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『俳句』  大南風(おおみなみ)撫でゆくマリア像の胸


♪Memory                           写真:チリ(サンチャゴ)
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            大南風撫でゆくマリア像の胸  麗蘭




Closely Observed Trains
b0048657_21142567.jpg 
ボヘミアの地平線。
チェコは私にとっては魔術的で
中世的な魅力を秘めている国である。
なにより、中世の神聖ローマ帝国、
つまりドイツの中心に位置し、
ドイツ文化の多大な影響を受けつつ、
それは結局のところ最後までドイツではなかった。

この不思議な二重性が、
ボヘミアの地の謎めいた魔術性を決定づけている。

Bohumil Hrabal 著 『Closely Observed Trains』
このペーパーバックはとても面白かったが、
残念ながら、日本語訳は出ていない。

第二次大戦中、ドイツ占領下のボヘミアは、
おそらく、プラハの駅からどの方向に向かっても、
半日以内でドイツ人がいる土地に辿り着いたはずだ。
そのようなものとして、ボヘミアの人たちは、
ドイツ人に囲まれた地平線の中で暮らしていた。
彼らにとってドイツ人とはいったい何だったのだろう。

ひょっとするとチェコの人たちは、
その囲まれた土地を謎めいた魔術の言葉によって、
守っていたのではなかろうか。

物語の最初のほうに、
侵攻するドイツ戦車の前に立ちはだかった男の話が出てくる。
彼は催眠術の力で戦車隊を追い払おうとして、
ドイツ軍に「引き返せ」という念を送るのだが、
そのまま戦車に踏みつぶされてしまう。

ところが、彼を踏みつぶした先頭の戦車は、
その死骸の頭が挟まってしまい、
プラハの郊外の道で動けなくなってしまうのだ。
この挿話は、いかにもボヘミア的だと思った。

ボヘミアの魔術性と悲しみとしたたかさとは、
まさにこういうことなのだろう。



元大関・貴ノ花関
b0048657_2113479.jpg貴ノ花の病状がかなり悪化しているという。
がんばれ貴ノ花。
神様、どうか貴ノ花を助けてください。
現役時代、バネはあり、足腰も強く、才能に恵まれてはいたが、幕内最軽量を争うほどで、とにかく怪我や病気に泣かされた。細い身体で、150kgを超えるヘヴィー級を向こうに回し、誰が相手でも決して楽には勝てず、そしてどんなに相手が強くても簡単には負けない。そのハラハラ相撲が少女の私を揺さぶった。


貴ノ花が引退を表明した昭和56年初場所7日目。
この日の大相撲中継のことは忘れられない。

NHKのスポーツアナウンサーだった杉山邦博さんには、
貴ノ花に対する特別な思い入れがあった。
相撲アナウンサーとして駆け出したのと、
貴ノ花がデビューしたのがほぼ同時期だった。

常に世間の視線を集め、
逃げ場も隠れ場も心の安らぎもなかった貴ノ花。
同時代に輪島、北の湖という大横綱がいたことで、
その細い身体で精一杯の粘りの相撲を取りながら今一歩力が及ばず、
そのうち怪我や病気が体を蝕んでいった。
そして、衰えが次第に顕在化するようになる。

ついに、貴ノ花が引退を表明する。
その日、大相撲の実況が決まっていた杉山さんは、
貴ノ花の引退会見を見ながら悩んでいた。
はたして自分が平常心で実況に臨めるか。
まったく自信がなかった。
しかしプロとして恥ずかしい仕事はできない。

自分の相撲実況は貴ノ花とともにある。
そう思いながら長い間お茶の間に声を届けてきた。
そしてその彼はもう土俵から去る。
「貴ノ花は昨日限りで引退を表明しました」という
実況をしなければならない。
これを平常心で言えるのか。

杉山さんはそのように迷いつつ、
午後4時前、蔵前国技館のNHK放送ブースに、
解説の玉の海梅吉とともに座した。

一番一番進む取り組み。
あと何番、あと何番・・・。
杉山さんはどういう実況をしていたのか、よく覚えていない。
ただ、「貴ノ花引退」を自分の口で実況しなくてはならない。
その時間が迫ってくることが無性に怖かったという。

b0048657_4241330.jpgやがてその時は来てしまう。
場内アナウンスが以下のように告げた。
「大関貴ノ花、引退のため本日より休場、
したがって蔵王錦の不戦勝であります」

