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冬のソナタは

観たことがない。

男優の顔は、
インターネットで、
何度か、
見かけたが、

色男でございます、
という、
もてる男の表情を、
意識して、
やっているのが、
見え見えで、
苦々しい。

砂糖にたかる蟻のごとく
群がる女というのは、
いつの世にも、
いるもので、
インフレの時代は、
杉良太郎、
あれも、
流し目で、
色男でございます、
と、
意識過剰だった。

たとうれば、
麗子像の男版みたいな、
不景気顔が、
ウケルのは、
世が、
デフレのせいか。
貧乏クサイ、
顔だ、
と思う。
イブ・モンタンの、
ギャルソン、
を観た後、
なので、
ことさら思う。
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by leilan | 2004-11-30 21:54

◇◆俳句  逢ひみてののち夢ばかり桜炭

逢ひみてののち夢ばかり桜炭

寒菊や匂ひほのかに花鋏

吸ひ込まれさうな冬泉ひと跳びに

子狐の母に甘ゆる冬銀河

蒲団より落つ寵愛のキティちゃん


年の暮れがせまってくると、
何やら昔なつかしい生活の匂いがあたりにただよってくるようでいて、
いま一つそれがせまってこないもどかしさみたいなものを感じる。

子供の頃、大晦日の台所にただよう風情がもの珍しく、
うきうきした気分で母や祖母を手伝ったものだった。
今の子供は年の瀬の情緒をどう感じているのか、
大人になってふりかえるに足る歳末というものがあるのかどうか。

でなければ、
松飾やおせち料理の美しさを感得するアンテナすらないということになろう。
出来合いの料理の見せ掛けの美しさなど心にひびきようもない。

暮らしの音や匂い。
路地から路地の豆腐屋のラッパや人の往き来のあわただしさには、
ひとしお暮らしの匂いがたちこめているように感じられるのである。

この頃、年の瀬の情緒など記憶のなかだけにあって、
現実にはひとかけらもない暮らしをかえりみると、
生活が簡略化される分だけ、暮らしの音と匂いが薄れていき、
歳末の情も新年のすがすがしい美しさも失われていく。
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by leilan | 2004-11-30 18:57

◇◆それでも、ホー・チミンは偉かったのだろうか
べトナムがアメリカの植民地であったことは一度もないけれど、
ある時期、アメリカはべトナムだけでなく、
インドシナの国々へ相当な肩入れをしていた。
物心ともに、彼の地で相当な犠牲を払い、
国内では人心の荒廃を招いたあげく、
米軍撤退後に残ったのは、帰ることのない若者の命と、
おびただしい難民の群れであった。

<極東ブログ>氏の記事で、
最後のインドシナ難民と呼ばれるラオス・モン族を
アメリカが新たに受け入れることを知った。


  ベトナム戦争終結から30年が過ぎた今年、アメリカは1万5千人のインドシナ難民を
  新たに受け入れることを決めた。
  メディアが「最後のインドシナ難民」と呼ぶ彼らは、ベトナム戦争でアメリカに協力し、
  CIAの指揮下で極秘任務に活躍したモン族の人々。
  共産勢力が政権を掌握したラオスからタイへ逃れ、私設のキャンプ地で命をつない
  できたモン族を受け入れることは、アメリカにとってベトナム戦争の最後の重荷を
  清算する歴史的な節目となる。


いったい、あの戦争は何であったのか、
という思いは、今でもアメリカ人の心に強い。

ふだんは口に出さないものの、現在50代から60代初めの人は、
みな何らかの形で戦争体験を背負っている。
ワシントン記念塔の近くにあるベトナム・メモリアルでは、
黒御影石の壁に刻まれた戦死者の名前を見つめ、
無言で立ち尽くす人の姿が春夏秋冬絶えない。

サイゴン陥落から30年。
インドシナ半島とのかつて関わりあいを思い起こさせるのは、
インドシナ系アメリカ人の活躍である。

着のみ着のままで難民船に乗ったベトナム人、ラオス人、カンボジア人が、
アメリカ各地に定住し、英語を学び、商売をはじめ、たくましく生活している。
彼らの中には、幼いときにボートで逃げて来て、この国で教育を受け、
ウエストポイントを首席で卒業し、レーガンから全国民に紹介された人もいる。

