<   2005年 09月 ( 31 )   > この月の画像一覧

『俳句』  つり銭の落ちてころがる秋簾(すだれ)

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            つり銭の落ちてころがる秋簾  麗蘭
            児を売つてどこへ戻らう秋簾  麗蘭







出産直後に長男を亡くした両親が、
「帝王切開を強く希望したのに医師に拒まれ、
自己決定権が侵害された」として、
医師らに8千万円の損害賠償を求めた訴訟の件が、
先だっての朝日新聞に掲載されていた。

朝日は、
患者の自己決定権と医師の裁量をどう調和させるかについて、
最高裁がどんな規範を打ち出すか注目されると結んでいる。

この論点について少し疑問がある。

患者およびその家族にはそれなりの意思があるだろうし、
医師にも医師の経験と判断がある。
その二つの見解が食い違った時、対話がある。

それでも見解が食い違った場合、
患者と家族には医師を変える権利がある。
その権利こそが、自己決定権ではないのだろうか。
その権利を保持しながら相手と対話し、
自分でモノゴトを選択していく。
それが自分の人生を生きるということではなかろうか。

一審では、
「優越的立場にある医師に従わざるを得ない状況に至っていた」として、
医師側が敗訴。賠償責任を求められている。
逆子だから帝王切開、それで100%成功するとは言い切れないのに。

医者は患者の生命を預かっているから、
当然ながら常に最善の判断を行う努力は必要なのだが、
判断に関する責任論ばかりが過剰になると、
責任ゼロの立場に自分を置きたくなってしまうのではないか。

そうして何かを行う前から、
責任回避の策を講じることが重要視されてしまう。
こうした傾向は医療現場だけではなく、
至るところに見られる。
プロがプロとしての自負を放棄し、
ユーザー側に媚びて、
批判の矢面に立たない処世を身につけることに一生懸命になる。

プロは素人より高い確率で成功する知恵を持っていることは間違いないが、
100%ではない。
確率をさらに高いものにしていく努力はプロ側にも必要だが、
プロに仕事を委ねる我々にもできることだ。
自分が仕事を委託するプロの意見が正当なものかどうか、
他のプロにも意見を聞き、総合的に判断をすることなどによって。

他のプロの意見にも耳を傾けるという判断の幅は常に必要で、
その幅のなかでモノゴトを決定していくことが、
より間違いない判断に近づく道だろうと思う。
そして、その判断の幅が確保されているかぎり、
自己決定権は確保されているのではないかと私は思う。

10年以上前のことになるが、
私の大切な友人の一人が肺炎で亡くなった。
風邪をこじらせてから、わずか二週間ほどだった。

連日40度の熱が出ていたにも関わらず、
その旦那は風邪を甘く見て病院に連れていかなかった。
あまりにも長く高熱が続くので、
亡くなる5日ほど前になって初めて病院に連れていった。
その時、その病院は入院を勧めなかった。
ほとんど意識朦朧としていたのに、旦那は家に連れて帰ってきた。

その二日後、容態があまりにも悪いので、
旦那は別の病院に連れていった。
その時、
「高熱で脳と肺が冒されていてもう手遅れだ。
なんであと2,3日早く連れてこなかったのか」
と医師に責められた。
その場で緊急入院したが、
翌日から意識が混濁して、
その二日後には亡くなってしまった。
あっという間の出来事だった。

この豊かな時代に、
風邪をこじらせて死んでしまったのだ。
旦那は、女房が亡くなった後、
最初に連れて行った病院を訴えようとして準備を進めた。
プロなのに判断を間違ったということで・・・。

しかし、女房の容態の悪さは誰の目にも明らかで、
辺境の地ではなく、周りに病院もたくさんある東京で、
どうして40度の高熱が続いている女房を、
一週間以上も放置しておいたのか。
その自己責任は、どうなるのか。
病院を怨む気持ちは、
実は、自分を怨む気持ちにすぎない。
そういうことは、本人が一番よくわかっている。