ところが杉山さんは、
喉の奥が詰まって声が出ない。
実況アナとして、
何かしゃべらなくてはならない。
彼は絞り出すようにしゃべりはじめた。

「昨日の一番を最後に・・・、大関貴ノ花は・・・、
土俵を去ることになりました。
あまりにも偉大な兄の下で大きな苦しみもあったことでしょう。
そして怪我も多く、
一向に太れないあの小さな身体で、
よくぞここまで土俵を勤め上げたと思います・・・」

そこまで言って一呼吸つくと、
杉山さんの胸にはアナウンサーになってから
初めて味わう感覚がこみ上げてきた。これは・・・。
私はひょっとしてこれから涙するのか・・・?
そう思いながら杉山さんはさらに続ける。

「あの小さな身体で・・・・・・、本当に長い間お疲れさまでした・・・・・・」

杉山さんは頬を大粒の涙で濡らし、
・・・・・そこで絶句してしまった。
涙で実況すべき土俵を見ることすらできない。

隣でその一部始終を見ていた解説の玉の海さんは、
杉山さんにやさしく一瞥した。

玉の海さんは十数年前の貴ノ花初土俵からの思い出を、
次の取り組みがはじまるまでゆっくりと、
しかし、非常にしっかりとした口調で、
視聴者に語り掛けていたのだった。

いろいろなスポーツの実況中継を見てきたが、
これほど心打たれた実況をいまだ知らない。
......................................................................................................................
大鵬が引退を決めたといわれる貴ノ花との一番がここで見られます。
I'm very fond of you !
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by leilan | 2005-05-30 09:12 | 俳句

『俳句』  九段ゆく母よ昭和の日傘して

九段下より靖国方面を望む
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            九段ゆく母よ昭和の日傘して  麗蘭




わが子を戦死という形で失った父方の祖母も母方の祖母も、
その胸の内を語ることはほとんどなかった。

しかし、たった一度だけ、
胸が張り裂けそうな場面に遭遇したことがある。

父方の祖母が亡くなったとき病院に付き添っていた母が、
祖母の枕の下からお守りを取り出して、
寝巻きのゆかたの胸元に挿んでやったのだ。

そのお守り袋の中には「砂」が入っていた。

戦死した伯父には遺骨がなかった。
その代わりに祖母は、
伯父が亡くなったフィリピン沖に近い所の砂を、
祖父にお願いして採って来てもらったのだという。

それを、お墓とお仏壇に供え、
残りはお守りにして、
肌身離さず持っていたのだそうだ。

祖母はそういうことを話さなかったので、
亡くなるまで、私は知らずにいた。

フィリピンのミンダナオ島で、
元日本兵2人の生存が報じられている。

どういうご事情で現地に留まられたのか、
詳細については一切判らないが、
国家とは、時にむごいものだと思う。

そして、多くの母親たちが、
夏の暑い盛りに日傘をさして、
あの九段の坂を昇ったかと思うと、
こうして詠まずにはいられない。

本当は、こういう俳句は好きではない。



ポイズン・ピル(毒薬条項)の導入

ポイズン・ピルに関する記事が目に付いたのでちょっと。

これを導入するに当たって、
「株式決議を条件とする」という方針で、
政府が法律の原案を作っているという。

これは一見、もっともらしく見える。
しかし、とんでもないことだ。
なぜなら、これは多数派による少数派の権利剥奪であるからだ。

ポイズン・ピルは現在の経営者にとっては有利だが、
株主にとっては不利である。
なぜなら、株式を高額で売ることができなくなる。

そもそも、株式とは何か? 
経営を好き勝手に決める権利か? 

それは最適の経営者を選ぶ権利だ。
そのことで、株価を高くすることができる。

ファジーテレビが「A氏を選べば100円の価値がある」と思い、
ホラエモンが「B氏を選べば105円の価値がある」と思ったとする。

このとき、ファジーはホラエモンに株を売ることができる。
価格は、100円以上105円未満だ。
たとえば、103円。
このあと、103円で買ったホラエモンの判断が間違っていた場合、
損をするのは、ホラエモンだけだ。

