に宛てもないのについていく。車のボンネットに貼りつく、濡れ落ち葉のように。「余生」という言葉も気にかかる。「余生って余った人生だぜ、・・ 俺達がいま生きているのは、自分の人生の 余った時間なんだよ。そんなの楽しいわけないよな」

話は家族のこと、町内のことなどで 、彼らは現役時代に考えられないことに遭遇するが、一つだけ内容に触れることにする。 この小説の主人公と言うべき山崎さんに中学校時代の級友で、あちこちで詐欺を働いているチュウが訪ねてくる。チュウは山崎さんに向かって言う。「ここはいい街だな」 「みんな勝っているだろうな」  「勝っているってなにがだ?」  「いろんなことだよ。だってそうだろう、負けたやつは最初からここに住めないし、途中負けたら出ていかなくちゃいけない。いい街だけど、つらい街だよな」  「別に勝負してるわけじゃないけどな」  「してるよ。自分でも知らないうちに勝負してるんだよ。それで、知らないうちに勝ちつづけてるんだ」

都会でのニュータウン生活者の意識を、著者はチュウを通して言わせている。頑張れなかった人や負けた人を許してくれない街がニュータウンであるというチュウの考えは、この小説のもう 一つの側面として考えさせられてしまった。


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   それにしても、重松清。

   私より少し若かったはずだ。
   この本を書いた頃はまだ、
   30代じゃなかったのか?



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定年ゴジラたちに捧ぐ☆

♪South of the Border

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by leilan | 2005-05-08 12:16 | 書棚

寺山修司を聴くとノスタルジアが込みあげてくるのだ
                
        
          少年に母の膝あり寺山忌  麗蘭





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寺山修司 1935年12月10日、青森県弘前市に生まれる、中学1年から小説、短歌発表、早稲田在学中「チェホフ祭」で新人賞。1967年劇団「天井桟敷」結成後マルチに活動し、
1983年5月4日死去(47歳)。

 ーCD『寺山修司 作詞+作詩集』 より抜粋ー


  
真珠

 もしも
 あたしがおとなになって
 けっこんして こどもをうむようになったら
 お月さまをみて
 ひとりでなみだをながすことも
 なくなるだろう
 と
 さかなの女の子はおもいました

 だからこの大切ななみだを
 海のみずとまじりあわないように
 だいじにとっておきたい
 と
 貝のなかにしまいました
 
 そしてさかなの女の子はおとなになって
 そのことを忘れてしまいました
 でも
 真珠はいつまでも
 貝のなかで
 女の子がむかえにきてくれるのを
 まっていたのです
 
 さかなの女の子
 それは
 だあれ?


  
さよならだけが人生ならば

 さよならだけが
 人生ならば
  また来る春は何だろう
  はるかなはるかな地の果てに
  咲いてる野の百合何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
  めぐりあう日は何だろう
  やさしいやさしい夕焼けと
  ふたりの愛は何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
  建てたわが家は何だろう
  さみしいさみしい平原に
  ともす灯りは何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
 人生なんか いりません


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何か大切なものを忘れてきたように思うのですが、
もう何を忘れたのか思い出せそうもありません。

だけど私が忘れたものを、
取りにくることを待っている真珠がいるような気がして、
少しはホッとするのですが、
忘れものを取りにいくことさえしないのではと恐れます。

さかなの女の子は、
実は私なのです。

忘れたものは、何だったのでしょうか? 

さよならだけでない人生かも知れません。
でもこの答えはとてもむつかしくて、
私のあたまで考えても思いつきません。

私はほんとうに何を忘れてきたのでしょうか? 
それを思い出すためにさよならするのでしょうか。
女が死ぬときに手向けるただ一語の餞別のことばを、
誰か教えてください。
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by leilan | 2005-05-05 08:23 | 書棚

『書棚』  敗戦野菊をわたる風 / 吉田直哉

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敗戦野菊をわたる風

吉田 直哉 著

筑摩書房

        スコア選択:★★★★★







「良い問いは答えより重要だ」

常識的な答えだけを知っている人間になるより、根源的に問う人になれという意味で、吉田直哉は南カルフォルニア大学の数学者リチャード・ベルマンのこの言葉を座右の銘にしていると言う。