もともと教育水準の高い、中産階級出身の亡命者が多いせいもあろうが、
それにしても30年の間、彼らはよくやって来たと思う。

その陰には、インドシナの難民に教育の機会を与え、
住居を用意し、就職を助けた、
教会を中心とするコミュニティーの目立たぬ支援があった。

北ベトナムの言い分をすべて信じ、共産主義の失政に喘いだインドシナの民と、
アメリカに逃げてその地歩を固めたインドシナの民との明暗。

それでも、ホー・チミンは偉かったのだろうか。
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by leilan | 2004-11-29 18:45

◇◆対中国ODAは、田中角栄の石油戦略だった
中国へのODAは、本来、中国の石油を獲得するために、
田中角栄が手がけた資源戦略がそのはじまりだった。

当初はそうした外交戦略をもっていたが、
ODAへの監視体制が弱まっていくなかで、
それは橋本派の闇資金ルートとなっていく。

中国側の窓口は鄧小平の子供たちだった。

Excite エキサイト : 国際ニュース

 小泉首相は中国への政府開発援助(ODA)について、
 「中国は目覚しい経済発展を遂げている。
 もう卒業の時期を迎えているのではないか」
 と述べ、打ち切りを検討する考えを表明した。

25年間も続けられてきた日本からの政府開発援助が、
中国人民にも徐々に知れ渡ってきたことが、
今回の背景には一つあるだろう。
それでも、日本からの援助を知らぬ中国人はまだまだ多い。
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by leilan | 2004-11-29 17:36

◇◆群発自殺、ウェルテル現象を防ごう
インターネットで同士を募って、集団自殺するという事件が相次ぎ、
マスメディアも大々的に報道しているが、
それがまた、次の自殺を引き起こすことにもつながっている。

これら一連の集団自殺をしたのは、比較的若い男女ばかり。
これまで何のつながりもなく、
インターネットで仲間を募ったというので、
現代社会を象徴する出来事のように報道されている。

また、練炭をたいて死ぬという方法まで類似している。

「群発自殺」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。
ある人の自殺が引き金となって、
その後、複数の人が自殺を引き起こす現象をこう呼んでいる。

群発自殺には、古くは18世紀のヨーロッパの例がある。
ゲーテの発表した「若きウェルテルの悩み」のラストシーンで、
主人公が銃により自殺するのであるが、
その直後に、ヨーロッパ各地で、
小説の主人公と同じ方法で自殺する若者が相次いだという。

そのため、ヨーロッパではこの小説を発禁処分にする国さえ出たほどだった。
社会学者の中には、この種の連鎖的な自殺を、
「ウェルテル現象」と呼ぶ人もいる。

こうした群発自殺は外国の例ばかりではない。
近松門左衛門が心中をテーマにした人形浄瑠璃を発表したところ、
その後、心中が流行し、
江戸幕府が上演を禁止したという事実もある。

また最近では、
1986年に歌手の岡田有希子さんが自殺した後の2週間に、
30数名の若者が後追い自殺した例もあった。
それもほとんどが岡田さんと同じく、
高いところから飛び降りて亡くなっているのだ。

若者に群発自殺の犠牲者になる危険が高いと指摘されてきたが、
職場、病院、学校でも群発自殺は起きている。
自殺の危険の高い人にとって、
他者の自殺は非常に強い衝撃をもたらす。
まるで、自分が取るべき見本を示されてしまうかのように感じる人さえいる。

マスメディアにかかわる人に是非ともお願いしたいことがある。
世間の注目を集める自殺をセンセーショナルに知らせるのではなく、
予防のためにどのような方法があるのかをもっと報道してほしい。

誰がどのような原因でどういった方法で自殺したという情報ばかりでなく、
予防のための建設的な情報も精神科医や心理学者と連携しながら、
どんどん伝えてほしいと心から願うものである。

Excite エキサイト : 社会ニュース
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by leilan | 2004-11-29 10:36

◇◆俳句  老ひの冬田園まさに荒れんとす

老ひの冬田園まさに荒れんとす

風花や老優送る大バッハ

アフタヌーンディライト小春の鎖骨

早朝のヒルトンホテル咳の客

大鷲や朝の広がるデトロイト


いま、パソコンに向かっている前方にラナイ(テラス)があり、
その向こうにアラワイ運河とイオラニ・スクールがある。
イオラニは共学のプライベート・スクールで、
我々の時代ならば、さしずめ麻布と女子学院といったレベルかな。

日曜だというのに、マーチングバンドがグラウンドの芝の上を行進している。
その曲が、わたしの好きな「錨を上げて/アンカーズ・アウエイ」
まあ、アメリカ海軍の行進曲ではあるが。