一方、ホラエモンの判断が正しければ、
103円で買って105円の価値をもつことができるようになり、
ホラエモンが得をする。

こうして最適の経営者を得ることができる。
これが資本主義の原理だ。

ところが、ポイズン・ピルを導入すると、
このことが不可能になる。
少数派の株主が103円で売ろうとしても、
うまく売ることができなくなる。

「株を買ったあとで売ることによって利益を得る」
という権利に制約が加わる。
これは、資本主義を否定することだ。

仮に、こんな横暴が許されるならば、
株主決議で多数派が決議すれば、
何でもやっていいことになる。

たとえば、大株主だけに特別な配当をするとか、
会社を倒産させて資産を大株主にプレゼントするとか、
少数派の権利を踏みにじることが許されてしまう。

ポイズン・ピルとは、
現在の経営者の権利を守るためだけのもので、
一般株主の権利を奪うためのものだ。

そのことは、たとえ株主総会で決議されても、
許されることではない。
法律は、公正さのためにある。
多数派の横暴を許容するのであれば、法律など必要ない。
大切なのは公正さだ。

こういう話を平板に書くのは難しいものですね。
判りにくくてごめんなさい。



【おおああるぜっと】 orz = ガックリ、落胆。
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実は、何かの略語だと思ってて
しかも、何の略語なのか?
そのあたりを密かに悩んでいた。

_| ̄|○  これも同じような意味なの?
       正常位。ま、まさか!
      



子供の成績が悪くて

 141 :名無しの心子知らず :2005/05/25(水) 12:13:45 ID:2gJxIdBx
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 子供の中間考査の順位が悪かった。
 そんなに良い順位が取れるわけでもないと覚悟はしていたが、
 想像していたよりも悪かった。
 全てに置いて面倒くさがるからミス連発なんだよ!
 対人関係も、漢字も、公式もミスが連発でドミノ倒し
 みたいじゃないか!!!!!!!
 辞書ひけよ!公式は教科書に載ってるよ!
 待ち合わせの確認くらいしろよ!!!!!

  い い 加 減 に し ろ !!!!!!!!

 と、地面に大の字になって、キィーキィー喚きながら
 360℃グルグル回転したいくらい腹立つ。


 142 :名無しの心子知らず :2005/05/25 14:38:08 ID:2kXYyVsa

 カーチャンもおちつけ。360℃だとグルグルというかグツグツだ。
...................................................................................................

○┼<   バタッ



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by leilan | 2005-05-29 06:01 | 俳句

『俳句』  はまなすや外人墓地は海を向き


♪碧空
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          はまなすや外人墓地は海を向き  麗蘭




旅のひと
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組織の中にいて束縛されていた頃の夢を見ることがある。私は根が風来坊なたちなのだろう。自由の身になっても世間のしがらみが時に重たい。

江戸から明治にかけて、自由気ままな生活をしていた人たちがいたことを、民俗学者・宮本常一は「忘れられた日本人」で紹介している。

(宮本常一著  忘れられた日本人  岩波文庫)

彼らは「世間師」と呼ばれ、
奔放な旅をしながら仕事を見つけ、
最後は村に帰り文化の伝達者の役割を果たしていたという。

長州の宮本伊太郎という人は幕末の戦争に参加。
その後、木挽き、大工と職業を転々としながら旅を重ねた。

故郷に妻がいながら旅の仕事先で、
村長の仲人ですてきな娘と結婚。
家のほうでも2年経っても帰って来ないので調べたらこの有様。
ようやく連れ戻されたそうである。

現在では重婚騒ぎでとんでもない野郎ということになるが、
大した騒ぎにならならずその後九州、台湾と遍歴している。
いわば出稼ぎの気ままな人生といえるが、
その先々で経験をいかした仕事をして役に立っている。

また河内長野の左近熊太という人は、妻に先だたれ、
56歳で気ままな旅に出かけている。
そして旅先で知り合った易者と一緒に旅をしながら、
大いに見聞を広めている。

旅先でたまには女にも手を出したりした気楽な旅であったが、
時代の動きを敏感に察知する能力もあり、
旅先で多くの知識を学んでいる。

紹介した二人の世間師はその立場、体験は違うが、
何故村人が彼らを「世間師」と呼んだのかに興味がある。

彼らは村や旅先でそれまでの体験、
見聞したことを伝達していた。
いわば「世間学」の師であったわけである。

明治から大正、昭和の前半にいたる間、
どの村にもこのような「世間師」が少なからずいた。
それが村を新しくしていくための、
ささやかな方向づけをしたことはみのがせない。