吉田直哉と言えば、これはもうNHKの名デレクターであり、数々のドキュメンタリーやドラマを手がけた伝説の人である。その吉田さんの幼少時代から大学卒業までの思い出を綴った53編が「敗戦野菊をわたる風」だ。

昭和6年の生まれであるから、日中戦争から太平洋戦争の頃が時代背景としてあるが、身辺のことを中心に忘れがたい風景、出合った人々の面影を描いて感動を呼ぶ。

祖父、父とも学者であるが、山椒魚の研究をしてそれを家に飼っている超俗的な祖父 が、体長1m半の大山椒魚を逃がし、 新聞に大きく書かれた時、「毎月8月になると大山椒魚は卵を生むために集まるのだ。おそらく古巣の岡山まで出かけようとしたのだ。このような動物は一匹 に見えるが実は一匹がおおぜいなんだ。山の上の立った一本の木も、実はお おぜいなんだ。この「ひとりでおおぜい」のテーマを後に卒業論文にベルグソンの体制と個の問題として書くことになる。

「好奇心を持ち続けろ」が父富三の口ぐせだった。父富三は、文化勲章受章・東大名誉教授・癌研究所長で、日本の癌研究の第一人者で草分けの一人である。父と吉田少年はよく長崎の坂道を散歩した。こんな記憶がある。

「癌細胞を注意していると、かならず多数派と少数派にわかれる。例えば100個の細胞に対して20個の少数派。社会も同じだ。多数派が正常ということになりやすいが、しかし少数派だと思って無視していると、時に突然、多数派に移行するんだ。細胞の数の逆転、遷移と同じように」

吉田さんは父のこの話を面白く聴いた。思考のプロセスをかいつまんで話す父の言葉の余白は自分で補いながら全体の意味を感じとった。だからのちに敗戦で価値の逆転がおこったとき「なるほど、これが多数派への移行か」と思うことができた。

敗戦間もなく進駐軍の50台もの行列をただ一人路上で見ていたことを家に帰って言ったら、父は「こういう不良性のあるやつには、これからの時代は面白いかもしれない。」と言ったという。

旧制二高、東大での駒場寮(旧制一高の寮)の生活は懐かしい思い出として描かれている。いわゆる、気ままでバンカラな生活の中で、珈琲店「ゆきやなぎ 」での(店をやっている)バイオリンを弾く謎の美女との出会いが、感傷的であるが清冽な文章で書かれている。ある日突然その店が壊され、その美女も消え、その跡地に「敗戦野菊が生えていた」という風景をこの本の表題にしていることからも、青春時代の忘れ得ぬ思い出なのだろう。

最後の編で、東大新聞の編集に携わっていたとき、劇作家加藤道夫と知り合い、この人の弟子になる決意したという。後にNHKで優れた作品を世に出すきっかけはここにあったのかもしれない。NHKを志望していることを報告にいくと加藤は「社会の大勢の人に会える仕事をしなさい。」と言ったという。帰りに玄関を出てふりかえると、童話のように白い洋館の前庭に、敗戦野菊が茂っていたという風景は、ドラマを手がけた吉田さんだけあって、主題の「敗戦野菊」を再度登場させ、この本は終わる。

あとがきで「私事にすぎない、と思えるが、私事にすぎない思い出の集積が、じつは歴史になるのではないか。だからなるべく大ぜいが、私なども含めて大ぜいが、書きとめるべきではないかと考えた。」と言っている。読後、私のなかをダニーボーイの旋律が流れていた。

       
♪Danny Boy ( Londonderry Air )

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by leilan | 2005-05-02 00:00 | 書棚

『書棚』 平然と車内で化粧する脳 / 澤口俊之、南伸坊

昨日の毎日新聞記事より

化粧めぐり口論、電車に接触させる容疑で女逮捕、女性は重傷

 地下鉄のホームで口論になったお年寄りを電車に接触させ重傷を負わせたとして、渋谷署は27日、目黒区大橋1、バー従業員、小田島晃生(あきみ)容疑者(22)を傷害容疑で逮捕した。小田島容疑者は「パフで顔の汗をふいていたら、『そんな所で化粧なんかしてるんじゃないわよ』と言われた。説明しようと追いかけて肩を揺さぶった」と供述しているという。

