<   2004年 11月 ( 67 )   > この月の画像一覧

◇◆黒タイツの力道山
<東京無重力生活>氏のブログは、氏の闊達な筆力に加え、
なつかしい人々の写真がアップされていて、これがまたグッとくるのダ!

今回は力道山の勇姿↓が。

韓国映画『力道山』、上陸はいつだ!?

力道山が死んだのは小学校1年のときだった。
いまどきの、小学1年の女の子はプロレスを観るんだろうか?
などと、ふと思うが、
わたしはプロレスが大好きだった。

とくに、フレッド・ブラッシーが悪役で登場すると、
「おじいちゃん、きょうは流血試合になるねッ」
なーんて、
血圧の高いじーさんと一緒に興奮しまくらちよこ!
和服姿でふだんは上品なばーさんも、
けっこう力が入っていた。

プロレスラーがトランクスをはくようになったのは、
たぶん昭和40年代からで、
それまではみなピッチリ黒い海パンだった。
そんな中で、力道山だけが黒のタイツ姿で、
「おじいちゃん、どうして力道山だけタイツなの?」
という孫の<どうして攻め>に、
「それはな、力道山がいちばん強いからじゃ」
なんて、ジジは適当に答えるのだった。

だから、プロレスごっこのときは、
上半身裸にアツギのタイツで、
「空手チョップ!」
机の上から飛び降りて・・・ただのお転婆だった。

力道山亡き後は、吉村道明と豊登を応援していたが、
忘れられないのはレフェリーの沖識名。
なぜか、いつもシャツ破られるんですね。

ところが、わが弟のん太くんたちは、
同じプロレスごっこでも知能指数の高い遊びをしていた。
近所のガキんちょたちが遊びに来て、
なにやらみんなで図画工作をしているので、
しげしげ眺めていると、
なんと、チャンピオンベルトを作っているのダ。
しかも、リングアナウンサーの黒い蝶ネクタイまで。

登場するプロレスラーも、
ジャイアント馬場にアントニオ猪木、デストロイヤー。
のん太くんは、ジム・オズボーンが贔屓だった。渋いね。

ジャイアント馬場には思い出がある。
以前、アラモアナのコンドミニアムに住んでいた頃、
上の階から水漏れがして、
コンドのマネージャーが点検に来た。
たいした水漏れではなかったので、
「上の階の人に、気にしないでと伝えて」
と言っておいたのだが、
ドアチャイムがピンポンと鳴って、
ドアを開けたら、
そこにはジャイアント馬場が立っていた。
こういうとき、人は言葉を失う。
いきなり、ホンモノなんだもの。
馬場さんは水漏れを丁寧にお詫びしていかれた。
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by leilan | 2004-11-27 20:00

◇◆俳句  夕暮れのただ一望に冬の海

夕暮れのただ一望に冬の海

湯ざめしてシャネルの五番忘れけり

新海苔をかざしてゐたり裏表

首過ぎていま胸となるセーターよ

そのあとのゴールデン街酉の市


11月の第四木曜日はサンクス・ギビング・デー、感謝祭。
アメリカではどの家庭も七面鳥のごちそうを囲む。

その昔、アメリカ新大陸に渡った人々は旱魃に苦しみつつ、
最初のささやかな収穫を土地のインデアンたちと共に祝った、
という故事を背景にもつ、宗教的な行事の一つである。

この日、人々は教会で祈りを捧げ、
近在の人々と「ハッピー サンクス・ギビング」と挨拶を交わす。
そして、自宅に戻ると、オーブンからターキーを取り出す。
切り分けるのは、お父さんの役目。
それを、クランベリーソースやドミグラスソースで食べる。
付け合せは、スィートポテト。

