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Amish Girl Days

It's been a long time.

PCと無縁の時空は、不思議なことに快適だった。

スティーブンにこの思いを洩らすと、
彼はシニカルに笑い、
Amish Girl
とのたまった。

Amish

17世紀のスイスの牧師 Jakob Ammann が創始したメノー派の一分派。
主に、18世紀にアメリカへ移住したプロテスタントで、
現在はペンシルバニアなどに居住。
電気・自動車を使用しないことや兵役拒否、
きわめて質素な服装などで知られる。

PCなんかいじらない女のことを、
アメリカのインテリゲンチャはいささかの揶揄を込めて、
" Amish Girl "
なんて、からかうのだが。

とーころが、ぎっちょんちょん。
Amish Girl の日々はまことに快適で、
一時は憎悪したスパイウエアにちょっぴり感謝もしたりした。

ケント君の話では、
700種以上のスパイウエアが居座っていたらしいが、
ケントとメラニー、ディスカバリー紅子の尽力で、
愛機「すもも」は無事生還した。

このまま Amish Leilan でいるのもいいな、なんて思ったが・・

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揺すぶられましたよ、みなさんのコメントに!

ありがとう。

もう一度、ありがとう!
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# by leilan | 2005-04-09 10:00 | ハワイ身辺雑記

スパイウェア襲撃!
ご無沙汰いたしております。

わたしのコンピューターがスパイウェアの襲撃(笑)を受けまして、
昨週からログインできない状況が続いています。

既存の駆除ソフトが効かないほど強烈みたいです。
どうぞ、みなさんもお気をつけくださいませ。

取り急ぎ、ご連絡まで。
# by leilan | 2005-02-23 08:29

俳句  さみしさはきつと鞦韆より生る

おぼろ夜の所在のなくて猫起す

さみしさはきつと鞦韆より生る    (鞦韆・しゅうせん=ぶらんこ)

碧空を映してふうわりしゃぼん玉



子供というものは、どうかした瞬間に、
とてつもないことを考えつくものである。

<でんでんむしむし、かたつむり>
の唱歌を思い出すたびに、
小さいときに、この歌を知ったときのことを思い出して、
いつも一人で笑いを噛み殺すのだ。

子供のころ、近所に知ちゃんという子がいて、
いつもわたしと知ちゃんは一緒に遊んでいた。
知ちゃんの方がわたしより一つ年上だった。

ある日、一緒に木登りしていたら、
いい歌を教えてやる、と言って、
題は<りむつたか>って言うんだ、と知ちゃんは得意だった。

りむつたか、って何のことなの、と訊いたわたしに、
いまに判るよ、大きくなったらね、と先輩ぶって、
木の上でレッスンがはじめられた。

  んでんでしむしむ りむつたか
  えまおのまたあは こどにるあ
  のつせだりやせだ またあせだ

という歌をわたしは覚えさせられた。

子供のころの記憶は妙に鮮明に残るもので、
わたしは今日でも、何かするとこの呪文唱歌を思い出し、
歌っている自分に気付いて、可笑しくなる。

その後、中央公論社から出た<日本歌唱集>に、
明治期の文部唱歌には、
何らかの形で訓育的な意図が付されていたが、
この歌にはそれがなく、そこが良いと記されていた。

なるほど、子にとって蝸牛の面白さが、
そのまま歌われているところに、
この唱歌がいまなお子供たちに歌われる理由がありそうだ。

が、わたしにとっては、知ちゃんが木の上で教えてくれた、
♪んでんでしむしむ りむつたか
これが、正調<かたつむり>よりも尊い、
変調<りむつたか>なのである。

知ちゃんは家業を継いで、和尚さんになった。
ひょっとしたら知ちゃんのことだから、
お経を引っ繰り返して唱えていないとも限らない。
# by leilan | 2005-02-17 21:42

俳句  風船を連れカピオラニパーク往く

春宵や羽根ペンで書く夜想曲

風船を連れカピオラニパーク往く

春出水アマゾン河にモスラ飛ぶ



上元・中元・下元の三元について話してみたい。

その前に、これを専門的に掘り下げると、
とても一夜で完結するような内容ではなくなるので、
誰が読まれても判るような簡潔な話にまとめたいと思う。

空間や時間を区切るものは何か、
という疑問を投げかけてみると、それが年月であり、
それをわれわれの前に数字で示したものが暦である。
そうなると、その裏側にひそむ暦の生い立ちと、
ふくらみを追いかけてみたくなる。