自分の宿命は、
けっきょく自分で選び取って背負うしかない。
にもかかわらず、その自覚が知らず知らず弱くなって、
依存的になってしまっている。
その依存心が一番大事な局面で出てしまい、
自分の意思で行動できなくなる。
そして、自分の意思で行動しなかったことの責任を、
外部要因に求めるようになってしまう。
それを求めたところで気休めにしかならず、
また人生の別の局面で、
同じような意思決定の現場に立ち会わなければならなくなるのに。

昔は、農業であれ、漁業であれ、どんな仕事であれ、
この世には絶対的なものは何もないと知り尽くしていたから、
その限られた条件のなかで、
成功の確率を高める方法論を身につけようと各自が努力していた。

だから、いろいろなことに敏感になれたし、
想像力も発揮できた。
しかし、今は、ハウツーとかマニュアルとか、
誰かのお薦めとかお墨付きとかブランドとか、
予め決められた答えが与えられすぎていて、
自分の頭で考えて判断することが少なくなり、
危険なシグナルに対して鈍くなってしまった。 

今回のことは、
朝日新聞が書くような、
「患者の意思決定権と医師の裁量の調和と新たな規範づくり」
という新たな「答え」づくりの問題ではない。

情報の量だけはふんだんにあるこの時代に、
自分でモノゴトを選び取って判断していけるための知恵と方法を、
一人一人がどう身につけていくかの問題なのだ。
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by leilan | 2005-09-10 03:04 | 俳句

『俳句』  石捨てて子供は帰へる秋の暮

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           石捨てて子供は帰へる秋の暮  麗蘭 







戦中派の父にとって、
戦後になって観た名画の数々には
思い出が一杯詰っているという。

そんな父に、
「思い出の名画を一本あげるとしたら何?」
と訊ねたことがあった。



名画?
そりゃあたくさん観たよ。
しかしねぇ、
たった一本あげろと言われると、
哀愁」だなあ。

ストーリーはありきたりだし、
甘い、
と君は笑うだろうけど・・・。

あの頃、
シロクロの小さいスクリーンで観た映画の数々、
みんなよかったよ。
外国の風物、
外国人の生活、
そして女性の美しさ。

「哀愁」ではじめて観たヴィヴィアン・リーの美しさ、可憐さ。

この世のものと思えぬほどに美しい女優は一杯いたけれど、
このヴィヴィアン・リーは普通の乙女でありながら、
繊細で、たおやかで、
ほかの誰にも負けないものがあったね。

戦中戦後という、この映画のテーマも、
当時の私らにはまだ身近なものだった。

ロバート・テーラーとヴィヴィアン・リー、
美男美女の演じる悲しい物語にかくも感動したのは、
私の年齢とあの時代が背景にあったからだね。

国が豊かになり、
自分も大人になって、
大きな劇場の巨大画面でカラーで観る映画とは、
ひと味もふた味も違っていたな。


父のこの話を聞いてから、
少なくとも20年以上の歳月が流れているが、
忘れ得ぬものの一つとして心に残っている。




インドの株価指数(SENSEX)が8,052.56( +105.78  +1.33%) と
8000の大台に乗った。強いままでの推移。
大台乗りにちょっと逡巡が見られたのだが、
8日の市場では一気に高値を抜いてきた。
当然、高値警戒感はある。

しかし、per はまだ全般に低いし、経済にも活力はあるが、
素人はここからは少し様子見がいい。
 
今月、ドイツが同じように総選挙を行う。
戦後の華々しい成長から成長鈍化に見舞われたこと、
人口の老齢化に見舞われていること、
各種社会保険支払いが巨額に上っていることなど共通点が多い。
日本とドイツは同じ問題を抱えている。
ドイツの投票日は確か一週間後だったと思った。
このドイツの選挙結果も重要だ。
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by leilan | 2005-09-09 06:31 | 俳句

『俳句』  影さへも初々しくて貝割菜

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             影さへも初々しくて貝割菜   麗蘭