一通り、食べ物が行き渡ると、席についてまたお祈りする。
みな目を瞑って、手をつないで、神に感謝を捧げる。
いつもはひょうきんな人も、神妙な顔で祈りを捧げている。

不謹慎とのそしりを免れないのは百も承知ながら、
わたしには、これがおかしくてたまらない。

感謝祭のたびに誰かがディナーに招いてくれて、
七面鳥を食べ損ねたことがないのだが、
今年はすべて欠礼することにした。

遠いアラビアの砂漠にいるマークやエリック、ダグラスは、
砂漠のどこかでターキーを食べただろうか。

夕暮れ間近、ディスカバリー紅子と、
カイマナビーチホテルの都レストランへ行く。
カピオラニパークの水族館に隣接するホテルだ。

スティーブンが、
ボクが子供の頃はヌアヌの家からちゃりで
カイマナビーチまで遊びに来たもんさ、
と言ってたが、
ダウンタウンの山側からダイヤモンドヘッド近くまでちゃりで来るなんて、
エナジー過剰なちびっ子だったんだろう。
いまだって、アルコールが入ればエナジー過剰気味ダ。

1950年代のホノルルに懐旧の念はつのる。
嗚呼、吾れノスタルジイ。

そろそろ雨季を迎えようという、この時期のハワイは、
たとえれば晩夏のそれで、まさに哀惜の一語に尽きる。

  夕暮れのただ一望に夏の海

と詠みたいところだが、
いま北半球は冬という季節を迎えているんです、これがわたしの懊悩。
ハワイで俳句を詠む難しさなのダ。

ディスカバリー紅子は愛と仕事に生きる女だが、
ここんところはエロスよりも仕事過多のご様子。
今月、39歳になったのに、
どー見ても23歳という<年齢違反>の女ダ。
そんな化け物・紅ちゃんと、
都の<霜月会席>をいただく。

35ドルでも安いと思うのに、
カマアイナ(住民)割引でさらにお安くなる。
申し訳ないので、アルコールを注文する(うそです、飲みたいだけ)
ビールでのどをしめらし、
秋田と長野の大吟醸をきゅッといく。
くまのぷーさんがまるで蜂蜜なめるみたいに、
日本酒なめているディスカバリー紅子の分も取上げて、飲む。

都の月替り会席はハワイの素材を中心につかった会席なのだが、
今回は、クラブミート(たらば蟹)を柿の種のコロモで揚げた一品がうまかった。

   <都・霜月会席>
   菊とほうれん草の胡桃和え
   秋野菜の煮物
   若布豆腐、うに乗せ
   刺身(鯛と鮪)
   たらば蟹の柿の種ころも揚げ
   鯛めしと味噌汁、お新香
   果実の七色ゼリー

ところが、ディスカバリー紅子に異変発生!
紅ちゃんがバスルームで滝のような汗を流しはじめた。
身体中の水分が毛穴という毛穴からほとばしる感じで、
紅ちゃん、しばしぐったりするも、
それが止まると、別人のごとく元気になる。

なんと言うか、
お産の女性が後産に苦しんで、
胎盤が出はらったら、きっとこんな感じか。
(経験ないので、わからんけども)

紅ちゃん、
「いったいどうなっちゃたの~ あたし~」
ねーさんにも、わからん。
ホント、滝のような汗だった。

帰り路、
モアナホテルの樹齢百年というバニヤンツリーの下で、
ジャックダニエル。
ディスカバリー紅子は、
なにやら得体のしれぬ緑のリキュールをなめる由。

ホリデーシーズンに入ったせいか、
モアナホテルは米本土やカナダからの白人が多い。

1974年、
ニクソンと田中角栄が会談したホテルである。
小佐野賢治が執念で手に入れたこの名門ホテルも、
UFJの不良債権整理に絡んで、
売却の噂が駆け巡っている。

もし、売却されれば、
日本人がこのホテルのオーナーになることは、
二度とないだろう。

かくて、
感謝祭の一日はおわる。
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by leilan | 2004-11-27 12:18

