<   2005年 01月 ( 31 )   > この月の画像一覧

俳句  声あげて泣く若さ欲し寒昴
はればれと海ありにけり日脚伸ぶ

声あげて泣く若さ欲し寒昴

太郎次郎胸につららの鳴つてをり


歌舞伎座二月公演夜の部の演目に、
森鴎外原作の<ぢいさんばあさん>を見つけた。
筋に曲折のないサラリとした短編だが、
宇野信夫がこれを脚色し、
わたしは、先代仁左衛門の伊織、
先代鴈治郎のるんで観たことがある。
鴎外の原作と同様、凛とした気品のある舞台だった。

るんは安房国の由緒ある家の娘で、
十四のとき江戸へ出て、
さる大名屋敷に十四年奉公した。

御殿から下がったときは二十九歳、
当時の常識ではとうに婚期を逃していたが、
彼女はなるべく御旗本の中で相応の家へ嫁に行きたいと言った。
世話する者があって、
旗本、美濃部伊織と結婚した。
伊織は三十歳だった。

るんは必ずしも美貌ではなかったが、
単に綺麗なだけの女にはない美しさがある。
大柄だから押し出しがいい(無重力さん好み)
目から鼻へ抜けるように賢く、
眉や目の間にその才気が溢れている。
ぼんやりと手を明けているということのない女で、
つまり働き者であった。

仲人が立ってアレンジしたハイミスOLとサラリーマンの結婚というわけだ。
現代の娘はそんな他人の仕組んだ結婚はヤダ、
まず恋愛して、できれば婚前交渉もして、
相手を知ってから結婚したいと願うだろう。

だが、自分は自由だと信じ込んでいる現代人も、
その実は知らず知らずのうちにマスコミに操られたりして、
自惚れるほど決して自由ではない。

むしろ、るんの方が現代女性よりも能動的である。
自由である。
結婚したいと自分から言い出し、
当時の常識に則って相手を発見したのだから。

彼女の結婚は成功だった。
鴎外はその成功のさまを、ごく簡潔に書いている。

  るんはひどく夫を好いて、手に据えるように大切にした。

  伊織は好い女房を持ったと思って満足した。

鴎外は、<ひどく夫を好く妻>と<妻に満足した夫>のカップルを、
夫婦として最高のものと観じていたらしい。
わたしもまた、結婚の幸福は煎じ詰めればそこにあると思っている。

るんは、夫の老いた祖母にもよく仕えた。
少し気の短かった伊織は、
やさしい妻を得て癇癪が出ないようになった。

女は決して完成してしまった男と結婚するわけではないのだ。
夫は概して欠点の多い青年だが、
若いがゆえにフレキシブルであり、妻によって育つ。
妻は子を生んで育てるだけでなく、夫をも育てる。
 
女とは<育む(はぐくむ)性>である。

二人は新婚生活を仲良く過ごした。
るんは妊娠した。
ところが、ちょうどるんの臨月に異変が起きた。

伊織に京都検番の命令が出たのである。
サムライのことだから、むろん単身赴任だった。
そして赴任先の京都で事件があった。

寺町通りの刀屋でいい差料を見つけたが、金が足りない。
そこで伊織は同僚の下島某から三十両を借りて買った。
親しい友を二、三人呼んでささやかな宴を催し、
手に入れた刀を見せたが、
そこに下島某が乗り込んで来て、
「俺から金を借りておきながら招かないとは何事か」
と嫌味を言った。
瞬間、伊織は癇癪を起し、下島を斬った。

斬られた方にも咎があったとはいえ刃傷である。
伊織は知行召し上げの上、
越前の某大名家に、永の御預けとなった。
今日の無期懲役ないし不定期刑に当たる。
夫婦は、生きて再び会えないことになった。