気ままな旅をしながら、
村人から人生の師と崇められた「世間師」は、
今の社会にはいないタイプの人たちである。

この本は日本の文化を陰ながら築き支えてきた伝承者たちを、
歴史の舞台に登場させた宮本民俗学の代表作と言われている。

ところで、昭和30年代のわが家には、
時々、こういう人たちが泊まっていくことがあった。
おそらく、祖父の気質が敷居を低くしていたものと想像する。

どの人も、いい歳をしたおじいさんで、
明治の前半に生まれた人々ではなかったかと思う。

まだ幼かった私が、
「あの人は、だあれ?」
と訊くと、家の者は皆、判子で捺したように、
「旅のひとですよ」
と答えていた。

いちばん思い出に残る旅のひとは石郷岡さんというおじいさんで、
よくこの人に手を引かれて、あちこち連れていってもらった。

どこかの洋食屋でマカロニサラダを食べたとき、
「れいちゃん、マカロニに穴が開いているのはナ、
スパゲッテイを作るためなんですぞ」
と教えてくれたのを今でも憶えているのだが、
本当なんだろうか?

石郷岡さんは漢学者だったと聞いた。
弟の名前は石郷岡さんが名付け親で、
漢学者のせいか、ちょっと懲りすぎの名前である。
そのせいで就学以来一度たりとも、
正しい呼称で呼ばれたことがないそうだ。
お気の毒なことである。

昭和40年代になって高度成長がはじまると、
こうした旅のひとが来られることはなくなった。

わが家には若山牧水の短冊がいくつかあるが、
牧水もまた旅のひとで、泊まっていくことがあったそうだ。




玄人の粋・神楽坂芸者衆
b0048657_1730093.jpgお引き摺りの姐さん方が、お座敷で舞う動画を発見!
ここをクリック。
芸者衆の踊りは残念ながらやや固い。
下地のない女衆が今は芸者になっているのだろう。
その点、長唄連は年季が入ってさすがのものである。




海苔のクリームソースパスタ

  見た目はイマイチだが、これがうまい!

 Pasta alla crema con alghe
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●材料(2人分)

パスタ      120g
生クリーム   200cc
焼海苔      2枚
ゆずこしょう   適量
塩         適量



〔作り方〕
(1) パスタをゆでる。
(2) 鍋に水少々を入れ、そこで海苔をとかす。
(3) 海苔がとけたら生クリームを入れ、一度わかす。
(4) (3)にゆであがったパスタを入れ、塩、ゆずこしょうで味を調える。

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by leilan | 2005-05-27 07:24 | 俳句

『俳句』  緑一色(りゅーいーそ)決めて扇をひらきけり

♪白い渚のブルース
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           緑一色決めて扇をひらきけり  麗蘭





男と女のいるテーブル


b0048657_12332188.jpgはじめてデートをしたのは高校生のときだった。
お互いに知ってる友達の話や
おもしろかった本なんかの話をして、
アイスクリーム屋さんに入った。

