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(。・ω・)ノ゙ 第一回 しりとり(スケベ)川柳 年忘れの巻

12月18日からスタートした『しりとり川柳』
おかげさまで54句のしりとりが完成しました。

参加くださった皆さんをご紹介します。

  
  ひなこさん(岡部か?)

  kobo_natsuさん(甘夏と勝手に命名)

  たまごさん

  紡縷さん

  六尺さん

  しんいちろうさん

  タラさん(湯村?)

  jumpinさん(飛梅と勝手に命名)

  FHIROSE2さん(ひろぽんと勝手に命名)

  valencienneさん(白妙と勝手に命名)

   98765421さん(尼喰・ちなみに「ニック」と読んでちょ)


みなさん、ありがとうございました!

では、見事なしりとり(スケベ)川柳の数々を順にお楽しみくださいませ。


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1 鳴かぬなら 焼鳥でしょう ホトトギス  <麗蘭>

2 ホトトギス 織田信長に ガン飛ばす  <麗蘭>

3 ガン飛ばす バーゲン売場の 小野洋子  <麗蘭>

4 小野洋子 東洋の魔女 床上手  <麗蘭>

5 床上手 好きこそものの 上手なれ  <ひなこ> 

6 上手なれ 流し目はにかみ 男釣り  <甘夏> kobo_natsuさん

7 男釣り キャッチアンドリリース 午前様  <たまご>

8 午前様 あたまに響く 鐘の音  <紡縷>

9 鐘の音 ん?金の音? と 聞き返す  <六尺>

10 聞き返す ようではダメよ TEL番号  <しんいちろう>

11 TEL番号 指で覚えず リダイヤル  <たまご>

12 リダイアル されないように 時報聞く  <麗蘭>

13 時報聞く たびに時計を 見てしまい  <タラ> 

14 見てしまい 四十八手の 解説書  <麗蘭>

15 解説書 見ながらしてちゃ まだまだね  <六尺>

16 まだまだね リャンシャンテンから 国士無双  <麗蘭>

17 国士無双 振り込むオカマ 身悶える  <麗蘭>

18 身悶える 鏡の前の 帯結び  <たまご>

19 帯結び ほどかせてみる あぁれまあ  <飛梅> jumpinさん

20 あぁれまあ うなじで憩う オニヤンマ  <ひろぽん> FHIROSE2さん

21 オニヤンマ どかんと蜘蛛の巣 オカマ掘る  <麗蘭>

22 オカマ掘る クルマの主は ハード・ゲイ  <しんいちろう>

23 ハード・ゲイ 乾燥肌で 粉吹き芋  <麗蘭>

24 粉吹き芋 とろけるチーズ 絡めたし  <麗蘭>

25 絡めたし 河合奈保子と 指と指  <しんいちろう>

26 指と指 触れたらバチッと 火花かな  <六尺>

27 火花かな 恋の花火に 足りぬもの  <紡縷>

28 足りぬもの 互いに埋めて 凸と凹  <紡縷>

29 凸と凹 真昼の事情 ある館  <麗蘭>

30 ある館 毛糸編んでる 緑魔子  <麗蘭>

31 緑魔子 やるぞみておれ 為五郎  <白妙> valencienneさん

32 為五郎 あっと驚く 流れ星  <麗蘭>

33 流れ星 みんなの願い 重すぎて  <麗蘭>

34 「重すぎて あなたの気持ち」と 逃げる女(ひと) <たまご>

35 逃げる女 僕は痴漢じゃ ありませぬ <飛梅>

36 ありま! 背ぬくいと思えば お漏らしじゃ <六尺>

37 お漏らしじゃ ないと言い張る 三歳児 <白妙>

38 三歳児 タオルで隠し 母のまね  <麗蘭>

39 母のまね 家計簿つけて 続かない  <麗蘭>

40 続かない 愛しい君との 恋談義  <ひろぽん>

41 恋談義 するよりしよう ねぇ早く  <六尺>

42 ねぇ早く もう終わりなの? 今日はイヤ  <しんいちろう>

43 今日はイヤ イヤよイヤよも 好きのうち  <たまご>

44 好きのうち 切るに切られぬ 腐れ縁  <麗蘭>

45 腐れ縁 かりそめの名を 赤い糸  <麗蘭>

46 赤い糸 手繰り寄せては ため息つく  <甘夏>

47 ため息つく 何時の間にやら 干しバナナ  <麗蘭>

48 干しバナナ 吸えば元気な タバコの火  <麗蘭>

49 タバコの火 麻の華香り 夢心地  <六尺>

50 夢心地 最後にしたの 4年前  <白妙>

51 4年前 買ったパンツは ピッチピチ  <ひろぽん>

52 ピッチピチ 細々生きても なぜ太る  <麗蘭>

53 ”なぜ太る” 抱き合うときの 悦の為  <尼喰>

54 悦の為 生きることこそ 長寿なれ  <しんいちろう>




         わたしが、一等スケベでございました。麗蘭拝。


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by leilan | 2005-12-31 15:55 | 川柳