るんが嘆き悲しんだ様子を、鴎外は書いていない。
鴎外の好みで書かなかったのではなく、
当時の妻は夫との永別を、
他人の前で嘆き悲しまなかったからだろうと思う。

昔の日本女性は運命に素直だった。
男もそうだった。
それは運命への卑屈な忍従ではない。
昔も今も、人は運命に逆らうことはできないのだ。
運命に逆らって叫び、足掻き、
これは人災だと言い張るのは、
賢い人のすることではない。
英語の諺にも、こぼしたミルクを嘆くな、と言う。

江戸の美濃部家では祖母がまもなく死に、
次いで父の顔を知らず生まれた嫡男が天然痘で死んだ。
るんは一人になった。
それでも、彼女は生きていくための強い意志を失わなかった。

奉公口をさがして、
るんは黒田家の屋敷に目見えに行った。
運命を甘受する素直さと、
生きていく強い意志が眉宇に漲っていたからだろう。
黒田家は一目見て彼女を雇った。
るんは以後三十一年、同家に仕えた。

夫婦が生き別れてから三十七年目に、
伊織は許されて江戸に戻った。

伊織もるんも総白髪になって、お互いのことが判らない。
しかし、夫が鼻をこすったその癖、その仕草で、
るんは、その人が伊織であるこに気づく。

二人は新婚のときのように仲睦まじく、
伊織の弟が建ててくれた隠居所で暮らした。

運命に素直なことは、
決して漫然と流されることではない。
それは強い覚悟と表裏一体になっていなければならない。
るんの謙虚と毅然の間から、香り高い気品が立ち昇る。

わたしには、とてもるんの賢さはないが、
るんから学ぶことは多い。
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by leilan | 2005-01-21 19:18

俳句  アラワイ運河冬の茜を流れけり
マスクして巾着切りの眼でありし

アラワイ運河冬の茜を流れけり

児ら競ひ踏みしだき往く朝の霜


もし、三十年早く生まれていたら、
鎌倉アカデミアで、歌人・吉野秀雄に学びたかった。

短歌の歴史は千年を超える。
吉野秀雄は、その長い歌史上に残る相聞歌人だ。

というよりも、
山口瞳の「小説・吉野秀雄先生」の、
いっとう美しい師弟のありようの方が有名かもしれない。

吉野秀雄は富岡の大きな呉服問屋に生まれる。
富岡製糸工場があったあの富岡である。
大正十一年、実業家として家を継ぐべく慶応の経済に進むも、
肺結核のために中途退学。
鎌倉に転地療養し、
文学書、歌書に親しみ、歌作を始める。

十五年、栗林はつと結婚。
しかし、昭和二年、四年、六年と隔年置きに肺患をぶり返し、
危篤に陥っている。
病身であれば仕事もままならない。
妻子を置いて、自分は逝くかと、秀雄は考えていた。

ところが、看病に疲れたのであろう。
はつが急に不調を訴える。
検査の結果、胃壁に悪性の肉腫ができる難病と判明。
戦時下であれば特効薬どころか、食料さえ満足ではない。
十九年夏、はつ死去。

四十二歳の病身の男と四人の子供が残された。
同年末、兄の世話でお手伝いが来る。
八木とみ子、四十歳。
キリスト教詩人・八木重吉の妻であり、
夫が三十歳で昇天した後、
二人の遺児を育ててきたが、
その二人とも病気で亡くしている。

山口瞳は、こうしたためている。

  容貌魁偉である。誰が見ても、一見して、
  尋常な男ではないと思っただろう。
  タダの人ではない。

わたしは、この吉野秀雄のお顔が好きだ。
なんというか、たまらなく好きだ。

いま、わたしの手元にある一葉の写真は、
おそらく晩年のものだろう。
白髪のどちらかといえば面長な顔立ち、
眼鏡の奥に光る眼は慈愛に満ちているが、
やはりタダモノのそれではない。