 調べでは、小田島容疑者は同日午前11時35分ごろ、渋谷区広尾5の東京メトロ日比谷線広尾駅の上りホームで、ベンチに座り化粧用のパフで顔をはたいていたことを川崎市に住む無職の女性(65)に注意されて立腹。女性を追いかけ、後ろから肩を数回揺さぶり、ホームに進入した中目黒発北千住行き普通電車(8両編成)の先頭車両に接触させて胸の骨を折るなどの重傷を負わせた疑い。

 電車は減速中で、運転士が女性に気づき急ブレーキをかけたため、接触時は時速約35キロだった。電車の運行に影響はなかった。

※今の65歳をお年寄りと呼ぶには、なんか違和感があるが。

※パフで顔の汗を拭いたら、ファンデーションがよれてまだらになる。
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平然と車内で化粧する脳


澤口 俊之 南 伸坊
扶桑社
スコア選択: ★★★


人前でイチャつく、所かまわずしゃがみ込む…激増する不可解な若者たち。すべては、モンゴロイド日本人の「脳の進化」に逆らった生活と子育てが原因だった! 脳科学から日本を見た激しく納得の大結論。脳科学の鬼才・沢口俊之にプロのおちこぼれ生徒南伸坊が聞いた最新の脳科学講義。


私はけっこう面白く読んだ。
難解な内容も、南伸坊にかかるとぐっと身近な内容になって、
サブカル的な一冊として捉えれば、
ま、こんなもんかナ・・・だ。

しかし、これに真っ向から噛み付いたのが山形浩生で、
こんな書評をものしている。


 科学を濫用してがさつに社会に適用したひどい本(by 山形浩生  

 なにが恥かは、社会や文化によってちがう。電車の中で化粧をする人は、いままでの日本社会とは恥の感覚はちがうけれど、でも恥はちゃんと知っている。電車にのっていった先で会う人たちの前だと、化粧してないと恥ずかしいと思うから化粧するわけだ。

 それを著者は、生物学的に脳が未発達だから恥の感覚がないのだ、と決めつける。恥を知らないやつが化粧しますかいな。恥の現れ方がちがうだけだよ。ヒッピーやパンクスだって、それまでの社会常識からすれば恥知らずだけれど、別に恥という概念そのものを知らなかったわけじゃない。いまだって話は同じだ。

 著者は、「知性の脳構造と進化」などで優れた業績を持った科学者ではある。でも、それを社会の現象にここまで安易になんの実証もなく適用してしまうとは唖然。そしてそれを元に著者は、体罰を強化しろとか、戸塚ヨットスクールはすばらしいとか、そこらのおっさんの教育談義みたいなヨタ話を得意げに展開してみせる。気をつけないと、「恥知らずは脳障害だ」とかいって新しい差別や優生学めいた議論を肯定するのに使われちゃう可能性だってある。この上にある安原顕の書評は、いかにこういう議論がお手軽に暴論の肯定に使われるかを、実に見事に示しちゃっている。

科学の 安易な通俗的濫用の見本として、反面教師的にとらえるべき本。読むなら、鵜呑みにしないで、疑いながら読んでほしい。


>読むなら、鵜呑みにしないで・・・

そうそう。すべからく本というものは、鵜呑みにはできない。
いつもそうした姿勢で、私は本と対峙しちょります。
確かに、澤口教授はもっと実証を積むべきでしょう。
しかし、脳云々を別にすれば、
かなり本質をついている本だよ。


通勤電車と無縁な生活をはじめて18年になる。
それでも、帰国したとき電車に腰をおろすこともあって、
(ちょっと古いが)アッと驚く為五郎~
いやでもいろいろなことが目に入ってしまう。

折りたたんだ大型の鏡を堂々と広げて一から化粧をする若い女。
だらしがないねぇ!
わけありの男にだって、
素顔は見せても、化粧しているところは見せないもんだ。

同じように若い男。
今しもコンビニで仕入れたばかりのパンとペットボトルの飲み物を、
あほんだらな顔して、交互に口へ運んでいる。

彼らにとって周囲の乗客はいないも同然で、
隣の座席との間には見えざる壁が存在しているのか?