先人の書をひもといてゆくうちに、暦のもつ側面、
いやそれが本質かもしれない暦の顔に、
膨大な文化が一杯被さっていることが判ってくる。

英語の月の名前にはギリシャの神々、
週の名前には北欧の神々、
そして日本の週の名前には中国の五行など、
神話や世界観が根をおろしている。

太陽と月を、
人類が生きるうえで時間に目途としたのは当然のこととはいえ、
そこには天体を探る長い努力の歴史があった。

天文や神話、宗教、民族などという人類が歩んできた知恵の結晶が、
そのまま暦の歴史として今日に伝えられてきたのである。
暦は、人類の偉大な文化遺産である。

中国では<天・地・人>を三元といい、それが思想の核になっている。
また、老子も「道は一を生じ、二を生じ、三は万物を生ず」といっている。

もともと<一>は絶対に不変で、
万物の根源だという意味で人類にとらえられ、
<二>は一に対して、対立する世界と考えられてきた。

それに対して、<三>は二つの対立を超越してできあがった完全な調和で、
それが聖数<三>を生み出したのである。

この三元の一つ一つは、<六十干支>であり、
十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と、
十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を
組合せてつくった一つのサイクルで60進法の世界である。
ゆえに、一元は60年で、上中下の三元で180年となる。

その根拠にはさまざまな解釈があるが、
わたしは、木星の公転周期12年と土星の30年の影響、
つまり最小公倍数の60年が、
世界情勢の波の動きに関連していると考えている。

さらに、三元の180年は太陽の周りを地球が一周して元に戻る、
その180年なのだろうと推察している。

十干と十二支はそもそもが日や月を数えるのに使われた数詞で、
確かなところでは、すでに殷の時代には使われている。

中国では、満月望から望まで、すなわち15日から15日までの、
月の形の変化する30日間が一つの周期で、
それを一つの単位として一ヶ月が生まれたわけである。
太陽を1日とし、月を1ヶ月とする単位を生み出したのは、
黄河流域でも、チグリス・ユーフラテス流域でも変わりない。
月はメジャー(尺度)だったのである。

(ちょっと突発事態があって出かけてきましたが・・・読み返してみると、
 誰が読んでもわかるような内容で、と申したわりには、
 誰が読んでも判らないような内容で、自己嫌悪になります。あーあ。
 こういう専門的な話を噛み砕いて簡潔にするのは、難しいですねぇ)

ということで、はしょります(眠くなってきたせいもござります)

三元を近世に当てはめると下記のようになる。

上元 1864年~1923年(元治元年~大正12年) 甲子一白
中元 1924年~1983年(大正13年~昭和58年) 甲子四緑
下元 1984年~2043年(昭和59年~60年後)  甲子七赤

そして、この三元にはそれぞれ時代としての特徴があるとしていて、

上元 政治・思想変革の時代
中元 文化・技術変革の時代
下元 経済・金融変革の時代

と、大まかな分類をしている。
そして、それぞれ新しい時代がはじまる12、3年前から、
次の時代の伏線となる動きが台頭してくる。

たとえば、昭和59年からはじまった下元・経済と金融の変革は、
その伏線として、昭和46年のニクソンショック、
その後の、スミソニアン協定の崩壊とドル変動相場制への以降、
昭和48年のオイルショックなどがあげられるであろう。

そして、われわれは、昭和59年からはじまった下元の時代にいて、
経済と金融の大きな変革を経験しているわけである。

下元の時代にはもうひとつ特徴があって、
世間や他人に気兼ねのない、のんきな時代ということがいえる。

180年前にタイムスリップすれば、それは家斉公の時代である。
あの時代を一言で申すなら、まさに放漫な政治の時代で、
武士も町人も派手でぜいたくな暮らしを繰り広げた時代だった。

このことは、文化文政の華やかな文化を生み出すもととなったが、
家斉の政治にはたいそう費用がかかり、
幕府の財政は苦しくなる一方でもあった(現代と似ている)

しかし、華やかな化政期の暮らしは、
天保4年に東北から関東一帯を襲った大飢饉によって、
一転して暗い苦しいものに突き落とされる。

この天保の大飢饉を現代に当てはめると、
いまから8年後の2013年がその年になる。
この2013年は<癸巳五黄>となるので、
現象としては、大きな風水害といった天変地異が起こりやすい。
そして、それに伴う食糧難ということになろうか。