晩年、寝たきりになられた吉野秀雄は、
村田英雄がテレビで「人生劇場」を歌うのを見て、
「やると思えばどこまでやるさ」
というところで、上半身を起して、
テレビに向かって、
「馬鹿野郎」と怒鳴ったという。

どこまでやるさ、なんて言葉はない。

「どこまでも」ならある、
しかし、「どこまでやるさ」なんて言葉はない、と。

そうした、男性的で純粋な男の眼だ。

  我命をおしかたむけて二月朔日朝明の富士に相対ふかも <吉野秀雄>

  わぎのちを おしかたむけて にがつついたち 
  あさけのふじに あいむかうかも

この歌を山口瞳は、
あの先生が山に向かって対決しているような感じっていうのは判るが、
何を大袈裟なという感じになってしまうのではないか。
自分の命を「おしかたむけて」というのは重すぎる、と語っている。

しかし、病弱な者には、
この吉野秀雄の悲壮感にも似た武者震いがよく理解できる。

死と隣合せに生きた者にしかわからないかもしれないが、
朝、目覚めたとき、ああ今日も生きていた、と思うのだ。

山口瞳は、先生の厳しくも優しい人柄に惹かれ、
先生の指導する短歌会に参加し、
鎌倉のお宅に頻繁に出入りし歌作に励む。
しかし、悲しいかな。
自分には歌の才能がないのを痛くも思い知らされるばかり。
その弟子に、師はこういう声をかけている。

  「山口君! 恋をしなさい」
  と、先生が言った。
  「恋愛をしなさい。恋愛をしなければ駄目ですよ。山口君。
   いいですか。恋をしなさい。交合(まぐあい)をしなさい」
  先生は、力をこめて、声をはげまして言った。

なんと含蓄のある言葉か。
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by leilan | 2005-01-20 18:34

俳句  鳴くといふ砂鳴ひてをり冬の浜
入院のあさ寒梅のよく匂ふ

鳴くといふ砂鳴ひてをり冬の浜

雪催むかし廓の五番町


越後のちりめん問屋のご隠居が、
実は水戸のご老公であったり、
遊び人の金さんが、
実は江戸町奉行の遠山金四郎景元だったり、
主人公が本来の姿とは異なる低い身分に<身をやつす>劇は、
歌舞伎では<やつし>と呼ばれるものだ。

こういった役柄は、
氏素性がよいために身をもちくずしても気品があり、
みすぼらしさとはアンバランスな、
鷹揚さを感じさせるところにポイントがある。

ま、そこで女心は、
「あんな素敵な人が身近にいてくれたなら」
という具合にくすぐられてしまう。

歌舞伎の確立期、
元禄年間には大物役者がきら星のごとく現れたという。
そうした動きのなかで、
<西の和事、東の荒事>
といった京・大坂と江戸両地域の特徴が生まれる。

和事とは廓に通う客と遊女の世俗的な芝居、
荒事は超人的な力をもつヒーローの活躍する芝居である。

坂田藤十郎はその上方和事のさきがけとされる色男役者だ。
彼の確立した芸は、当時<色事やつし>と言われた。

若殿、若旦那など育ちのよい人物が、
遊女に入れ揚げたために身をもちくずし、
編み笠に紙の衣服で現れるのが基本的なパターン。

それを、周りの遊女や家臣、手代などが犠牲になりながら、
本来の立場に戻してくれ、めでたしめでたしとなる。

この<やつし>が、
その後の歌舞伎、時代劇の主要な表現方法となった。
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by leilan | 2005-01-19 20:35