周りに見られているという意識はないんだろーから、
恥じ入るという感情も滲み出てくることは無いのだろう。

これは周りを気にしないのではなく、
気にできないのだと気づくと事の深刻さに愕然とする。


しかし、このように見えない壁を作れるのは、
若者の特権かと思っていたが、決してそうではない。

中年の男がすばやく鞄から、
アルミホイルに包まれたおにぎりを取り出し、
つり革につかまりながら食べ始めたのを目撃した。
なんと驚くなかれ「香の物」つきである。

この用意周到さから察するに間違いなく計画的犯行であろう。
まさに車中でのテロ行為だ。
さすがに向こう隣の男性はいやな顔を最大にアピールしていたが、
当のあほんだら中年男はなんのてらいもなく涼しい顔であった。

常識とは何か?と真顔で問われると答えに窮することは確かだ。
しかし、社会の基盤が「人」である以上、
年月をかけて培ってきた「人のありよう」は、まさに常識なのである。

なにが恥かは、社会や文化によってちがう。電車の中で化粧をする人は、いままでの日本社会とは恥の感覚はちがうけれど、でも恥はちゃんと知っている。電車にのっていった先で会う人たちの前だと、化粧してないと恥ずかしいと思うから化粧するわけだ。
 

と山形浩生は言うけれど、
公共の乗り物の中、そこには一つのエチケットというものがある。
ハワイのバスは、飲食禁止が明文化されていて、
禁を侵した者は、ドライバーがキック・アウトしていいことになっているが、
そんなバカッチョはめったにいない。

一度、ヨーグルトを食べ始めたハイスクールの女の子がいて、
すぐさま、白人のおばちゃんが注意したら、
その子は素直に謝って途中下車したのを目撃したことがある。

誰の言葉か忘れたが、
人の自由とは己を抑制できるものにだけ与えられるものである
肝に命じておきたい言葉だ。

本場アメリカでは公の場での立ち居振る舞いと個人主義は、
きちんと使い分けられている。


蛇足ながら、
わが友・スティーヴンに懇願されて、
たった一度だけ化粧のプロセスを見せたことがある。


感想は、




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 マイケル・ジャクソン!



あちち・・・
やっぱり、見せるんじゃなかった。
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by leilan | 2005-04-29 07:19 | 書棚

『書棚』 魂の伴侶ーソウルメイト / Brian L.Weiss

魂の伴侶―ソウルメイト 傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅
ブライアン・L. ワイス Brian L. Weiss 著
山川 紘矢 山川 亜希子 訳 / PHP研究所

スコア選択:★★★★


縁のある人とは小指と小指が赤い糸で結ばれていた―― 日本でも古くからこんな表現がある。その言葉を証明するようなことが、著名な精神科医の眼前で繰り広げられた。本書は、前世で別れた魂が、数千年ともいわれる旅を経てお互いを探し当て、再び結ばれた男女の話である。

著者のワイス博士は日々多くの患者と向き合っている精神科医である。ある日、催眠退行療法を実践中に患者がしゃべったことが、実は亡くなった実子からのメッセージであることを知り(その話は『前世療法』に詳しい)、前世を知ることの意味を悟る。その後、フロリダに住むある女性と、メキシコに帰国する直前の男性を別々に治療中、ふたりが語る過去生での体験に共通点があることに気づく。精神科医として厳守すべき個人の秘密を他者に明かすことはできないが、この2人は再開すべき運命にあると直観する。その後、紆余曲折を経て、ふたりは自然に引かれ合うように再開し、結ばれたという実話である。本書では、魂の伴侶(ソウルメイト)を探し当てた幸福な例が、臨床記録にふれて書かれている。

ダイアナ妃が本書を読み「なぐさめられ、心が穏やかになった」と言い、ワイス博士との面会を申し出ていたという。しかし、その2週間後に彼女はパリで亡くなり、面会は実現しなかった。人は必ず、会うべきときに、会うべき人と出会うということに、不幸な結婚生活を強いられていた彼女は共感したのだろうか。人間関係、ことに恋愛関係に悩む人には、心休まる1冊となるだろう。原題は『Only Love Is Real: A Story of Soulmates Reunited』。(齋藤聡海)