アメリカでは、よそ者浸入の落下傘候補を防ぐため、
外部の人間がある地域で立候補する場合は、
一定期間その地域に住むことが義務づけられている。
議員は選挙区有権者の意志を代表するからだ。

ヒラリー・クリントンがニューヨークから立候補して当選、
来年、再出馬するようだが、
「民主主義後進国ほど有名人落下傘候補が騒がれる」
として、批判を浴びているが、
そのひそみにならえば、
日本の選挙は民主主義の後進性を露呈していまいか。

また、アメリカには日本のような比例制度の安全ネットはない。
よそもの落下傘候補が落選しても比例で救われる道はなく、
民意と無関係に落選者が甦るのは不可解な民主主義と言えなくもない。

さらに、アメリカの民間人は議員になれば、
利害の対立を避けるために一切の他の職業からの辞任を求められる。

地縁、血縁、地盤がものをいうよそ者排除の
日本の従来型選挙には大いに問題があるが、
今回のように、中央から地方への落下傘候補で
地方分権が泣いているのではなかろうか。

私は郵政民営化には賛成であるが、
小泉自民党の選挙スタイルにはいささかの疑問を呈したい。

日本の政治が内圧ではなく、
外圧と永田町の論理だけで動くのは、
国民の声が聞こえない政府だからだ。

アメリカのように外圧には抵抗するが、
内圧(国民の声)には敏感な面を学んでほしい。

小泉に苦言を呈するとすれば、
国民の声を聞くと絶叫しながら、
地方を無視して「落下傘候補」をたてたことだ。

当地アメリカでも、
ハリケーンでブッシュの州(地方)を無視した対応の拙さが、
「黒人差別」の問題に発展しそうである。
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by leilan | 2005-09-08 06:06 | 俳句

『俳句』  羊歯(シダ)踏めばジュラ紀の丘は露けしや

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         羊歯踏めばジュラ紀の丘は露けしや  麗蘭






尾道の中学校の二人の先生が、
アフガニスタンで死体で見つかる事件があった。

どうも、殺害を行うと犯行声明を出すようなそういうグループではなく、
例えばタクシーの運転手、転じて強盗など物取りなどの
可能性が強いと思われている。

海外でタクシーを使って遠出をするときには、
ホテル経由で頼んだらどうだろう。
私は実際そうしている。

移動するのにレンタカーを運転しても良いのだが、
知らない土地だと、道をさがすのも面倒だ。
それで、土地勘のない海外ではタクシーを本当によく使うが、
あまり流しのそれは使わない。
ホテルを通じてタクシーを調達する。

ホテルは、海外においても一応一目置かれる存在である。
そこ経由のタクシー依頼については、
タクシー会社としても重きを置かねばならないはずだ。

だから、例えば中国に行って、
少し長い時間タクシーを借りるときには、
ホテルのフロントに、
「英語か日本語をしゃべれるタクシー運転手をお願い」
と頼む。

頼むとさがしてくれるが、
その際にホテル側は運転手の顔ぐらいは確認するでしょう。
ホテルの客とタクシー運転手の顔が
そこでホテルの従業員の頭に刻み込まれる。
タクシーの運転手も、「ホテル依頼」と思うと軽視できないだろう。

街でひょっとひろったタクシーの運転手と客の関係は、
ホテル経由の時よりも薄い。
薄い上に、誰にも見られなかっただろうと運転手が思うと、
運転手は欲望を抑えきれなくなるときも出てくる。
ホテルというワンクッション置いておけば、
タクシー運転手も思いとどまる可能性も出てこようというものだ。

それから、日本人が気を付けなければいけないのは、
日本人というだけで「お金を持っている」と
周囲から思われていると思った方が良い、ということだ。

アメリカ人というのは、ほんとうにキャッシュはもたない。
せいぜい20ドル、2000円ちょいくらいだ。

ところが、日本人は最低でもその10倍のキャッシュを持ち歩いている。
これは、強盗、窃盗、詐欺グループにとっては実においしい。
世界には、5ドル、10ドルでも人を簡単に殺す輩は結構いる。
ましてや、200ドル、300ドルは当たり前に持っている日本人は、
格好のターゲットになり得る。