俳句  おでん酒ふえて得がたき友ばかり
チューリップ散り際にある大笑ひ

おでん酒ふえて得がたき友ばかり

愛情の数だけ別離ありにけり


ファクシミリをはじめて見たのは、昭和57年頃だったろうか。
それまで、海外との遣り取りはもっぱらテレックスだった。

テレックスといえば、忘れられないのは昭和55年12月9日。
ニューヨークから入って来たテレックスを読んで、驚いた。
ジョン・レノン暗殺の第一報だった。

思わず、ジョン・レノンが暗殺されたそうです、と叫んだら、
どよめきが起き、何人かの同僚が駆け寄ってきた。
誰かがラジオを点けたが、まだ報じられていなかった。

あの時代を思うと、通信手段の日進月歩はすさまじい。
いまこうして、何千海里も離れたハワイから、
一瞬のうちに日本に向けて送信できるのだから。

そう思うと、グローバリゼーションの流れには、
どうしたって抗えないんだな、
なんて、ふっと溜息が出る。

だが、こうしたブログを通じて、
得がたい情報も入手できることを思えば、諾べなるかな。
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by leilan | 2005-01-18 18:58

俳句  恋人に聴かす島唄寒ざらい
磨かれし夜のキッチン玉子酒

恋人に聴かす島唄寒ざらい

寒卵ひよこ出たならどうしよう


東京にいた頃、
リコーのコピーマシンを買ったことがあった。
配送の青年が二人来て、オフィスに運んでくれたが、
一人は沖縄の石垣島出身の青年で、
もう一人はタイから出稼ぎに来ている青年だった。

バブルの頃は、
外国から働きに来た青年たちをたくさん見かけたものだったが、
彼らを、まるで虫けらのごとく扱う場面に遭遇して、
ひそかに胸を痛めたことが多々あった。

ところが、この石垣島出身の青年には全くそんな素振りがなく、
日本人のようには気がまわらないタイ人のパートナーに、
親切にあれこれ指示していた。

わたしは、なんとなく心がなごんで、
ちょうどお昼時でもあったし、
あなたたち、いつもお昼はどうしているの、と訊いたら、
ほかほか弁当なんか買って食べてます、というので、
近所の中華屋さんに連れていった。

石垣島くんは素朴な好青年で、
東京は人も車も多くて疲れます、と笑顔で語ってくれたが、
この純朴な青年に、都会はドライ過ぎるのだろうと、
ちょっぴり痛ましさを覚えた。

それから時々、
東京大神宮近くの沖縄料理「島」に、
石垣島くんとタイくんを誘って、泡盛を飲んだりした。

やがて、石垣島くんは地元の空港に仕事が決まり、
沖縄に帰っていった。

今日、その石垣島くんのご親戚の方に御目文字した。
ハワイで沖縄料理のお店を経営されているTさんから連絡があって、
石垣島くんの叔父さんご夫妻がいらしているという。

叔父さんご夫婦も石垣島くん同様、
あたたかいお人柄の方たちであった。
わたしの出会う沖縄の人たちというのは、みんな温かい人ばかりだ。

で、わたしはすっかり忘れていたのだが、
石垣島くんが沖縄に帰るとき、
どうもお母さんにバッグを求め、持たせてやったらしい。
そういえば、そんなこともあった。
石垣島くんは小さいときにお父さんを亡くされ、
お母さんが苦労して彼を育てたのだという。

そのバッグをお母さんは未だ大事に使って下さってるそうで、
バッグを持ってポーズをとったお母さんのお写真を、
石垣島くんからの心尽くしの古酒と一緒に頂戴した。

今日は、ハワイ三線会の方々もいらしていて、
久々に「島唄」を聴かせていただいた。
心に沁みる唄声であった。
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by leilan | 2005-01-17 21:44

俳句  人の恋見つめてをりぬ寒鴉
人の恋見つめてをりぬ寒鴉

寒紅の口より嘆き聴くことも

モンゴロイドの骨ぱりんと凍つる夜

人肌と燗酒欲しや夜の底


ブログのスキンをいろいろ試してみたのだが、
このシリーズの文字がいちばん大きいようだ。
50近い女にしちゃあ、色合いがちっと七五三みたいで、
おばばの本卦還りを思わせるが、
まあ、よろし。