チョコミントの薄いグリーンもシュガーコーンのワッフル模様も、
全部楽しそうにみえた。

「いただきま~す」
おもいきり口を開けてかじりついた瞬間

ばりばりばりばりばりばりばり

崩壊寸前のコーン。
ひざに落っこちそうなアイスクリーム。
パニックの中、考えついたのはなぜか
「ちゃんとしたシュガーコーンってすっごくもろいのね~」

少しずつ少しずつかじるのが、
正しいシュガーコーンの食べ方だったのね。
はじめてのデートだったのに
このあとのことが一切記憶にない。



数年後。

b0048657_12424660.jpg少しだけ大人になった私は、
恋人を待っていた。

そのひとは、
わたしが他の友人と遊びに行ったり、

ひとりで映画やコンサートにいくだけで不機嫌になった。

喧嘩するのが嫌で自分を殺す毎日。
もううんざりしてしまった。
一緒にいて楽しいという気持ちがなくなってしまった。

今日こそ別れるっていおう。
絶対にいうんだ。

先に待ち合わせ場所の喫茶店についた私は、
そればかり考えていた。

しばらくして恋人がやってきて、
お腹が空いていたのかドライカレーなんか注文した。
自分の気持ちを話して早く楽になりたかった。

「…もうやめにしましょう。
あなたの顔色ばかり気にしてつきあうの疲れたわ」

そう言い終ったときにドライカレーが運ばれてきた。
恋人は口をつけなかった。

「わかった」

とだけいってジッとサフラン色のご飯を見ていた。
自分の残酷さがちょっぴり嫌になった。



大人になってから。

b0048657_12515948.jpgもうすぐ逢えなくなる人に、
なじみのお店に
連れていってもらう事になった。

わたしの知らない道を
すいすいと歩いてゆく。
何本も路地があって、
いくつも看板があって
迷路みたいなところ。

やっとそのお店について、
格子のはまった硝子戸を開けると、
「いらっしゃい!」
という威勢のいい声で迎えられた。

厚い木のカウンターがあって、
何人もの板前さんが働いている。
きびきびした動きがきもちいい。
寒い時期だったから熱燗をたのんだ。

忙しい人で、
なかなか逢えずにいて、
逢うたびに季節が変わっていた。

繊細な料理を味わい、
どうでもいいことをおしゃべりして笑った。

もう逢えなくなるんだと考えたくなかった。

立ち昇る料理の湯気やお酒の香り、
木のカウンターの手触り。
爪楊枝をくわえて起きあがる小鳥のついた楊枝入れなどを
一生懸命に覚えておこうと思った。

時間がきて別れる時、
わたしの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。

そんなことはじめてだったから、
本当に逢えなくなるんだと淋しくなった。

タクシーの窓越し、
小さくなってゆくその人の姿が、胸にしみた。



白い渚のブルースに誘われて、
何故か、
こんな思い出を書き綴ってしまった。

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夏のお造り

b0048657_12135026.jpgすだちが手に入ったら。

ひらめの薄造りをですね、
お皿に花びらみたいに盛り付けて
荒塩をぱらぱらとかけます。
そして冷凍庫で思いきり冷やします。
でも凍らせてはだめ。

お膳に冷酒を用意したら、
さっきのお造りのお皿をもってきて、
食べる直前にすだちをぎゅっとしぼる。

透けているひらめの身が果汁で半透明になったところを、
そっとお箸でつまんでお口に入れると立ち上がるすだちの香り。
しこしこしたひらめの歯ごたえと甘味。
柔らかにのどを通ってゆく冷酒。

しあわせの瞬間。
 





♪山ちゃんのテーマ
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              芝青し山ちゃんのゐる競馬場
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by leilan | 2005-05-26 17:00 | 俳句

エルサレム空襲警報下のストラディバリウス
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911の数日後、世界のナンバーワン・バイオリ二スト、
『アイザック・スターン(Isaac Stern)』がニューヨークで亡くなられた。
享年81歳だった。

1920年にユダヤ人の子としてロシアに生まれ、
生後まもなくアメリカに移住。
8歳からバイオリンを始めたアイザック・スターンという稀有の天才を語るとき、
忘れてならないのは1991年2月23日に起こった、
エルサレム空襲警報下での演奏会だ。

当日午後6時50分アイザック・スターンが、
ズービン・メータ指揮によるイスラエル・フィルをバックに、
モーツァルトのバイオリン協奏曲第三番の第二楽章を演奏している時のこと。

突然、不気味なサイレンが鳴り響き、
ステージの上に係員が駆け上り、
「みなさん、ガスマスクを着けてください」
と叫んだのだった。

スターン、メータ、イスラエル・フィルの面々が一斉に楽屋裏に去り、
エルサレム劇場を埋めた聴衆は、
あたふたと用意されたガスマスクをかぶった。

アメリカのブッシュ元大統領が、
イラクのフセイン大統領に突きつけた最後通牒、
クウエート撤退期限が、
あと10分という23日午後7時だったのだ。

タイミングがタイミングだけに、
スカッドミサイルに慣れっこになっていたエルサレム市民もさすがに慌てた。

ところが、そこに、
アイザック・スターンがガスマスクも着けずに、ひとりで舞台に現われ、
いきなりバッハのパルティータを演奏し始めたのだった。

空襲警報のサイレンも止み、
しーんとした劇場の隅々に、鮮やかなストラディバリウスの音色が響きわたる。
ニューヨークからわざわざ戦時下のイスラエルへ、
慰問にやってきたスターンに、
イスラエルの人々がこのときほど感謝したことはなかったであろう。

ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン・・・・・
ユダヤ人が誇りとする音楽家は枚挙にいとまがない。
世界中の超一流音楽家の90パーセント以上がユダヤ人である。

スターンはルービンシュタインとともに、
第二次大戦後、ナチスドイツへの告発姿勢を変えずに、
ドイツでは絶対に演奏しない数少ない演奏家のひとりでもあった。

有名なこの話を、日本のインターネットに残しておきたいと思い書きました。
検索してみたら、残念ながらどこにも載っていないようです。

ここでは国際政治のことはひとまず置いて、
アイザック・スターンの
エルサレム空襲警報下での演奏を顕彰したいと思います。

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by leilan | 2005-05-26 16:00 | Leilan's Bar

『俳句』  薔薇ノ昼ヲトコニ足ヲ撫デサセル


♪愛は花、君はその種子
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          薔薇ノ昼ヲトコニ足ヲ撫デサセル  麗蘭





酒のことなど

b0048657_1346462.jpgものごころがついたころから
飲んでた記憶がある。
酒をまずいと感じた記憶はない。
酒の席での失敗もない。(と思う)
背筋をのばして飲む。
強くてドライなのを飲む。
甘い酒はきらい。
男は甘口がいいけど、
酒は辛口で度数が高いのがいい。



よく飲むのはボンベイサファイア
うすあおいボトルの色と、
壜の横に浮き出ているハーブの絵とラベルのデザインが、
香水壜みたいだから好き。

ボトルごと冷凍庫で冷やして、霜のついたのをグラスに注いで飲む。
5月のプールで泳いでいるみたいな、清冽な酒です。

■追記■
ボンベイサファイアのお仲間発見。六尺家のボク(離乳後期だよ~んw)
見てやってください、ここ
ごはんが待ちきれなくって、おててが出ちゃってるの(笑) 



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            でで虫のごとひそみゐるこの身かな 


    


現代日本には、二つの流れが共存しているように見える。

東京のデパートに行けば、
高級化、ブランド化が進んで、
それは野菜のような食品にまで及ぶ。

その一方で、100円ショップのように、
徹底的にものをやすくしようと言う流れもある。

物価統計がどちらの動きをより多く反映するかが問題で、
「男物のスーツ、女性の靴の値段は?」といっても、
どちらを統計に参入するかで大きく違ってくる。

高級品を好む生活をしている人たちの感覚は、
「インフレになってきた」かもしれない。

逆に、徹底して安い製品で生きようという人にとっては、
「今はまだデフレ」ということになる。

この問題、物価の専門家に聞いてみたいものだ。


♪夏の日の恋
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            恋ひとつ死ぬわけでなしアマリリス
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by leilan | 2005-05-25 21:00 | 俳句

『俳句』  卯の花腐し逢魔が時のわらべ唄


♪ゆりかごのうた
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         卯の花腐し逢魔が時のわらべ唄  麗蘭


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(金子みすゞ童謡集「わたしと小鳥とすずと」より)


   わ ら い

 それはきれいなばらいろで
 けしつぶよりかちいさくて
 こぼれて土に落ちたとき
 ぱっと花火がはじけるように
 おおきな花がひらくのよ

 もしもなみだがこぼれるように
 こんなわらいがこぼれたら
 どんなに どんなに きれいでしょう


26歳の若さで亡くなった童謡詩人金子みすゞの詩。

詩集「わたしと小鳥とすずと」(JURA出版局)の、
矢崎節夫さんのあとがきには、
みすゞさんの詩は“みすゞのいのり”と 書かれていた。

「わらい」も、とても美しい祈りだ。
小さな女の子が、
その小さい手を合わせて祈ったような優しいお祈り。
きれいなきれいなお花畑が、全部やさしいわらいだったら、
どんなに、どんなに、きれいなことだろう。




