寒月や蒼のしじまに摩天楼
梅の夜リボンほぐれてゆくごとし
はじめての嬰の寝返り日脚伸ぶ (嬰=やや、みどりご)
はじめて俳句を作ったのは、中学の国語の時間だった。
教科書にはたぶん、
<春の海ひねもすのたりのたりかな>とか、
<さみだれをあつめてはやし最上川>なんかがあったと思う。
そして、みんなも作りなさいということで、
五・七・五と指折り数えて一句を作った。
その俳句のことはすっかり忘れていたのだが、
娘と違って整理整頓のいい母が、
当時の文集や通信簿を葛篭に入れて仕舞ってあった。
ボクサーの汗の祈りや5ラウンド
たぶん、大場政夫を詠んだものだと思う。
そして、わたしはこんなコメントをしている。
日本中の人間が俳句をどんどん作ったら品切れになり、
自分が考えた句は誰かもう先に作っているんじゃないかと心配になった。
先生に言うと、無数にあるから余計な心配はするなとおっしゃった。
単純に計算すれば、イロハ47文字の17の積と考えればいいわけで、
47の17乗ということになる。
その答えは、次のような数になるという。
<2穣6647紓9365垓0696京2193兆4393億2219万2687>
日本の人口を1億人として、
その1億人が一日一万句ずつ俳句や川柳を作り続けたとして、
約73兆年かかるそうだ。
それでも、類句類想は避けがたい。
日本の春はあけぼの犬の糞
という句を三年前に作ったことがあった。
しかし、なんとなんと、
同じ句がすでに、坪内稔典氏によって作られていたのだ。
誰もが作りそうな写生句ならまだしも、
わたしなりに、ひねりにひねった句、
というよりも変な句なだけに、これには驚愕した。