歳を取ると、字は大きい方がラクになる。
日本の文庫本の文字が大きくなったのは、
ほんとうに、ありがたいこと。

スキンを自分で作れればいいのだが、
IT関連は、無芸小食のわたしです。

こんなとき、ITに詳しい夫がいて、
「ねぇ、あなた~、おねが~い」
なんて鼻声でしなだれかかると、
「ほいきた!」
と、スキン作ってくれるような夫がいたら、
なんて空想にふける土曜の夕まぐれ。

センター試験の問題が毎日インタラクティブに載っていたので、
英語と日本史にトライしてみた(もの好き)
ちょろい、と言っては失礼かもしれないが常識の範囲内。
高校生にとっても、そんな難しい問題ではないと思ったが。

英語の Reading/Writing なんかは、
5 sentences 程度で summarize させるような試験にすれば、
日本の高校生は、もっと使える英語力が身につくと思うのだが。
そこに in spite of なんかさりげなく使われていたら、
5点追加しちゃうぞー。

日本史は、30年たってもスタイルが変わりませんね。

わたしは、歌舞伎の勧進帳を観ると必ず、
<いい国つくろう鎌倉幕府>が、
にゅっと顔を出す。
邪魔、邪魔、と追い払うのだが、
観劇の間中、頭のどっかで
<いい国つくろう鎌倉幕府>が
リフレインしている。

将来、ぼけばーさんになって、
<いい国つくろう鎌倉幕府>
なんて呟いてそうで、
おお、イヤ。

もし、この世に徳川家康という人物がいなければ、
その後の日本はどうなっていたと思うか?
なんて、問題が一つくらいあってもいいんじゃなかろうか。

絢爛豪華な桃山文化が日本に根付いていたかもしれない。

なんて答えでも、とりあえず5点。
ダメかしら?
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by leilan | 2005-01-16 15:30

俳句  人去りし日やラグビーの地を蹴る音

人去りし日やラグビーの地を蹴る音

うさぎ穴不思議の国の人となる

海人の波立つ冬のノースショア


受験の季節になると思い出す歌があって、
その名も「受験生ブルース」というのだが、
これを聴いて身につまされた世代は、
おそらく団塊か、団塊以後の人たちなのだろう。

  朝は眠いのに起されて
  朝飯食べずに学校へ
  一時間目が終わったら
  無心に弁当食べてるよ

  ひとよひとよにひとみごろ
  ふじさんろくにおーむなく
  サインコサイン何になる
  おいらにゃおいらの夢がある

  大事な青春無駄にして
  こんな歌ばっかり歌ってるから
  来年もきっと歌ってるだろう
  予備校生のブルースを

日本の受験は、初めにテクニックありきで、
わたしの時代は、高校教師にそのノウハウがあるかないかで、
かなり合格率が左右されるような傾向があった。

現代ならば、それがもっと研究され尽くされていると思うが、
30年前は、そうした教師がまだまだ少なかったのではなかろうか。
わたしは幸い、古文と英語と日本史の教師がピカイチだった。

ことに日本史の教師からは問題集を三冊買え、と言われた。
平易なもの、普通なもの、難しいものの三冊。
これを三冊使いこなしたら、
驚くことに、旺文模試で日本史が満点だったことがあった。

とは言っても、私立文系ですから、
理系の科目は、まるでだめお(なんて、ご存知の方、います?)

かくて、電車のドア斜め上にある日能研の広告、
開成中学の算数問題なんか解けなくて、
気がつけば電車は飯田橋駅を通過しているわけです。
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by leilan | 2005-01-15 23:23

俳句  酔ふてさうらふ見上げたる冬銀河
酔ふてさうらふ見上げたる冬銀河

手袋の落ちたも知らず日能研  (算数が難しい!)