◇◆俳句  三島の忌グレコの枯葉聴ひてをり
 
  三島の忌グレコの枯葉聴ひてをり

  両国橋越えれば本所根深汁

  ゆふぐれの枯葉フランス語で散りぬ

  ラズベリーソース毒味し感謝祭


1970年11月25日のことは、記憶にある。

あの日は、生徒会役員選挙の演説会があって、
昼休みが終わって、全校生徒が講堂に集まっていた。
そのとき、生徒主任のA先生が、

「たったいま、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地にたてこもり、
 自決したというニュースが入ってきた」

と、重く沈痛な表情で語った。
中学生でもすでに一部の生徒は三島を読んでいたのだろう。
少し、どよめきがもれた。
わたしも潮騒と午後の曳航くらいは読んでいたので、ちょっと驚いた。

しかし、そのときわたしは生徒会長に立候補していて、
選挙演説を控えていたので、それどころではなかったのだが。

いまのわたしを知る人には生徒会長だなんて信じられませんでしょうが、
校則の改正を訴えた、リベラルの少女闘士といったところで、
マーガレット・サッチャーばりの演説なんダ、これが!
対立候補の優等生を破り、なんと当選しちゃったんだよねぇ。

それ見てうちのオヤヂが、
「5年早く生まれてたら、おまえはゲバ棒かついでた」
と、洩らしていたっけ。
ま、そういう時代だった。

同級生のひとみちゃんは、以後三島にかぶれて、
ひとみちゃんのお母さんがうちの母に、
「心配で心配で、先生のところに相談にいく」
と言っていたそうだが、事件後、
本屋の店頭には三島の本が何種類も平積みになっていた。

三島の著作物は、この奇矯な最期と切り離して読む努力をした。
三島に共鳴するしないは別にして、
年年歳歳、三島のすばらしさがわかるようになった。

でも、庭にアポロ像を置いたロココ調の白亜の家に住みたいとは思わない。  
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by leilan | 2004-11-26 10:23

◇◆俳句  寒燈のうしろに夜のミシガン湖

  寒燈のうしろに夜のミシガン湖

  風凍つる夜バッハマタイ受難曲

  卓上のざぼん転がしひとり待つ

  熱燗や女でなくてならぬ日も

  
ワイキキを歩いていると、
日本人のオバタリアン・グループと出会うことがある。
わたしと同年代か少し上の人たちだと思うが、
どうしてあんなにうるさいのだろう。
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by leilan | 2004-11-25 21:56

◇◆偽造絵画見破るソフト開発・・・賢いソフトだ
米ダートマス大学(ニューハンプシャー州)の研究者らが、
偽造絵画を見破るソフトを開発した、という記事。

専門家が鑑定した通りに本物と偽者をぴたりと当てたり、
有名画家の作品が実は4人の手で描かれていたと分析するなど、
プロ顔負けの眼力を発揮したという。

なんて、おりこうさん!

Excite エキサイト : 国際ニュース

税務署がうるさいので、あまり詳しく書けない。
あるとき、地方在住の友人から、
「骨董屋を知らないか?」
と電話がかかってきた。

ちょうどバブルがはじけた頃で、
どうも金詰りを起こしていたようだ。

彼の先祖はある譜代大名の一の家来で、
代々家老を務めた家柄なんだそうだ。
大学時代、実家はホテル経営と聞いていたので、
地方のぼんぼんなのかな、とは思っていたが、
そんな名門だとは知らなんダ。
当時はそういうことに、あまり興味もなかった。

彼の家には殿様から授かったものがたくさんあったそうだが、
●●城に展示コーナーができたとき、
かなりのものを寄贈したという。
まあ、こうしたものは相続税も大変だろうし。

ところが彼のお父さんは、ぼんにしてはシッカリ者だったようで、
大名家に関係のないものは、そっと手元に残しておいたらしい。
その中には、誰でもその名を知っているような天皇の、
直筆の和歌なんかあるんですね(ウラヤマシイな)