『秀句鑑賞』

 女房も同じ氏子や除夜詣  初代中村吉右衛門


初代播磨屋と千代夫人はともに浅草の生まれで、
氏神様は三社様だったという。

初代中村吉右衛門は伝説的な名優だが、
俳句も余技とは言えないくらい達者であった。
師系は高浜虚子。

昭和30年代くらいまで、「除夜詣」ということばが残っていた。

古来、日本の文化はいわば「日の出、日の入り文化」で、
一般には日の出を拝んでからのお詣りが「初詣」と考えられていた。

除夜詣は近隣の氏子たちが除夜の鐘を聞いて、
とくべつ着飾るわけでもなく、
普段着で気軽に地元の氏神様にお詣りに行くことであり、
それに対し初詣は晴れ着を着て、
日の出を迎えてからお詣りに行くものと、
ある意味で区別されていた。

播磨屋は、その神経質が禍して二度の結婚に失敗。
当時、浅草からでていた千代夫人は、
おっとりしたすれていない芸者だったという。
そこを松竹の大谷社長が買って、二人を一緒にさせたそうだ。

その夫婦仲のよさは掲句から伝わってきて、温かい。

(除夜詣・冬)
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by leilan | 2005-12-31 15:54 | 秀句鑑賞

(。・ω・)ノ゙  みんなの『しりとり川柳』  終了しました!

思いつく ままになんでも 5・7・5!

  しりとり川柳やりませう。


    ■ 下5をあなたの上5にして、コメント欄に書き込んでくださいね。

    ■ 川柳の頭に★マークを入れてくださいな。
 
    ■ コメントを入れるときは、川柳と間隔をあけて一行で!

    ■ もちろん下ネタOKよ。

    ■ 参加は自由、どなたでも♪  

    ■ とりあえず年末(12月31日)まで行ってみよう!


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by leilan | 2005-12-31 15:53 | 川柳

『俳句』  行く年の羅馬のからす巴里の鳩

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           行く年の羅馬のからす巴里の鳩  麗蘭





ハワイは眩しいばかりの碧空の12月30日を迎えています。

じつは風邪で寝込んでまして、まだ、脳ミソぼよよ~ん。
たぶん、ここに来て疲れがどっと出たのね。

今月のはじめに友人の乳がん手術があって、
あれも独り者だから、
やれご飯だ、掃除だ、洗濯だ、なんて世話してて。

22日に一緒にドクターのところへ行って、
「もう、大丈夫!」
の言葉を聞いたらホッとしちゃって、
油断しました、私。

そんなこんなで冴えない年の瀬ですが、
脳腫瘍の治療を1年半にわたり続けてきた甥っ子が、
来月の17日に無事退院できる運びとなりました。

その間、ブログのお仲間にも励ましていただきました。
ありがとうございました。

小学校に入学したばかりのときに発病し、
その後はずっと養護学校の先生がベッドまでいらしてくださって、
国語と算数を中心に指導してくださったそうです。
そのお陰で2年生に復学できるのだとか。
ありがたいと思いました。

甥の完治が何よりうれしく、
私にとっては最高の年の瀬です!

どうぞ、みなさんもよい年をお迎えくださいませ。

来年もひとつよろしく! アロハ!





            泳げない実家の愛犬・あきた君でーす。
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             へーっくしょん移してなほす風邪退治

                
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by leilan | 2005-12-31 15:53 | 俳句

『秀句鑑賞』

 地の涯に倖せありと来しが雪  細谷源二


昭和16年、
細谷源二は新興俳句弾圧事件に巻込まれて検挙され、
2年余の獄中生活を送った。

その後、終戦直前に北海道開拓移民団に加わり、
一家をあげて北海道に渡る。

掲句には、期待に胸をふくらませて北海道に渡ったものの、
厳しい現実に直面している作者の思いが込められている。

正岡子規以来俳句の中で、
「しあわせ」が詠まれることはあまりなかったといっていい。
当時の俳句は貧乏と病気が主なテーマであった。

源二の句の「倖せ」も願望にとどまっている。

しかし、昭和も越えて平成になると
俳句の中にも確かな「幸せ」が登場してくる。


  しあわせに目もあけられず花吹雪  鷹羽狩行


今日、日本はクリスマス。
細谷源二が希求したささやかな「倖せ」に思いを馳せつつ、

メリークリスマス。

(雪・冬)
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by leilan | 2005-12-26 07:47 | 俳句

『俳句』  聖夜いま東京タワー点灯す

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             聖夜いま東京タワー点灯す  麗蘭







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              I wish you.....a

                 Marry Christmas

                  Happy Hanukka

                 Mele Karikimaka
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by leilan | 2005-12-25 08:31 | 俳句

