わたしは食通ではない。
そもそも何々の通だと言われることは、
何によらず身ぶるいするが、
うす味のよさ、などというものが、わたしにはわからない。
蕎麦も、たっぷりつゆをつけて食べる。
野暮と言われたって、そのほうがうまいのだから、
何も遠慮することはないと思っている。
たとえば、永井荷風。
家族と世間と時代そのものに無条件に反抗すると同時に、
とびきりの女好き。
それなのに女性を自分の世界に受け入れない。
結果として、遍歴を繰り返すことになる。
その皮肉が小説を書かせる原動力になったのかもしれないが、
人間同士のつながりさえ否定する超利己主義者。
荷風は世間に背を向けて生きるために、
戯作者を気取り、世捨て人となった。
これはきわめて合理的な考え方の結果であった。
利己主義は簡単に合理主義と結びつく。
荷風の日記には書かれていないが、
周囲にいた人は荷風がアメリカとヨーロッパに、
強く望郷の念を抱いているのを感じたという。
望郷の念はあったのだろう。
センチメンタリズムは確かに食事を旨くする。
しかし、荷風が涙とともに記憶の中のヨーロッパを
食べていたわけではない。
凄まじいほどの望郷の念がスイッチになって、
カツ丼の薄い豚肉の匂いと衣を揚げたクリスビーな触感、
油と玉葱の甘さを補強する下卑た砂糖が、
丼めしに沁み込んだ渾然とした味の中に、
冷静にパリの煙脂の匂いを嗅ぎ分ける
したたかさを持っていたことだろう。
そして、海老フライを脆弱な前歯で食いちぎるとき、
合理主義者の荷風は自分の中の日本と、
想念の中の西洋とを、
冷ややかに比較して楽しんだことだろう。
出勤するように街に出かけて、
蕎麦屋や洋食屋を渉猟する以外、
晩年の荷風はあばら屋ともおぼしい住家で、
七輪に乗せたアルミ鍋で野菜と醤油を入れただけの
炊き込みめしを作って食べ続けた。
どうもそれは、金を節約できる喜びであったらしい。
そうした生き方を、
笑わば笑え、とでも開き直ったような感がある。
死んだときには、
いまの金額で何億円もの貯金が残っていたのだが、
老人であっても金さえあれば生き長らえるという信念を持つことは、
本人にとってどれほどの愉悦であったことか。
その利己的な遺伝子そのままの生き方によって、
まずいものまでもうまいと感じるところまで、
わたしは至っていない。