下車駅の過ぎにし吾れや日能研

今日こそとそれでも解けぬ日能研

ちやんちやんこ着ておはじきに夢中なり


日本の世相に疎く、浦島太郎状態に近づく一方のわたしだが、
極東ブログのエントリ「未婚男性急増といったことから」を拝読し、
ひざをポンと叩きたくなるような箇所があった。

  子供の教育費を含め、幸福なりが、可処分所得と消費に構造化
  された世界のなかでは、そこから落ちこぼれていく人がいるとい
  うのは、まさにその構造の特性なのであろう。
  で、終わり、という感じがする。そこを出るということは、マイルドで
  あれそうした構造に対立する意味でカルト的なコミュニティへの
  所属希求となるのだろう。が、それが上位の一般社会を覆うこと
  はない。

その通りだと思う。

日本はいよいよ階級社会に入ったという論調を見かけるが、
こと結婚に関しては、昔から敢然と階級意識が存在したと思う。
それは、親の職業や家柄であったり、住む地区であったりした。
本人同士は好きで一緒になりたくても、
不釣合いだとして周囲が許さなかった話はたくさんあった。
わたしの友人にも駆け落ち同然で結婚したのもいるし、
泣く泣く諦めたカップルも現に存在した。

しかし、そうした階級意識とはまた別に、結婚できない男たちもいた。
中卒や高卒で、中小の町工場に勤めてコツコツ働いているのだが、
なかなか嫁さんの来てがない男たち。
あるいは、農家の長男坊で、親と一緒に農業を営んでいるものの、
嫁さんの来てがないという男たち。

わたしの世代でこうした男性たちが30代になりかけた頃、
フィリピン・バーが一世を風靡したことがあった。
彼らは、日本の女性を相手にせず(相手にされなかったのだが)
フィリピーノに入れ揚げ、身ぐるみ剥がされたり、
サラ金から借金までして入れ揚げ、債権取立てに追われ自殺したり、
なかには結婚した人もいただろうが、その後はどうなったのだろう。

その一方で、新興宗教にのめり込んでいく人も多かった。
原理研(統一教会)、創価学会、幸福の科学、オウム・・・。

「幸福が可処分所得と消費に構造化された世界」とは、
よくぞ言ってくださった、という感じがする。

そんな日本に嫌気がさして、貧乏が当たり前のようなハワイにいる。
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by leilan | 2005-01-14 20:59

俳句  生国は水の地球や浜千鳥
生国は水の地球や浜千鳥

重ねあふものは白息だけとなり

犬鳴きて霜降る夜の東京都


as busy as bees・・・
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by leilan | 2005-01-13 20:06

俳句  恋のころ来し神社にて寒牡丹
恋のころ来し神社にて寒牡丹

祖父の足袋かざす祖母の手火鉢かな

寒椿肌ふれあひてめざめあふ


和田誠さんの「麻雀放浪記」を観たのは、
あれはまだ昭和だったと思うが、
いきなり驚かされたのは、「東京の花売り娘」だった。

精巧に作られた焼跡のセットに路面電車が走り、
グレイの空を烏がよぎって飛ぶタイトルバックに、
文字通り<いきなり>という感じで、
岡晴夫の歌が流れたのである。

アナーキーな歌だった。
底抜けに明るい歌なのに、空虚で、
憧れがテーマのはずなのに、
どこか投げやりな溜息が聞えてきた。

戦後のまだ焼跡の匂いの残る街の風景には、
どうして癖のある、どちらかと言えば嫌らしい声と、
歌い方があんなにも似合うのだろう。

  青い芽を吹く 柳の辻に
  花を召しませ 召しませ花を
  どこか寂しい 愁いを含む
  瞳いじらし   あのえくぼ
  ああ東京の  花売り娘

そして、出目徳の高品格。
リアリティという点で、高品格は逸品であった。

極東ブログのエントリがすばらしかったので、
それについて書きたいと思ったが、
ちょっと押せ押せなので、また明日にでも。
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by leilan | 2005-01-12 19:05


バッカスの神さまに愛されたい
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