卯の花腐し(うのはなくたし) 夏の季語
陰暦四月を卯の花月ともいう。
そのころ降り続く陰鬱な霖雨である。
卯の花を腐らせる意といわれる。
五月雨の別称でもある。



b0048657_167465.jpgにんにくをたくさん頂戴したので醤油漬けを作る。
炒め物に良し、実は薬味にも良し。
1ヶ月もすればそのまま食べらる。
皮をむいて熱湯にさっと入れ、冷ましたのち、
浸るぐらいの醤油と少量のみりんに漬けとく。
熱湯に通すと臭みもそれほど気にならない。



b0048657_2013089.jpg空心菜は、夏が旬。その名のとおり茎の中が空洞になった、ちょっと変わった外見の野菜だ。ぐわーっと強火で炒め、にんにくを効かせて食べるのがおいしい。シンプルに塩と酒で炒めるのも良いし、オイスターソースでテラテラにするのも良い。今日はにんにく味を堪能しようと、たっぷりのにんにくと炒め合わせて塩を強めにふり、あとは酒で軽くシナッとさせる程度に火を通した。

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by leilan | 2005-05-24 21:11 | 俳句

『書棚』  すべての女は痩せすぎである / 姫野カオルコ


すべての女は痩せすぎである
姫野 カオルコ / 集英社
ISBN : 408747710X
スコア選択:★★★★




この著者の本は初めて読んだ。面白かった。
こちらの気分にピタリと着地する表現が随所にあって、それが気持ちいい。

たとえばこんな表現。
「燃えるゴミと燃えないゴミを徹底的に区分けして出さずにはおれない市松模様のような性分は、ときとして失礼になるのだ。しぼり染めのようなファジーな感覚を体得したいものではある」

ふーむ、とうなってしまうような表現である。
これまでここに書かれているようなことが気分としてはありながら、
ピッタリくる言葉を持たなかった私は、
しめしめ、これからはこの言い方が使えるわ、と大いに満足した。

余談だが、友人の娘が小学校の頃、
レストランではっきりとクレームをつけた母親を称して、
「ママはハキハキした性格だから」と私に言った。

きつい、こわい、では剣がある。
そこで子どもなりに考えて「ハキハキ」と表現したのだが、
私はこの言い方が気に入って、
何かというと「ママはハキハキした性格だからね」と利用させてもらったものだ。

さて、この本の中には、美人だ、痩せている、ハンサムだ(これって死語?)、
太っている、京美人・・・・など、
大抵の人が何となくそう思っていながら、
じゃあその基準は何? と問われると、
やっぱり「何となく」としか答えられないファジーな基準が取り上げられている。

これらの言葉から思い浮かべるイメージというものはあるが、
一体何を基準にして美人だったり、痩せていたりするのだろうか、
と考えるとはて? と思うものが次々に登場する。

冒頭に登場する京美人。
この言葉からイメージするのは、色が白くて和服を着ている、
そして、××どすえ~、と喋る女性。

だが、姫野さんはこんな京都出身・京都育ちの女性に
ついぞ会ったことがないと書いている。

しかも、
「杉本彩のような洋服を着て、由美かおるのようにモダンバレエでくのいちをして、大信田礼子のようにプレイガールにならんとあかへんがな、ほれ」
とつっこみまで入れている(3人とも京都出身である)。

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そう言えば、京都生まれ、京都育ちの友人は、
京都出身者でないにもかかわらず、着物姿で、いかにも京都人どす、
というような顔をしてマスコミに登場する人を見ると「けっ」と怒り、
「私の目の黒いうちはあの人を京都人やなんて認めへん」と怒っている。
その度に、まあまあ、となだめる私である。

この本があんまり面白かったのでついつい余談が多くなってしまったが、
いちばん気に入ったのは、「彼の声」の章。
彼とは吉行淳之介である。
これは高校生の頃、吉行淳之介と電話で話していたという話なのである。
書かれていることはとっても面白い。
吉行淳之介の声を聞いたことがあるような気持ちにもなる。

その昔、田村町の四川飯店や帝国ホテルでお見掛けしたことはあった。
色男のフェロモンがただよっておられました。


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by leilan | 2005-05-24 20:07 | 書棚

『俳句』  六尺の白のまぶしき三社かな

♪Copacabana
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           六尺の白のまぶしき三社かな  麗蘭




御輿は「ワッショイ」である。
決して、セイヤー、ソイヤーではない。
その点で、深川はこの伝統を頑なに守っている。

なぜ、「ワッショイ」なのか?

