春宵や羽根ペンで書く夜想曲
風船を連れカピオラニパーク往く
春出水アマゾン河にモスラ飛ぶ
上元・中元・下元の三元について話してみたい。
その前に、これを専門的に掘り下げると、
とても一夜で完結するような内容ではなくなるので、
誰が読まれても判るような簡潔な話にまとめたいと思う。
空間や時間を区切るものは何か、
という疑問を投げかけてみると、それが年月であり、
それをわれわれの前に数字で示したものが暦である。
そうなると、その裏側にひそむ暦の生い立ちと、
ふくらみを追いかけてみたくなる。
先人の書をひもといてゆくうちに、暦のもつ側面、
いやそれが本質かもしれない暦の顔に、
膨大な文化が一杯被さっていることが判ってくる。
英語の月の名前にはギリシャの神々、
週の名前には北欧の神々、
そして日本の週の名前には中国の五行など、
神話や世界観が根をおろしている。
太陽と月を、
人類が生きるうえで時間に目途としたのは当然のこととはいえ、
そこには天体を探る長い努力の歴史があった。
天文や神話、宗教、民族などという人類が歩んできた知恵の結晶が、
そのまま暦の歴史として今日に伝えられてきたのである。
暦は、人類の偉大な文化遺産である。
中国では<天・地・人>を三元といい、それが思想の核になっている。
また、老子も「道は一を生じ、二を生じ、三は万物を生ず」といっている。
もともと<一>は絶対に不変で、
万物の根源だという意味で人類にとらえられ、
<二>は一に対して、対立する世界と考えられてきた。
それに対して、<三>は二つの対立を超越してできあがった完全な調和で、
それが聖数<三>を生み出したのである。
この三元の一つ一つは、<六十干支>であり、
十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と、
十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を
組合せてつくった一つのサイクルで60進法の世界である。
ゆえに、一元は60年で、上中下の三元で180年となる。
その根拠にはさまざまな解釈があるが、
わたしは、木星の公転周期12年と土星の30年の影響、
つまり最小公倍数の60年が、
世界情勢の波の動きに関連していると考えている。
さらに、三元の180年は太陽の周りを地球が一周して元に戻る、
その180年なのだろうと推察している。
十干と十二支はそもそもが日や月を数えるのに使われた数詞で、
確かなところでは、すでに殷の時代には使われている。
中国では、満月望から望まで、すなわち15日から15日までの、
月の形の変化する30日間が一つの周期で、
それを一つの単位として一ヶ月が生まれたわけである。
太陽を1日とし、月を1ヶ月とする単位を生み出したのは、
黄河流域でも、チグリス・ユーフラテス流域でも変わりない。
月はメジャー(尺度)だったのである。
(ちょっと突発事態があって出かけてきましたが・・・読み返してみると、
誰が読んでもわかるような内容で、と申したわりには、
誰が読んでも判らないような内容で、自己嫌悪になります。あーあ。
こういう専門的な話を噛み砕いて簡潔にするのは、難しいですねぇ)
ということで、はしょります(眠くなってきたせいもござります)
三元を近世に当てはめると下記のようになる。
上元 1864年~1923年(元治元年~大正12年) 甲子一白
中元 1924年~1983年(大正13年~昭和58年) 甲子四緑
下元 1984年~2043年(昭和59年~60年後) 甲子七赤
そして、この三元にはそれぞれ時代としての特徴があるとしていて、
上元 政治・思想変革の時代
中元 文化・技術変革の時代
下元 経済・金融変革の時代
と、大まかな分類をしている。
そして、それぞれ新しい時代がはじまる12、3年前から、
次の時代の伏線となる動きが台頭してくる。
たとえば、昭和59年からはじまった下元・経済と金融の変革は、
その伏線として、昭和46年のニクソンショック、
その後の、スミソニアン協定の崩壊とドル変動相場制への以降、
昭和48年のオイルショックなどがあげられるであろう。
そして、われわれは、昭和59年からはじまった下元の時代にいて、
経済と金融の大きな変革を経験しているわけである。
下元の時代にはもうひとつ特徴があって、
世間や他人に気兼ねのない、のんきな時代ということがいえる。
180年前にタイムスリップすれば、それは家斉公の時代である。
あの時代を一言で申すなら、まさに放漫な政治の時代で、
武士も町人も派手でぜいたくな暮らしを繰り広げた時代だった。
このことは、文化文政の華やかな文化を生み出すもととなったが、
家斉の政治にはたいそう費用がかかり、
幕府の財政は苦しくなる一方でもあった(現代と似ている)
しかし、華やかな化政期の暮らしは、
天保4年に東北から関東一帯を襲った大飢饉によって、
一転して暗い苦しいものに突き落とされる。
この天保の大飢饉を現代に当てはめると、
いまから8年後の2013年がその年になる。
この2013年は<癸巳五黄>となるので、
現象としては、大きな風水害といった天変地異が起こりやすい。
そして、それに伴う食糧難ということになろうか。
180年前は、これが大塩平八郎の乱や、
老中・水野忠邦の天保の改革へとつながっていった。
そして、次の上元がはじまる2044年の10年前、
つまり、2033年頃には、ペリー提督みたいな人がやってくるのかもしれない。
そうして、政治と思想変革の時代に突入していくことになるのだろう。