うちの父方は代々海軍の系統で、戦死者も多い。
もうかれこれ十年前になるが、
90歳を過ぎていた大叔父(祖父の末弟)から頼まれごとをした。

これが「ガダルカナル」へ連れて行ってほしいと言うのダ。
「もう自分は先が長くない。倅の死んだところへ行って供養してやりたい」と。

当時、日本郵船にフロンティア・スピリット号という探検客船があって、
その船がニューギニアからガダルカナルに向かうという。
うちのオヤヂが、
「オレが行ければいいんだが、あいにくこの時期は仕事の手が離せないんだ」
母が、
「わたしも行くから、あなたも一緒に行って」
と言う。

大叔父の息子に当たる方は(わたしは写真でしか知らないんですが)
航空母艦「隼鷹」からガダルカナル島ルンガ泊に攻撃に向かい、
僚機と共に還らなかったという。

この時のことは、いずれきちんと書かなければと思っているが、
ガダルカナルのホニアラで、
浜の砂をすくって袋に詰めていた大叔父の姿。

ガダルカナル島攻防から満五十年の歳月が経っていた。
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by leilan | 2004-11-29 09:01

◇◆温家宝首相、人民元問題で本音ポロリ
中国の温家宝首相は人民元相場の見直しについて、
「騒がしい時にはできない」と述べた。

これはまさに中国側の本音で、温家宝よく言ったなぁ、
と半分ビックリ、半分同情しちゃった。

ここんところ、人民元切り上げを期待する投機筋の過熱ぶり、
加えて、事のなりゆきに固唾を呑んでいる世界からの熱い視線に、

「ちっとは、ボクらのお家の事情もわかってよ~」
これが本音なんだね、きっと。
そう、国際政治は理解している。

けれども、投機筋には(期待したって、しょうがないんだけど)
人民元が中国共産党の政治通貨だという基本理解が欠如している。

人民元は日米欧の中央銀行や財務省がコントロールする通貨とはわけが違う。

日本軍の侵略に対抗し、
国民党との内戦を勝ち抜き、
中国を統一し混乱を収拾、
改革、開放路線を軌道に乗せてきた中国共産党の、
人民元は最大の経済手段であり、党栄光の象徴なんですね。

日米欧といった外部からの圧力で人民元を切り上げたり、
変動相場制に移行するなら、
外圧に屈した印象を中国国内に与えてしまい、
胡錦濤は中国の指導者としておそらく自殺行為になるんでしょう。

騒がないであげましょう。
人であれ国であれ、おつきあいってそういうもんですよ。

Excite エキサイト : 経済ニュース
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by leilan | 2004-11-29 07:15

◇◆京都、一休寺の紅葉
紅葉のこの時期、帰国できない皆の衆に、

  ★謎のみかん星人さま★

   から紅葉の贈り物です。


ご覧↓あそばせ。

一休寺(曇り時々晴れ 13時半〜16時)

俳句の秋の季語に「紅葉かつ散る」というのがある。
季語は一般に「照紅葉」とか「黄落」といった名詞なので、
これは珍しい季語。詠むとけっこう難しい。

   紅葉かつ散る島原の大まがき

   紅葉かつ散る銀行の曲がり角

   回廊に紅葉かつ散る旅鞄

わたしが詠むとせいぜいこんな程度なのだが、
秋元不死男のこの句は味わい深い。

   紅葉かつ散る遠妻に鐘を二打 <不死男>

虚子はこんな風に詠んでいるが、案外つまらない。

   一枚の紅葉かつ散る静けさよ <虚子>
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by leilan | 2004-11-28 10:00

◇◆俳句  侘助の一輪むかし遊女町

侘助の一輪むかし遊女町

水の音吸ひ込んで凍つナイアガラ

熱燗や夢見る頃のとうに過ぎ

断腸亭住みゐし町の花八つ手

散紅葉くれなゐをもて送る葬


むかし文藝春秋に、
「読んでなきゃならない本で、読んでない本」というアンケートがあった。
吉行淳之介はこれに「源氏物語・聖書・マルクス資本論」を挙げていて、
なるほどな、と思った記憶がある。

読んでなきゃならないかどうかは判らないが、
司馬遼太郎の本をあまり読んでいない。
歴史を小説仕立てにしたものが苦手なのだ。
むしろ歴史は論文形式で淡々と記してあるものが好ましい。

下手の横好きで俳句をつくっているわりに、
高浜虚子の句集を読んでいない。
虚子の句は至るところで目にするせいもあるが、
どちらかと言えば久保田万太郎や加藤楸邨の句が好きなせいもある。
文学的土壌が強い作家の句に惹かれるのかもしれない。
とは申せ、わたしの句などまだまだへなちょこで、
俳句なんて呼べるのかな。