二人の尾道の先生のうち、
男性の方は海外に行き慣れていたと言われる。
しかし、そうはいっても情勢の刻々と変わる紛争地帯だ。
出来たら、一人ガイドを付けて欲しかったな。
私はイスラエルやパキスタンに行ったときには、
ずっと一人に付いていてもらった。
お金はかかったが、それの方が遙かに安心で効率的な旅が出来た。
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by leilan | 2005-09-07 06:23 | 俳句

『俳句』  妻のある男は帰へる花白粉

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           妻のある男は帰へる花白粉  麗蘭






私がまだ実家で暮らしていた頃、
わが家では佐々木さんという男性からちょくちょく電話を貰っていた。

「佐々木です。社長はおられますか?」
「あいにく父は留守にしております。
お差支えなければ、ご用件を受け賜りますが?」
「副社長に任命されているのに、一向に仕事を命じてくれず、
はなはだ不満です。早急に任務を与えられたい」
とのことであった。

即座に、おかしいなと感じたが、
いちばん長く家にいる母は、
佐々木さんの電話を時々受けているらしく、
「はい、かしこまりました。主人にそう申し伝えます」
と、神妙に、しかも手慣れた感じで応対していた。

実家には、しばしば見知らぬ人から電話がかかってくる。
電話帳には父の名前が登録されているが、
15年くらい前に局番が3桁から4桁に変わった以外は、
祖父の代から電話番号が変わっていない。
セールスの電話に対して母は、
「主人に相談しましてから・・・」
というのがいつもの断り文句なのだが、
母が温和なのをいいことに、しつこいのが相当いる。

そのような中にあって、
佐々木さんの電話だけは愛想こそないものの、
比較的淡白で、簡単明瞭、一風際立ったものだった。

このような印象が、
根底では家族の者に若干の良い心証を
与えていたのかもしれない。
そして、その佐々木さんからの電話が
かかって来なくなったのである。

はじめのうちは、誰もまったく気にしなかった。
以前とて、そう毎日かかってきていたわけではない。
それが数ヶ月もとんと音沙汰がない。

はじめ弟が、ある日、ふと言い出した。
「佐々木さん、元気なのかなあ?」

その一言に触発されたように、
母も私も心配になった。
病気かも知れない。
あるいは、もう亡くなったのでは、等々。
人間関係とは不思議なもので、
迷惑人と言えども、
付き合っているうちに何となく情が湧くものであろうか。

このような状況になると、
「本当にさっぱりとした人であったのに・・・」
などと、母は涙ぐむ始末(笑)
一同大いに心配した次第である。

時は移り、再び春が訪れ、青葉の季節となった。
何故か、昔から言われているように、
この時期になると世の中にはややおかしい行動が増えるようである。

そしてついに、ある日、
佐々木さんから待望の電話がかかった。
家中一同、その無事を知って一安心。
以来、再び、佐々木さんの電話を頂戴するようになった。

たまたま父本人が出ると、
「君は今度の貿易で大きな失敗をしたから、
社長の座は解任された。あとは自分が引き受ける」
というものであったという。

「それは困った。明日から仕事が無くなってしまう」
と、父が答えると、
「出社には及ばん」
の一言で電話が切れたという。

以来、佐々木さんからの電話はなくなった。
佐々木さんが一体誰なのか、家の者にはいまだ判らない。
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by leilan | 2005-09-06 09:58 | 俳句

イメージ・バトン
二学期がはじまり、バトン部の活動も復活で~す。
何を隠そうこの私、小学生時代はバトン・トワラーだったのです!
これ本当の話なの。
パレードでバトンをくるくる回す少女だったんです。
「コメットさん」って呼んでね♪

さて、ライターin仙台のtamagoさんより回って来た
「イメージ・バトン」なるものの仕組み。
彼女の選んだ言葉「宇宙」から連想されるイメージを書いて、
次の走者に新たな言葉のバトンを渡すらしいです。

