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◇◆勘九郎、平成の勘三郎へ
中村勘三郎は、髪結新三や法界坊が当たり役といわれた昭和の名優だが、このひとが演じた仮名手本忠臣蔵の高師直(吉良上野介)は忘れられない。その憎憎しさは、小澤栄太郎の吉良上野とならんで見事な悪役ぶりだった。

勘三郎が亡くなったのは昭和63年4月。息子の勘九郎は髪結新三で三宅坂の国立劇場に出ていた。このとき、父親の当たり役だった髪結新三が、勘九郎は初役だったが大当たりで、切符がなかなか手に入らなかったことを思い出す。

髪結新三という芝居には江戸の匂いがたっぷりある。たとえば江戸なまり。これはちょっと舌っ足らずの甘えた感じがあって、親方がオヤカタではなく「オヤァッタ」となる。いまでも浅草あたりに行くと、こういう話し方をする人がいて妙に昔なつかしいが、勘三郎の魂が勘九郎に流れていると感じるのは、こうしたところだ。

その勘三郎を息子が襲名することになった。歌舞伎の世界では、主役級の花形役者は特定の血統で占められることが多い。血統というとまるで競走馬のようだが、実際、血筋のいい役者に花があるのは確か。こうしたあり方はよくいえば格式を守ることになるが、わるくいえば封建的で、多くの役者の出世を閉ざすことになる。

そういう意味では、市川猿之助という役者に注目せざるを得なくなる。猿之助は、その襲名と前後して、父段四郎と祖父翁猿を相次いで失った。二十代後半の頃だったが、その後、どの一座にも加わらず、古典の復活上演を試みはじめ、鶴屋南北の独道中五十三駅や伊達の十役を人気演目に仕上げた。さらに、ヤマトタケル、リューオー、オグリ、八犬伝など、獅子奮迅の勢いで新しい試みを繰り返してきた。

しかも、猿之助は従来の歌舞伎界のしきたりを超えて、門閥以外から笑也、笑三郎などの人材を抜擢、劇団の中心俳優に仕立て上げてきたのである。歌舞伎を古典として守ろうとする人にしてみれば、猿之助は秩序の破壊者に見えて仕方がない。しかし、歌舞伎界の活性化のために猿之助が果たしている役割、ことに人材の抜擢という面で示しているテーマは大きい。

反面、勘九郎のように、小さい頃からスターになるべくして育てられた者には、品や芸格の大きさで一日の長があるのも確かである。芸格とは人格みたいなもので、育てられ方や大きな役を演じているうちに自然と身につくものだろう。歌舞伎界の名門の子弟は、言ってみれば生まれながらにして将来の団十郎、将来の菊五郎として育つから、オーラというか鷹揚さが身につくのだと思う。それが日本人の忘れてしまった家柄というもので、その幻想が現実として通用しているところに、歌舞伎の面白さがある(のかもしれないと、根っから庶民のわたしなどは思う)

世襲制度が明確な形で示されるのが、親や親戚の名前を継ぐ襲名の儀式である。これはファンに公開され、襲名披露公演というお祭りを通じて共有される。父親が昭和の名優にして、祖父が六代目尾上菊五郎、伯父が初代中村吉右衛門という歌舞伎界一の良血・勘九郎の勘三郎襲名は、団菊にならぶ規模の襲名披露興行が打たれるであろう。

勘九郎はどんな役でもこなす万能役者だが、わたしはこの人の踊りが好きだ。「かさね」を舞ったときの勘九郎は妖艶な中にも一筋せつない女心が忍ばれ、その幽玄の美しさは地唄舞の武原はんを彷彿とさせた。

とまれ、平成の名優の誕生を心から祝福したい。中村屋ーッ!

Excite エキサイト : 社会ニュース
by leilan | 2004-11-27 23:37
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バッカスの神さまに愛されたい

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