夏目漱石の「我輩は猫である」を読んでいない。
二松学舎大学に社会人向けの夏期講座があって、
ある年、夏目漱石を取上げるというので、
真夏の二週間ばかり九段に通ったことがあった。
ま、歩いていけるし、漱石自体に非常に興味があった。
わたしは昔から、鴎外より漱石で、
鴎外なんてどこが面白いんだろうと未だ思っている。
(高瀬舟、あれはすばらしいと思うが、鴎外の傑作は娘の茉莉だ)
それなのに、我輩は猫だけは読んでいないのだ。
時期を逸してしまったという感じ。
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by leilan | 2004-11-28 09:16

◇◆勘九郎、平成の勘三郎へ
中村勘三郎は、髪結新三や法界坊が当たり役といわれた昭和の名優だが、このひとが演じた仮名手本忠臣蔵の高師直(吉良上野介)は忘れられない。その憎憎しさは、小澤栄太郎の吉良上野とならんで見事な悪役ぶりだった。

勘三郎が亡くなったのは昭和63年4月。息子の勘九郎は髪結新三で三宅坂の国立劇場に出ていた。このとき、父親の当たり役だった髪結新三が、勘九郎は初役だったが大当たりで、切符がなかなか手に入らなかったことを思い出す。

髪結新三という芝居には江戸の匂いがたっぷりある。たとえば江戸なまり。これはちょっと舌っ足らずの甘えた感じがあって、親方がオヤカタではなく「オヤァッタ」となる。いまでも浅草あたりに行くと、こういう話し方をする人がいて妙に昔なつかしいが、勘三郎の魂が勘九郎に流れていると感じるのは、こうしたところだ。

その勘三郎を息子が襲名することになった。歌舞伎の世界では、主役級の花形役者は特定の血統で占められることが多い。血統というとまるで競走馬のようだが、実際、血筋のいい役者に花があるのは確か。こうしたあり方はよくいえば格式を守ることになるが、わるくいえば封建的で、多くの役者の出世を閉ざすことになる。

そういう意味では、市川猿之助という役者に注目せざるを得なくなる。猿之助は、その襲名と前後して、父段四郎と祖父翁猿を相次いで失った。二十代後半の頃だったが、その後、どの一座にも加わらず、古典の復活上演を試みはじめ、鶴屋南北の独道中五十三駅や伊達の十役を人気演目に仕上げた。さらに、ヤマトタケル、リューオー、オグリ、八犬伝など、獅子奮迅の勢いで新しい試みを繰り返してきた。

しかも、猿之助は従来の歌舞伎界のしきたりを超えて、門閥以外から笑也、笑三郎などの人材を抜擢、劇団の中心俳優に仕立て上げてきたのである。歌舞伎を古典として守ろうとする人にしてみれば、猿之助は秩序の破壊者に見えて仕方がない。しかし、歌舞伎界の活性化のために猿之助が果たしている役割、ことに人材の抜擢という面で示しているテーマは大きい。

反面、勘九郎のように、小さい頃からスターになるべくして育てられた者には、品や芸格の大きさで一日の長があるのも確かである。芸格とは人格みたいなもので、育てられ方や大きな役を演じているうちに自然と身につくものだろう。歌舞伎界の名門の子弟は、言ってみれば生まれながらにして将来の団十郎、将来の菊五郎として育つから、オーラというか鷹揚さが身につくのだと思う。それが日本人の忘れてしまった家柄というもので、その幻想が現実として通用しているところに、歌舞伎の面白さがある(のかもしれないと、根っから庶民のわたしなどは思う)

世襲制度が明確な形で示されるのが、親や親戚の名前を継ぐ襲名の儀式である。これはファンに公開され、襲名披露公演というお祭りを通じて共有される。父親が昭和の名優にして、祖父が六代目尾上菊五郎、伯父が初代中村吉右衛門という歌舞伎界一の良血・勘九郎の勘三郎襲名は、団菊にならぶ規模の襲名披露興行が打たれるであろう。

勘九郎はどんな役でもこなす万能役者だが、わたしはこの人の踊りが好きだ。「かさね」を舞ったときの勘九郎は妖艶な中にも一筋せつない女心が忍ばれ、その幽玄の美しさは地唄舞の武原はんを彷彿とさせた。

とまれ、平成の名優の誕生を心から祝福したい。中村屋ーッ!

Excite エキサイト : 社会ニュース
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by leilan | 2004-11-27 23:37


バッカスの神さまに愛されたい
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