寒月や細く脱がれてハイヒール
夢で鳴るうつつの電話日の短か
ぬばたまの闇かさねあふ息白し
仁和寺の欄干たたく時雨かな
寒そうなキリンの首でありにけり
もう30年も前のことだが、
「あなた」という歌が流行したことがあった。
その歌を街ではじめて聴いたとき、いいメロディだと思い、
すぐレコードを買って、それを聴いてみた。
旋律は通常のポピュラーよりも一段とリファインされたところがあり、
転調的な変化和音も何ヶ所かに現れて、
メロディを作った人に和音感があることがすぐに頷けた。
わたしと同い年の、ピアノの弾き語りをする少女の作曲と知り、
和音教育を受けた人ならではの曲と納得した。
ところが、惜しいことに、
歌詞を聴いて、まったくうんざりした。
小さな家を建てて、窓があってドアがあって、
古い暖炉があって、ブルーの絨毯が敷いてあって、
小犬がいて、坊やがいて・・・
そして、「あなた」「あなた」「あなた」がいて欲しい、
と絶叫するのである。
いじましい。
結局、この歌詞をわたしが好かなかった理由は、貧しさにある。
建売住宅の宣伝のような何とも陳腐でいじましいマイホーム主義などを、
どかんと一発、
ぶっ壊したところに歌はありたい、
そう感じたのである。
<あなた>
もしも私が家を建てたなら
小さな家を建てたでしょう
大きな窓と小さなドアーと
部屋には古い暖炉があるのよ
真っ赤なバラと白いパンジー
小犬の横にはあなたあなた
あなたがいてほしい
それが私の夢だったのよ
いとしいあなたは今どこに
ブルーのじゅうたん敷きつめて
楽しく笑って暮らすのよ
家の外では坊やが遊び
坊やの横にはあなたあなた
あなたがいてほしい
それが二人の望みだったのよ
いとしいあなたは今どこに
そして私はレースを編むのよ
私の横には私の横には
あなたあなた あなたがいて欲しい
それに比べて、
同時代に出た「雨のステイション」という荒井由実の歌詞は新鮮だ。
梅雨に入って、霖雨が頬を濡らす季節になると、
低い空を見上げて、
「今日もまた、荒井由実みたいな空だ」
と思ったものだ。
彼女独特のグルーミーな雨が、霧が、
ステイションを濡らし、街を煙らせ、何もかもにじませる。
ユーミンはこの時代のものしか聴いておらず、
その後、彼女がどんな歌詞を書いて来たかは知らないのだけれども。
<雨のステイション>
新しい誰かのために
わたしなど 思い出さないで
声にさえもならなかった あのひと言を
季節は運んでく 時の彼方
六月は蒼く煙って
なにもかもにじませている
雨のステイション
会える気がして
いくつ人影見送っただろう
霧深い町の通りを
かすめ飛ぶつばめが好きよ
心縛るものをすててかけてゆきたい
なつかしい腕の中 今すぐにも
六月は蒼く煙って
なにもかもにじませている
雨のステイション
会える気がして
いくつ人影見送っただろう