明治期の出版物である「東京風俗志」によれば、
和を背負う、和をもって平和を担ぐ。
和一処、皆がひとつになって、力を合わせる。
ひとつの目的を達成するとある。

江戸時代から続く火消し「れ組」は友人の実家だ。
彼女のおじいさんは鳶の頭で、
まことに気っ風のいい男だった。

生前は、全国鳶組合連合会の会長を務めていたこともあって、
あるとき、勲章を頂戴することになった。

ところが、
「ふん、鳶が勲章なんかもらえッかィ!」
そういう男だった。

友達の佳子ちゃんは初孫で、
頭にはことのほか可愛がられていた。

お嫁にゆく前の彼女が、
「おじいちゃん、お床を延べました」
というと、
「あんがとョ」
と、それはうれしそうなのだ。

私が遊びに行くと、
「佳子はね、いい子だョ。仲良くしてやってください」
と目を細めて仰る。

佳子ちゃんの初産は微弱陣痛で大変な難産だった。
このままでは母体が持たないというので、
頭は、そりゃあ心配なご様子だった。
ちょうど三社祭の頃で、
御輿の先頭を法被を纏って、
悠々と練り歩く頭の肩がいつになく落ちている。

まさにそのとき、
近所のおかみさんが、
「頭ッ! 産まれたョッ!」
と叫んだとたん、
肩がぐーっと上がったのが、
今も目に焼きついて離れない。

粋でいなせな男だった。

周囲がとりなして、
結局勲章は貰ったが、照れくさそうだった。




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             無口なる男の夢や桐の花  麗蘭



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          ほれぼれとして山ちゃんの脱ぎっぷり  麗蘭
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by leilan | 2005-05-24 09:03 | 俳句

『俳句』  椰子の葉のしづかなる影夕薄暑

♪Bewitched Bothered And Bewildered
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         椰子の葉のしづかなる影夕薄暑  麗蘭





b0048657_16204535.jpg今日の音楽はロッド・スチュアートだが、
ここ数年、カハラで、
彼の姿を何度か見かけた。
ロッドはいつもジョッギングをしていて、
あれほどセクシーな男は
めったにいるもんではないから、
ぼ~っとしている私でもすぐに気がついた。
別荘でもお持ちなのだろうか?


さて、たった50セントで映画が観られるシアターの話。

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ホノルルの映画館は、夕方からの料金が大人8~9ドル、
昼間だと6~7ドルというのが料金の相場である。

ところが、ダウンタウンにあるワレス・シアターは、
午後3時半までに入れば一人なんと50セント。
日本円に換算すると90円足らずで映画が観られる。
(Wallace Theatres Program)

5時以降や週末は1人1ドルになるんですが、
それでも超お得に映画が観られるとあって、
夕方や週末には映画館の外に長~い列が出来るほどだ。

映画は新作の封切りから数週間は遅れるが、
でもたった1ヵ月待てば50セントで新作が観られる。

場所はアラモアナ・ブルヴァードのレストラン・ロウの中。
観光客の方々がワイキキ方面から行くとすれば、
19番か20番のバスが便利だ。

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ワレス・シアターは95年にこの場所でシアターを始めたが、その後、目と鼻の先に、16ものスクリーンを持つワード・エンターティメントやドール・シアターなど大手の競合映画館が完成。

ワレス・シアターが生き抜くためには,割引の映画館に切りかえるのが最後の道だった。
しかし、週末の行列を見ると、かなり繁盛している。

シアター内もかなりきれいで、椅子の横幅も前も広めにとってある。
ドリンク・ホルダーが付いているのもうれしい。
150人定員の小さな劇場だが、画面は横8メートル、高さ3メートル、
音響もなかなかのものだ。

平日の昼間は、アメリカのじじばばちゃんたちで大賑わい。
おばあちゃんがおじいちゃんの耳元で、
「彼は悪者よ!」「大変!!」「どうするの?」などと、まあイノセント。
まるで、おうちでテレビを見ているようにくつろいでいて、微笑ましい。

もし英語は全然だめ!と言う人でも、たったの50セント。
観光がてら、アメリカの映画館を体験する目的で行ってみるのもいい。

レストラン・ロウの中にはさまざまなレストランがあるが、
ルース・クリスというステーキ・ハウスはおすすめ。
ホノルルでいちばんおいしいステーキが食べられる。
お魚料理も実においしい。

日本の観光客はいないので日本語は通じないが、
旅行用の片言英語が出来れば大丈夫。

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Ruth's Chris Steak House
500 Ala Moana Blvd., Honolulu
Phone 808(599)3860


         
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by leilan | 2005-05-22 02:55 | 俳句


バッカスの神さまに愛されたい
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