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人は出逢うべきときに出逢う

デジャヴ(既視感)とは、昔どこかで見たことがあるような風景に出会う不思議な感覚のことだが、人についても同じような経験がないだろうか。

この人とは以前どこかで逢ったことがある。

妙に懐かしさを感じるのだ。
それが、ソウルメイトー魂の伴侶なのかもしれない。


    捜す

わたしは誰のあばらなのでしょう
わたしの元の場所はどこなのでしょう
日が暮れかかるのに
まだ 見つからない

川が流れています わたしの中を
みなもとは どの山奥にあるのでしょう
せせらぎの音がつよくなるので
さかのぼって 行かずにはいられません

暗くなっても 家に帰ってこない
ついに帰ってこない 女の子がいるものです
捜さないでください 彼女自身がいま
<捜すひと>に なっているのですから


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by leilan | 2005-04-27 00:01 | 書棚

『書棚』 The girl in the picture / by Denis Chong


        ナパーム弾から逃げまどう南ベトナムの少女
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ベトナムの少女―世界で最も有名な戦争写真が導いた運命

デニス チョン Denise Chong 押田 由起 / 文芸春秋

スコア選択: ★★★★





ナパーム弾から逃げ惑う一人の少女。 原題は「The girl in the picture」・・・ベトナム戦争の悲惨さを最も象徴する写真の主人公がたどった数奇な運命のノンフィクションである。

その少女の名前は、キム、フック。南ベトナム、チャンバンで生まれた彼女は、9才のとき、南ベトナム空軍機のナパーム弾に被爆し火傷を負ってしまう。その時、裸で逃げ惑う様子を写真に撮られる。アメリカのAP通信から「ナパーム爆弾から逃げる南ベトナムの少女」として配信されたその写真は、1972年6月8日、世界中の新聞の第1面を飾った。

この1枚の写真がキムの運命を変えてしまった。著者のデニス・チョンは彼女への聞き取り、関係者との面接を通して、ベトナム戦争の歴史を踏まえながらキムの人生をたどったのがこの著書である。

キムが数奇な運命をたどったのは、ベトナム戦争が終わってからである。医学部に入学した彼女は、新たにできたハノイ政府のプロパガンダとして利用され、世界各国から来る要人、ジャーナリストたちの接待に回され、学業ができなくなる。その後、ドイツの報道写真家ペリー・クレッツの好意による、ドイツでの皮膚手術、キューバ留学を経て、カナダに亡命をしてしまう。

たった1枚の写真が彼女を有名にし、ハノイ政府のドン首相をはじめとする多くの協力、好意もあったが、政治の枠に嵌め込まれたため、自分を取り戻すために、自由主義世界に逃げ込んだ彼女の行為は責められない。

この著書ではキムの両親の誠実な生き方と兄弟の様子なども描かれているが、新政府の方針が家族の生活まで変えてしまったことも記されている。共産主義政府に対する著者の批判とも受け取れるが、180度の政治転換が庶民の生活まで脅かしたことは否めない。

1997年、カナダのトロントで貧窮生活を送っているキムと夫のトアンが地元の新聞に紹介され、多くの読者から寄付金が寄せられ、また世間に知られることになった。そしてユネスコは彼女を平和文化使節に任命したという。賢明な彼女は、自由世界の政治に利用されることはあるまい。現在、彼女は戦争の犠牲になった子供たちを救うためにキム財団を設立したという。
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by leilan | 2005-04-20 17:25 | 書棚

『書棚』  放課後の音符   山田詠美 著

この本を読むと、放課後の図書館での時間、
真夏の素足の感触、
はじめて香水をつけたときのこと、
夏休みのカフェで飲んだ冷たい飲みもの、
西日のさし込む教室の情景、
そんなことを切なく思い出す。

そして、早川義夫の「サルビアの花」が静かに流れる。
格別、思い入れのある曲でもないのに。
なぜだかわからない。

たぶん、年齢不詳のただのおばあちゃんになっても、
今とおんなじように切なく思い出すのだろう。

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この小説に登場する女の子たちはみんな、
女の子だということを素直に楽しんでいて、
心の中には透明な時間がキラキラ溶け込んでいる。

大事な宝石をたった一つだけ身につけたときのような、
シンプルでいてどこかブリリアントな気分になる小説だ。
氷室冴子の解説もまたすばらしい。
山田詠美も氷室冴子も同じ時代を走って来た女たちである。


放課後の音符(キイノート)
山田 詠美 / 角川書店

スコア選択: ★★★★
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by leilan | 2005-04-17 13:45 | 書棚


バッカスの神さまに愛されたい
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