『秀句鑑賞』

 橇がゆき満天の星幌にする  橋本多佳子


途方もなくスケールが大きく、かつ見事に美しい情景だ。

童話の挿絵が作者の脳裏にあったのかもしれない。

見渡すかぎりの雪原、
そのなかを「満天の星」を「幌(ほろ)にして」行く橇。
息をのむように美しいシルエットの世界だ。

実景というよりも、幻想に近い。
いや、実景を幻想にまで引き上げた句と言うべきか。素敵だ。

遠望している作者の耳には、
おそらく鈴の音も聴こえていることだろう。

表現力のマジックを思う。
ロマンチスト・橋本多佳子、さすがのものである。

これが、明治32年生まれの女性の句ということに、今更ながら驚く。

(橇・冬)
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by leilan | 2005-12-25 08:30 | 秀句鑑賞

『秀句鑑賞』

 スケートの濡れ刃たづさへ人妻よ  鷹羽狩行


作者は、「実はこの『人妻』は私の妻である」といい、
「"わが妻よ"とはせず『人妻よ』と呼びかけた」と、
この句の意図を語っている。

「濡れ刃」に、
スポーツに躍動した若きわが妻への親愛の情のこもる句であり、
しかも客観化させたことによって、
単なる愛妻俳句の狭さをまぬがれている。

一般的に愛妻俳句、吾子俳句というものが、
往々にして作者の思いばかりが先行し、
甘くなり客観性を持ちえず俳句としての切れが鈍くなることはいうまでもない。

(スケート・冬)
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by leilan | 2005-12-24 07:03 | 秀句鑑賞

『俳句』  集まって来てフラフープ四温晴れ

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           集まって来てフラフープ四温晴れ  麗蘭





30年以上も前に書かれたものだろうが、
山口瞳の『男性自身』にこんな一文があった。


  私たちが結婚することになったとき、先輩が、こう言った。

  「夫婦が、夫婦としてレールに乗るようになるには十年かかる。
  隣に寝ている女が俺の女房だと思うようになったのは、十年後だった」

  いまから思うと、本当にその通りである。私もそう思う。

  それ以後の夫婦を支えるものは他者である。外的なるものである。
  夫婦以外の何かが夫婦を支えるようになる。

  共同の敵が夫婦をささえる。
  たとえばそれは病気である。貧困である。戦争である。
  あるいは子供である。親類縁者である。友人たちである。

  夫婦愛というようなものには実態はないと思う。それは幻である。

  げんに、私は、まことに当たりまえの話であるが、
  女房より美しい女、優しい女、すぐれている女に何人も遇ってきた。
  女房の側から言わせても同様だろう。

  それならば、なぜ、夫婦として共同生活を営んでいるのだろうか。

  私の父が病気する。父は我儘者である。
  その父を女房が献身的に看病する。
  子供が病気をする。女房が寝ずに付き添う。

  こういう女房を、どうして私がポイすることができましょうや。

  従って、私は、愛は不毛であるか、とか、
  夫婦間の愛の砂漠について、なんていうテーマは、
  ちゃんちゃらおかしくてならないのである。

  私が夫婦について感ずることは、縁ということだけである。
  そう考えるのが、すなわち二十年のキャリアである。


こうした夫婦の機微に無縁な人生を過ごしてきた。
しかし、頭の中で想像しても、これはなんとなく理解できる。
おそらく、自分の両親を見てきたからであろう。

ところが、女房に死なれた亭主族というものはあっという間に再婚する。
すでに六十であり、七十である。
死なれた当座は嘆くことひとかたでないので、
まさかと思っていると、三回忌もたたないうちに再婚する。

俗に愛妻家といわれる人にこのことがある。
だからあてにならないと、とがめているのではない。

子供たちは去って久しくなる。
ひとりでは何も出来ない生活なのだろうと察するのである。

本心では再婚したくなくても、せざるを得ない人もあろう。
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by leilan | 2005-12-23 18:34 | 俳句

『秀句鑑賞』
  
 柔かき海の半球クリスマス  三橋敏雄


よく「俳句は自然を詠むものだ」というが、
街に流れるクリスマスソングを聴いて歳末を実感し、
テレビで『行く年来る年』を見て正月を実感する現代の日本人に、
大自然もへったくれもあったもんじゃない。

クリスマスソングや『行く年来る年』が、
わたしたちの体感する「自然」になっているのだろう。

というわけで、キリスト教と無縁な人々にとっては、
街角に並ぶケーキ売りを見て「クリスマス・イブ」を感じる日本。
今年は土曜日だから、街には主に男女のペアがあふれるのだろう。

目を転じてみると、地球規模でもクリスマスは祝祭日。

常に光と闇が半分ずつ存在するこの星。
聖なるものと俗なるものは常に表裏一体だ。

そのことを考えるのにいかにもふさわしい日なのかもしれない。

(クリスマス・冬)
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by leilan | 2005-12-23 18:13 | 秀句鑑賞


バッカスの神さまに愛されたい
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