彼は、お父さんが癌で亡くなられる前、
病院に呼ばれて、ひそかに譲り受けたんだそうだ。
その一部を処分したいというのが、彼からの依頼だった。

幸い古くから付合いのある骨董屋を知っていたので(わたしじゃなく、友が^^)
彼に幾品か持参して上京してもらい、骨董屋に同行することにした。
そこには、芸大の先生がすでに待機。
教授が仰るには、
「ホンモノだろうと思う」
とのことだった。

彼は安堵したようだったが、
世の中そう簡単にはゆかぬものダ。

芸大の先生いはく、
「これは、博物館に寄贈されるのがよろしいかと」
ですって。

つまり、大昔の天皇直筆の短冊や掛け軸を、
大枚払って欲しがる人はいない、という話だった。

「10万なら買ってもいいよ」
と言ってみたが、すげなく断られた。


もうひとつは、わが家であった話。

うちのじーさんは、面倒見のよすぎるのが玉にキズだった。
そのじーさんが亡くなって、そろそろ49日という頃、
鉄工所のYさんが一枚の絵をもっていらした。

Yさんのところは戦前から大きな鉄工所を営んでいたが、
三代目Yさんの、坊ちゃん育ちのお人よしがワザワイ。
家屋敷も処分され、当時は尾羽打ち枯らしておられた。
栄枯盛衰は世のならいダ。

うちの家族は誰も知らなかったが、
じーさんが、かなりの金子をYさんに融通していたんだそうだ。
たぶん、じーさんのことだから、
返してもらおうなんて、これっぽっちも考えてなかったと思う。
あのじーさんには、そういうところがあった。
貸した金は返らないと腹を括っているから、
誰彼となく貸すわけでもなかった。
その分、経済ばーさんだった祖母はしっかり者で、
株の売買できったはったをやっていた。

Yさんは、良心の呵責に耐えかねたか、
自分の家にあった一枚の絵をもって来たのであった。

うちの父も、じーさんに負けず劣らずのところがあるので、
「そんなことは気にしなさんな」
と言ったそうだが、
Yさんは、親父がもっていた絵ですが大したものじゃないでしょう、
でもこのまんまでは申し訳なくて、と結局置いていかれたのだった。

その絵は応接間に飾られていたが、
それから数年経った頃、うちに遊びに来た人が、
「これ・・・佐伯じゃないか」
と言いだして、
「エッ」
ということになった。
わが家では、誰ひとり、署名なんか見ていなかった^^

聞けば、画商たちが長い間さがしまわっていた幻の一枚なんだそうだ。
そんな絵だから、すぐ画商が駆けつけて、
「これはホンモノですよ!」
だって。

Yさんの父親は、
頼まれて絵は買っていたそうだが、
書画骨董の道楽趣味はなく、
ゆえに、目利きというわけではなかった。
だから、そんな凄玉が、
まさか自分ちにあるとは思ってもみなかったそうだ。
(その後、Yさんちからは池大雅も出てきた)

父は、その絵をYさんに引き取ってもらった。
じーさんが幾ら用立てたかは知らないが、
これはYさんのところに戻そう、と。
たぶん、Yさんの窮状を見かねてだったんだろう。
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by leilan | 2004-11-24 22:03

◇◆俳句  酔ふ人のどてらの裾や御開帳
        酔ふ人のどてらの裾や御開帳


もう一句出来たが、ちょっと少女趣味に走りすぎ。

        ショパンのノクターン唐椿に雨


これは遊びすぎ。

        バカボンのママと不二子は同じ声


ついでに即興で一句。

        木の葉雨じぐざぐじぐと一輪車        
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by leilan | 2004-11-24 19:43

◇◆帰国したとき仕入れてくる<うまいもの>
■飛騨高山の<かうじ味噌>

 産地の高山では朴葉味噌に使うそうです。
 豆はそれほどつぶさず、麹を通常の3倍ほども入れ熟成させた赤味噌で、
 味は香ばしくマイルド。これを味噌汁に仕立てると、とてもおいしい。

 1Kg 800円 (注文は、2Kgから)