って、tamago女史、「宇宙」は難しいよぅぅぅぅ。
ともにバトンを渡された、しんいちろうさんも悩んでおられるのか、
一向に書かれる気配なし(笑)

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1.受け取ったキーワード 「宇宙」

「宇宙」という言葉からすぐ連想するものは、
「∞/無限大」「2001年宇宙の旅」「易経」の三つです。
その中から「易経」について書いてみようと思うのですが、
私、頭がわるいので、判りやすく書くことが出来ないのです。

「易経」は天と人の学問です。
つまり、天という大宇宙(マクロ・コスモス)と、
人という小宇宙(ミクロ・コスモス)の間に「道」があり、
その道、
つまり天と人のかかわりを説くのが易経なんです。

儒教というと、日本では一般に、
非常に道徳的な思想として考えられていますが、
儒教本来の道徳とは、天、つまり宇宙の動きに目をやり、
そこで起こる様々な現象を人間の在り方に関連づけていく道理で、
それは物事の筋道ということです。
観念的な倫理とは違って非常に論理的な考え方です。

「易経」では、
ある一つの状況に置かれると、
「それならこうするのが一番いい」とか、
「こうするべきだ」といった考え方をします。
それは倫理観に基づいてそう言うのではありません。

人間がある状況に置かれるということは、
宇宙全体の原理の一部なのだから、
人の道もまた天の声に従うべきだと考えるからです。

「易経」は、
陽と陰という対立する属性がその根本にあり、
男と女、天と地、奇数と偶数というように、
すべて対立させる考え方となっています。

私たちが生きていくときに、
どうしてもぶつからざるを得ないのが、
自分と他人との問題です。
これも対立すものなのです。

私たちは他人で構成されている世間に、
自分がどのように対処していけばいいのかという問題に
つねに直面しています。
そして、迷ったときに自分がとるべき道を指示してくれるのが
易というわけです。

いわゆる、サイコロジスト(心理療法家)が対応に苦慮するのが、
自分と他人の区別がつかない、
夢と現実を混同しているといったケースだそうです。
あるいは、自分の考えがそのまま世間に通用すると考えたり、
逆に世間の習慣を押し付けられて身動きが
とれなくなっているような人たちも困るそうです。

こうした人たちには、
易経の根本をなしているような二者対立の概念が
なくなってしまっているのです。

易経の考え方によると、人間の在り方は非常に明解です。
自分と他人の区別が明確になってこそ、
はじめてはっきりした人間の意識が生まれるのです。
過去と未来がはっきり見えてこそ、
時間の流れも見えてきます。
こうした区別がわからないと、
とても無意識的になってしまいます。

その結果、無意識に動かされて衝動にかられた行動をすれば
世間に通用しないし、
逆に世間の習慣に従ってばかりでは自分を殺すことになります。

このあたりの人生の機微を非常に明解にするのが、
易経の智恵ということでしょう。
対立する概念を意識することができてはじめて、
人間が人間らしく存在することができるのです。

そこで、
「人のモノに手を出してはいけない」とか、
「人の領分を侵してはいけない」
と言った決まりもできてくるのです。

 
2.渡すキーワード

運動会」ということでお願いします。


3.渡してくれた人へのメッセージ

tamagoさん、
「おかあさん」になってくださいね♪


4.次にバトンを回す人

この方の運動会はどうだったのでしょうか?
jumpinさん、お引越しが終わったばかりでお忙しいと存じますが、
「運動会」のバトンを受けてくださいませんか。

 
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by leilan | 2005-09-05 16:54 | とらば&とらば

『俳句』  秋袷(あわせ)母のたもとを恋ひにけり

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             秋袷母のたもとを恋ひにけり  麗蘭






村上春樹がサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を新しく翻訳し、
それが日本でベストセラーになった話は友人から聞いていたが、
最近、ようやくそれを読む機会に恵まれた。