180年前は、これが大塩平八郎の乱や、
老中・水野忠邦の天保の改革へとつながっていった。

そして、次の上元がはじまる2044年の10年前、
つまり、2033年頃には、ペリー提督みたいな人がやってくるのかもしれない。

そうして、政治と思想変革の時代に突入していくことになるのだろう。
# by leilan | 2005-02-16 16:13

俳句  酔ひ醒めや背中に感じ入る余寒

薄氷を舐めて猫くる勝手口     (薄氷=うすらい)

酔ひ醒めや背中に感じ入る余寒

もの忘するたびふり仰ぐ春の雲



会社勤めをしていて、いちばん辛いのは上司とうまくいかないときだ。
これは、わたしにも経験がある。
<奥飛騨慕情>の松本ボスは部下にとことん任せるタイプだった。
こういうタイプは部下を育てるのがうまい上司だと思う。

ところが、松本ボスの後任になったTボスは、
何でもかんでも自分でやらないと気がすまない。
いわゆる、部下に任せられないタイプだった。
しかも、わたしが女だということで、信頼がおけなかったらしい。

まだ、均等法なんか出来る、いわば夜明け前の時代だったが、
わたしは大卒ということで男たちと肩を並べて仕事していた。
とは言え、必要があればお茶汲みもするし、
留守の同僚の電話もバンバンとる。
そこに、なんたらかんたら、こだわるようなタマでもない。
仕事は生き物だ。

ところがTボスは、新規のプロジェクトからわたしを外した。
これには、さすがに同僚の男たちが抗議してくれたが、
Tボスは「女に出来る仕事ではない」と、頑固に譲らなかった。

すっかり意気消沈したわたしを見て、当のTボスが、
「まさか、れいさん、自殺しないだろうな」
と心配しているのを、同僚から伝え聞いて、
「自殺するくらいなら、相手を殺しますがな。丑の刻参りって効くらしいよ」
なんてほざいておいたが、
Tボスは、この冗談をどうもまともに受け取ったとみえて、
わたしはすぐに配置転換させられた。

正直に伝えた同僚もTボスを嫌っていたので、
「れいさんは、市谷八幡神社の氏子だそうです」
なんて、五寸釘をちらちらさせるようなことを言っちゃったらしい(爆)

でも、わたしは配置転換させられたお蔭で、
組織の中で多少の辛酸もなめ、
これはいい経験だったと、いまも時おり振り返ることがある。

そしてわたしは根が勝手者の猫で(会社では猫をかぶっていたが)
忠犬にはなれぬ人間だということが自分で判っていたので、
その後円満に退社して、フリーランスとなった。

以来、勤め人を辞めたとこを一度も悔やんだことがない。
どんなに苦しい場面に遭遇しても、フリーランスでよかったなと思う。

上司と折り合いが悪いと、神経を病んだり、ときには自殺する人がいる。
会社での上下関係を絶対視すると、不幸な結果になる。
上司だからといって、なにも特別に尊敬することはない。
「しゃーない上司に当たったな」
と思っていれば気がラクだ。

それはほかの人間関係も同じで、どの世界にもある。

実の母親と相性の悪い人から、
「母をブタだと思うわけにはいかないし・・・」
と相談を受けたので、
「しょうがないから、ブタだと思えば」
とアドバイスした。

会社では人事異動があるから、
「それまでの期間はしゃーない」
と思えばいい。
しかし、その気持ちは見せないのがコツだ。

過激な手段をとるのなら、
会社だったら転職する、結婚相手だったら離婚する、
実の親の場合は遠隔地へ逃げる、担任だったら転校する。
しかしこういったことは冒険で、うまくいくかどうかはわからない。

わたしは自分の人生経験から、他人とは幾分距離をおいてつき合う。
ところが、この匙加減が下手というか、むやみに情熱的な人は、
上司に対しても思い入れが強く、忠実な部下になる。
忠実であればあるほど、欲求不満が蓄積する。
だからいったん関係がまずくなると、相手を怨んだり、
決定的に喧嘩別れしたるする。

人づき合いがダメだと言う人は、得てして、
他人は信用できないと攻撃ばかりしている。
他人を攻撃するのは自分を攻撃するのと同じだ。

人間はさまざまで、他人は思うようにはならない。
また、相手に過度な欲求をもつから、また腹も立つ。

まあ、人間関係のトラブルというのは運・不運のところがあるさ。
しょうがないね。
# by leilan | 2005-02-15 19:01


バッカスの神さまに愛されたい

by leilan
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