 大のや醸造  岐阜県高山市上三之町13
 ℡ 0577-32-0480


■高橋ソース<カントリーハーヴェスト ソース・トマトケチャップ>

 野菜と香辛料を煮出して、漉して、という昔風のていねいなソース。
 農場と特約を結んで有機野菜やりんごを育て、よい原材料を使っている。

 ウスターソース・とんかつソース 各300ml 450円
 トマトケチャップ 400g 500円 (注文は各種組合せで1箱10本から)

 高橋ソース  埼玉県本庄市駅南1-1-19
 ℡ 0495-24-1641


■森<京小町>

 ちりめんじゃこと実山椒の佃煮。やさしい味で、実山椒の混ざり具合も絶妙。

 110g 1,500円~ 

 森  京都市山科区安朱堂の後町25
 ℡ 075-591-1231


■高野屋<片腹からすみ>

 日本一のからすみ屋であるこの店の味を、1個2,000円ほどで楽しめる。
 片腹とは、一腹2個の卵がきれいに干し上がらなかったもののこと。
 味はそのままで格安のお値段は、まさにお買得。

 高野屋  長崎市築町1-16
 ℡ 0958-22-6554


■小松屋<かぶら寿し>

 ぶりが厚い!

 箱詰 420g 2,200円 (11月~2月)
 小松屋  金沢市石引2-6-11
 ℡ 0762-21-3040


きりがないので、おしまい。 
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by leilan | 2004-11-24 18:42

◇◆われらの内なる天皇とは
靖国参拝を直接批判「日中の障害」と中止要求、
という見出しの↓この記事。

Excite エキサイト : 国際ニュース

勝谷さんという方(この人の著作物はまだ読んだことがない)が、

>大日本帝国において頂点というのは上御一人をおいてない。
>胡錦濤は昭和天皇を独裁者というのか。

と、氏の日記に書いておられる。
この人は、天皇のことになると、どうもエキセントリックに筆が走る。
知人から勧められて、たまに氏の日記を読むのだが、
頭に血が昇って、脳の血管がパンパンの論調を展開する。
たまに、いいことも書いているので、惜しいなとつくづく思うのだ。

ここ数年、靖国のことになると、
冷静になれない人たちがずいぶん増えたものだ。
わたしが日本にいた頃は、こんなじゃなかったと思うが。

歴史は避けて通れないというのは事実。

日本人というのは歴史好きが多くて、
司馬遼太郎の作品など、実によく読まれている。
ところが、日本人ほど歴史感覚がない民族もない、と思う。

歴史感覚がないから、
昨日のことをきれいさっぱり水に流して、
新しい価値観をすぐ取り入れられる。
明治しかり、一億総懺悔しかり。

ところが、グローバリゼーションの時代になると、
日本人のこうした感覚はいささか問題を帯びてくる。

世界がみんなそれぞれの歴史をひきずっている。
日本人はもう少し、昨日の次は今日で、
今日の次は明日だということを、
そもそもこの世に極端な断絶などあり得ないんだ、
ということに思いを馳せるべきだろう。

中国とのイシュー(争点)の前に、
靖国をめぐる歴史とその背景について、
自分なりに考えてみることが大切なのではないか。

薩長の維新政府がつくった、
近代の天皇制というある種化け物に、
冷静に立ち向かう必要があると考える。

(天皇を化け物と言っているのではないから誤解しないように)

この化け物は、一度はアメリカに屈したが、
わたしの、あなたの内なる天皇について、
いま一度、考えてみるべきだろう。
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by leilan | 2004-11-23 20:46

◇◆俳句  小春日や一兵の死に身を細め
        小春日や一兵の死に身を細め

新聞の俳句欄はなかなか面白い。
全国から集まったものの中から選ばれるだけあって、
ハッと思うような傑作がある。

自分がつくろうと思って、
どうしても出来なかったものが、
実に巧みに詠まれていて、
「なるほど俳句は、こういう風に詠むのか」
と、教えられたりするわけだ。

また自分のねらった対象を、
より巧みにまとめた句に出会ったときの親しみや、
自分などとうてい思いも及ばぬ発想にぶつかって、
ハッと息をのむ驚きなどが、
一つ一つ、
血となり、肉となる。