私自身は中学生の頃から野崎孝訳に馴染んで来たので、
読み比べると、
かつての野崎訳の方が攻撃的で「反抗の文学」色が濃いと感じた。

村上訳はある種サイキックな文学になっていて、
16歳の主人公、ホールデン・コールフィールドの、
「心の闇」みたいなもんを覗く文学になっている。

しかも、野崎訳は、
「~してやがんだ」とか下町のツッパリ風だったのが、
村上訳は彼が関西出身のせいか神戸か芦屋の高校生みたい。
村上春樹の文体は、
私には、ある意味でつらかった。
主人公の語りは、
「関西の漫才師が真似した東京弁」のようなのだ。
人工的な言葉過ぎやしないか。

主人公は16歳なのに、
親から逃げ回ってNYのホテルに泊まったり、バーに行ったり、
金持ちのぼんぼんの不良だった。
東京だと、私らの時代には麻布高校あたりにこんな不良がいた。

しかも、ホールデンの愛読書は、
アイザック・ディネーセンの「アフリカの日々」という早熟さ。
デンマーク貴族の女性が、
アフリカでコーヒー農園を経営した日々を回想した、
いわば大人の記録文学で、
ホールデンはその本を読んで、
「優れている」とか、
「著者に電話したい」とか言っているのだからスゴイ!

「ライ麦畑でつかまえて」を抵抗の文学と言っても、
マクロな社会体制への抵抗ではなく、
それはミクロな人間関係への違和感である。

主人公は誰ともうまくいかず、
学校は退学させられ、
いいなと思っていた女の子をすかしたルームメイトにかっさられ、
喧嘩した末に寮を逃げ出す。
要するに、社会化の困難を描く物語で、
ホールデンは最終的に入院し、精神分析も受けている。
これは私の高校時代(1972~4)よりも、
今の日本の方が理解しやすいと思う。

そう捉えると、村上訳の方が、
絶対に解消できない厄介なものを抱え込んだ人物の、
その救われない心情が出ていて、適切かもしれない。

難を言えば、
野崎訳ではもっとも魅力的だった妹のファービーが、
なぜか村上訳ではあまり可愛くない。
生意気で素敵なことを言う妹に、ホールデンが会って、
そのイノセントさに救われるのがハイライトだけれど、
村上訳だと、なんだか幼女誘拐犯一歩手前みたいな雰囲気(笑)
村上春樹には、フィービーに感応するイノセンスが欠けているのか・・・。

1969年、私が中学に入学した年、
丸善の洋書コーナーには、
銀色の装丁の"The catcher in the Rye"が、
どーんと山積みになっていて、
すでに一部ではカルト的な人気になっていた。

その隣には、ヘンリー・ミラーの、
"Tropic of cancer"(北回帰線)が平積みになっていた。

アメリカ文学に興味のある人なら、
必読の二冊だったのだろう。
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by leilan | 2005-09-05 06:30 | 俳句

『俳句』  じつとりと雨意兆しくる夜の桃

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             じつとりと雨意兆しくる夜の桃  麗蘭







今日は趣向を変えて「おとなのお話」です。
例によって、女性陣がコメントし辛くなるアレです。

私の知人の話をしましょう。
この男、自分の手で家を建てるほど、
徹底的なナチュラリストなんだけど、
性生活もナチュラリストなのです。

性生活のナチュラリスト?
それって何?
と思われるでしょう。

彼は一穴居士でして、まあ、あれです、女房だけを攻める男。
アメちゃんたちは、こういうのをホール・イン・ワンとは言わないで、
ホーム・クッカー(家庭料理人)と呼ぶの。
なかなか味わい深いイングリシュでしょ。

そのホーム・クッカー氏が、
名もなき日夜をただただ女房と睦みて、飽きもせず、
しかもそこに四季こもごもの喜びがあると言うのよ。

まず、春だ。
Spring has come!

春の果物と言えば苺。
季節によって、さくらんぼ、枇杷・・・という具合に、
いろいろ出て来る。

で、それをどうするか。

枇杷の実なら金だらいのお湯で揉む。
粘膜を傷つけるから、ヘタは取ってしまって、
それを挿入する。
そして、ホーム・クッカー氏が乗っかる。
ゴリンと突く。
ブリブリ、ゴリゴリ・・・。

種のある果物はコリコリッとしたところや、
ジクジクとした肉もあっていいんですって。
そうやって右の壁、左の壁を突いているうちに、
女房は有頂天になっちまう。

四季の野菜、ブロッコリーなんかも使うらしい。
でもあれは、あっちこっち散らばりそうだ(笑)

でもって、ホーム・クッカー氏は哀れみの目つきで私を見るのよ。
膣腔の中に、果物を挿入される快楽を知らない女!

そんなあ。

おおかたの女は、
そんな異物を放り込まれたことないわよ(笑)
磯野ワカメ酒だって、被災体験なしです。

ところが、ホーム・クッカー氏のワイフは、
ファンタスティック!
って喜ぶんだって。
そんなにいいものなのか?

でもね、私はニヤニヤしながらこの話を聞いてて、
洗浄はどうするんだろう?
って、ふと考えたんです。

そんなことを思うのは、
きっと、無意識の心のどこかに、
いっちょ試してみっか(笑)
みたいな好奇心があるからよねぇ。

でもこれは、数時間経ってから、
お風呂に入ればいいらしい。
そうすれば子宮が下りて来て、
枇杷も苺もブロッコリーもコロッと押し出されるんだそう。

どないだす、いっちょ試してみますか?




■言語学研究室日誌のwnmさんのエントリ
 『ニューオーリンズ被災のニュースを聞いて』
 しみじみと胸を打ちます。
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by leilan | 2005-09-04 08:02 | 俳句

『俳句』  新涼や夜風に吹かる無人駅

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            新涼や夜風に吹かる無人駅  麗蘭








b0048657_194416.jpg今回のハリケーン・カトリーナは、広いエリアに対する凄まじい天災になっている。もともと石油の掘削地域。地面全体が低下していたとも言われるし、海面より低い土地がかなりあったことが災害を大きくした。ハリケーンがたまたま人口密集地域を直撃したのもあまり例がないらしい。

湿地帯で、湖水・湖沼がこの地域に多くて、
水の制御を難しくしているようでもあったらしい。

CNNを見ていると、
「これがアメリカでの惨状か」と思う。
まるで、先の津波に完膚無きまでに叩きのめされた
スリランカとかインドネシアの海岸のように見える。
おまけに起きているのは、
大津波に見舞われたこれらの地域と同じような略奪。

アメリカは、もともと日本にないタイプの天災が多い。
野茂の投法の語源になったトルネード(竜巻)などは、
日本にはほとんどないタイプの天災だ。
ゆえに、多発地帯の民家は地下室を持つのが常識で、
「トルネードが来たぞーーーーー!」ということになれば、
あらよッと、みんなここに隠れるわけだ。

天災と呼ぶにはちと大袈裟だが、
ミシガン辺りにはゴルフボールのような雹が降ってくる。
かつて、これが私のおつむを直撃!
でっかい瘤ですんだからよかったものの、
打ち所が悪かったら死ぬよ~

それにしても、数千人の死者が予想されるとは。
神戸・淡路の地震の時もそうでしたが、自然の力は恐ろしい。
備えても備えきれない面がある。
そして、中国をも台風が襲い、
まだまだ人間の力の限界ばかりが目立つ。

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■イラクの自衛隊

自衛隊のイラク派遣の理由は、
本音とタテマエがあるのだが、
本音の部分だけに話題を限定すれば三つある。

一つは日本の国益だ。
ぶっちゃけたはなし、中東の石油利権だ。
付随して、よその地域の石油や、
国際経済のなかでのポジションもあるが、基本的には石油利権だ。

二つ目は、アメリカとの信頼関係だ。
日米安保の信頼性といいかえてもいい。
これも、それに付随して、第七艦隊による核の傘の供与とか、
シーラインの確保とか、
東アジア外交のバックアップというものが考えられる。