同時に、俳諧精神の伝統が、いかに日本に根づよく、
津々浦々ひそんでいるかを物語るものであって、
たのもしく、力づよい感動を受ける。

俳壇では、
自分で自分を専門俳人とよぶ人を見かけるが、
およそこれほど滑稽なことはない。
プロとかアマとか、
それは作品が決めることであって、
自分では決めることではあるまい。

しいて専門俳人といえる人をあげるなら、
加藤楸邨とか、ごく少数の、
この一筋に、生命をかけた人たちだけだろう。

作家の吉村昭氏が、
大学時代に毎日遅刻して、
教壇の教授に一枚紙切れを差し出した。
見ると、

  今日もまた桜の中を遅刻かな

とあったそうだ。

これこそ俳諧というべきだろう。
このユーモアも、
真に人間の哀しみを知るものだけにうまれるユーモアなのである。
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by leilan | 2004-11-23 19:41

◇◆逆縁・・・わが子を失う哀しみ
幼い子が殺される事件ほど辛いものはない。

怖かったでしょうに、苦しかったでしょうに・・・
どんな言葉を書き連ねても、ただただ空しく、やりきれない。

同時に、わが子を失った親の哀しみ。
こんなにもむごい形でわが子を失うとは、
親御さんにとっては生き地獄だ。
この世の不幸で、もっとも哀しいことは逆縁だと思う。

シャボン玉の歌が苦手だ。
幼子を亡くした野口雨情の哀感が偲ばれて、
つらくなってしまう。

雨情は、シャボン玉の歌を、
「弾むような、楽しい歌に作って欲しい」
と言って、中山晋平に作曲を依頼したという。

「うまれてすぐに こわれてきえた」わが子の姿を、
弾むように楽しく歌う子供たちにだぶらせたかった・・・
わたしにはそんな気がしてならない。

だめだ。
ここまで書いてきて、もう、鼻の奥がツーンとなってしまった。

伯母のところの次男坊、
俊郎さんが亡くなったのは、わたしが小学5年のときだった。
オートバイの事故だった。
俊郎兄さんは機械をいじるのが好きで、
大学には進まず、修理工となった。
そのことでは父親と大いに揉めた。

俊郎兄さんがオートバイ事故で即死の知らせを受けたとき、
わたしは、畳をかきむしってオイオイ泣いた。
人の死はこんなに哀しいものかと。
俊郎兄さんには思い出がいっぱいあった。
夏になると、キャンプに連れていってくれたし、
自転車の乗り方も教えてくれた。

伯母は・・・
「俊郎、俊郎・・・どうして返事してくれないの、どうして」
と、亡き骸に話しかけていた。
そして、その夜、
伯母は俊郎兄さんに添い寝して一晩すごした、という。

俊郎兄さんが伯母の実子でなかったことを知ったのは、
それから何年も経ってからだった。
伯父さんがよその女の人に産ませた子を、
赤ん坊のうちに引き取って伯母が育てたのだという。

ちっとも知らなかった。

俊郎さんは、お兄さんの逸郎さんともよく似ていたし、
たぶん、本人も知らなかったんじゃないかと思う。

月命日になると伯母は、
「俊郎が好きだったから」
と、いつもお赤飯を炊いて仏前に供えていた。
うちにもよく届けてくれた。

夫が外の女性に子を宿したと知ったときは、
伯母もずいぶんと苦しんだことだろうに。
それでも、伯母にとっては大事なわが子だった。

 シャボン玉 きえた
 とばずに きえた
 うまれて すぐに
 こわれて きえた

 風 風 ふくな
 シャボン玉 とばそ

Excite エキサイト : 社会ニュース
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by leilan | 2004-11-23 18:44


バッカスの神さまに愛されたい
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