三つ目が、イラクの安定だ。
安定と言っても、交戦権はもちろん治安維持活動もない軍隊は、
いるだけで不安定要素ではある。
飲料水の供給施設が完成して、
現地政府による運営が軌道に乗った現在、
この理由は消えたといえる。

おそらく最後まで残る理由は、
二つ目のアメリカとの同盟にもとづく理由だろう。
派遣をもくろんだ当初から、懸念されていた最悪の事態は、
イラクのベトナム化だった。

それはまぬがれたという意見と、
いまだに懸念が存在すという意見が並存している。

理想的には、イラク人による治安維持が機能することなんだろうが、
どのレベルで、それが撤退理由を満足させるのかの議論もあるだろう。

撤退は派遣の開始より難しいし、
常にその見通しを持っていなければいけない、
というのは正論であると同時に常識論でもある。

それができれば、最初から派兵なんて事態もないわけだ。

イラク人とアメリカ政府や世論と、
日本の国民を同時にみんな満足させる方策なんてものは、
最初から存在しない。
それぞれのバランスのなかで、
タイミングをはかることになるのだろう。





   
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by leilan | 2005-09-03 06:40 | 俳句

『俳句』  露草や朝刊デフレ脅威論

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              露草や朝刊デフレ脅威論  麗蘭







酒には酒に合う肴がある。
それを作らなければ意味がない。

もっとも、昨今のように「とりあえず」のビール、後半の水割り・・・
なんていう風潮の中で、
そんなこと言ってみたところで無意味かもしれない。

やはり、酒はそのときの気分で飲みたい。

エクササイズで汗を流し、シャワーを浴びたあとは絶対ビールだし、
南フランスを春から秋に旅するならテラスでパティスだ。
鮨やなら絶対日本酒、こうでなくちゃあいけねぇ。

ところで、酒の肴だが、
ビールを飲もうと思ったときはビールに合うつまみ、
日本酒には日本酒向きの、
ウィスキーにはそれなりの肴でないと旨くない、と思う。

本当は・・・根っからの酒飲みで、
ビールは水代わり、日本酒には塩、
ウィスキーはストレートでグラスに水が一杯あれば、それでいいのだが、
それだと、女だてらに、まるで「あばずれ」だし、
こんなんじゃ嫁の貰い手もないしで、
昨今は酒の肴も愉しむようにしている。

ウィスキー飲みながらちょっとというときは、ガーリック・オムレツ。
にんにくを弱火のバターで柔らかくなるまで焦がさないように炒め、
少しミルクを加えた卵をザーッと流し入れて、
ちょこちょこと火を通し、グニュグニュのうちに皿にとって、
二滴ほどしょう油をかけておしまい。
絶妙にウィスキーに合う。

中華風なら、にんにく一切れを包丁の腹で潰し、小鉢に入れ、
きゅうり一本を半分に切って、これも包丁の腹で潰して足し、
それにしょう油と胡麻油を等量差して、出来上がりー。
すぐ食べれば新鮮で、これはビールに合う。
時間が経ったものは味が濃くなって、
熱々ごはんに合う。

日本酒の肴は無数にあるが、納豆と大葉を一緒に刻み、
小皿に盛って、塩ふっておしまい。
しょう油だと朝飯用になってしまう納豆が、
塩と大葉のおかげで見事辛口の酒向きの肴になるから面白い。

ワインだったら、ピーマンとアンチョビーの炒め物。
赤と青のピーマンをフライパンに入れ、
缶詰のアンチョビーを刻んで、
オリーブオイルで一緒に炒めるだけのもの。
アンチョビーの強さが消えてマイルドな味がワイン向き。


(業務連絡)
紅子ちゃん、
デンティストの件、すっちゃんに伝えてあります。
本日(ハワイ時間、9/1)、彼は朝からIRSに行くそうですので、
夕方にでも電話してみてください。
あるいは、明日ならば朝からオフィスにいますとのこと。

私は土曜日までスケジュールがフルなので、
急用の折にはセルラーの方に(今週はまだ家に大工さんがいる)
貴女も倒れないようにね。
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by leilan | 2005-09-02 07:15 | 俳句


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