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俳句  焼芋や手をぬくめゆく神楽坂
ネクタイの一瞬に抜く音冴ゆる

焼芋や手をぬくめゆく神楽坂

お七にもなれず米研ぐ寒夜かな


この世で一番はじめに覚えた漢字は<命の母>だった。

母が飲んでいたのか、あるいは祖母が飲んでいたのか、
もう記憶にないのだが、あのパッケージは妙に懐かしい。
そういえば、お姫様マークの中将湯というのもあった。

高校の同級生だったイメルダは更年期真っ盛りだ。
こういうものは多少の個人差があるようで、
わたしには未だ自覚症状がない。

少し老眼になったかなとは思うが、
老眼鏡がなくても字の読み書きに差し障りはない。
白髪も、髪を掻き分ければ7本くらいはあるだろうが、
今のところ、群生の兆しはない。

しかし、イメルダは、
子供産んでないからって、あんた、いつまでも若いと思うなよ、
来るよお、変わるわよー、タアーーーッとか言って、
いたいけなわたしを脅しまくる。

そう言われると、一瞬、ドヒャーと思うんですけど、
てやんでえ。

しかし、
わたしには女として欠落しているものがあるんじゃないか、
時にそんなことも思う。

二十代後半に差し掛かっていた頃、
女友だち四人で法師温泉に行ったことがある。
高峰三枝子と上原謙の国鉄フルムーンのCMで、
一躍全国的に知れ渡った温泉だが、
うちのジジババは昔からこの温泉を贔屓にしていた。

だから、CMに使われたあの湯は混浴で、
女専用風呂は八畳間くらいの小さい湯だということも、
ガキの頃から知っていた。

ところが、お風呂場に行ったら後の三人は、
キャッ! 混浴! ヤダーーー!

と大騒ぎするので、
コンタクトレンズはずしたら平気、平気よ、
なんてなだめすかした途端、

れい、あんた恥ずかしくないの!
なんて、食ってかかるのだ。

全然平気、べつにオッパイが三つついてるわけじゃないし、
あ、なんだったら、黒いマジックでパンツとブラジャー描いたら~

れい、
あんた、変、
絶対、変よ。
女として大事な何かが欠落してる!

と言われてしまった。

あれから二十年余り、
ずっと、この一言が心にひっかかっているのだ。
# by leilan | 2005-01-25 20:35

俳句  かけそばや駅から見ゆる冬の山
静脈のひろがる木々や春を待つ

かけそばや駅から見ゆる冬の山

君が肩に声染みつけし寒夜かな


日常、お惣菜を作り、好んで食べている。
周囲からは玄米菜食を薦められているのだが、
ストイックに傾き過ぎているようで、今いち乗り気になれない。

マクロビオティック(日本正食方)は、
そもそも日本人がアメリカで広げたもので、
基本はオーガニックの玄米菜食である。

友人の説くところによると、
その目的は、病気を治すのみならず、
心の平安を勝ち得て、
世界平和を目指す!

と、何やらバークレー発祥のヒッピー文化を彷彿とさせる。

人間は、おなかの中にいるときと授乳期に、
すでに一生分の動物性たんぱく質を、
お母さんの体液から摂取しているので、
もう必要ないということらしい。

で、お肉は健康に悪いだけでなく、
食べることが<共食い>の思想に繋がっている(?)
しかも、牛ちゃんなんかは人間に生態系が似ているので、
食べると競争心や征服欲が強くなって、
それが戦争を引き起こしている(そんな決め付けちゃっていいのかぁ?)

ま、確かに実践者のお一人である財津和夫さんなんか、
お若い頃と打って変わり、穏やかなオーラに包まれておいでだ。

玄米を食べるということは、
ホールフード(粒餌)をまるごと食べるという教えらしい。
で、<WHOLE FOODS>といえば、
ニューヨークはソーホーにある元祖自然食品の店でもある。

この十年くらいで、
自然食品店は全米に広がり、
ホノルルには<DAWN TO EARTH>がある。

ここのパンは、
ビタミン、ミネラル、食物繊維のたっぷりと入った全粒粉パンで、
噛み締めて食べるとおいしい。
が、パンは自分で焼いて食べるのがうまいと思う。

「ナチュラル&オーガニック」は、
アメリカでススンでいる人たちの合言葉みたいなもんだ。

自然食のスーパーを覗くと、
日本で自然食を頑張りすぎて、
逆に病気っぽくなっちゃったような人は皆無で、
知的な雰囲気をただよわせたカッコイイ大人や、
ヒップな若い子たちでいっぱいだ。

しかも、日本の自然食のようにバカ高くない。

まあ、少し研究してみようか。
# by leilan | 2005-01-24 11:55

俳句  付かぬこと伺ひますと冬帽子
神なくて祈る姿のうつくしき

付かぬこと伺ひますと冬帽子

惜しみなく冬の金魚やフラダンス


アメリカ人の意識というのは、
ものごとを区別することから始まる。

ゆえに、神話を見れば天と地が分かれたとか、
光と闇が分かれたとか、
何もかも一つのことが二つに分かれていくという展開になっている。

区別することが意識の始まりで、
区別することを徹底的に洗練させていくことによって、
アメリカの文化はできている。

その背後にあるものは、
神と人間は違う、
人間とほかの被創造物は違うという非常に明確な区別である。

そして、人間同士にも区別があるわけで、
つまりは、英語の一人称には「アイ」しかない。
これは、わたしとわたし以外の他を区別する存在の単位なのだ。

ところが、日本は関係が優先するので、
「わたし」「おれ」「ぼく」「わし」「おいら」など、
お互いの関係性によって一人称を使い分ける。

アメリカ社会に暮らすようになって、
実は、これがいちばんのカルチュア・ショックだった。

アメリカ人が「I want」なんて言うときは、
まさに自分が欲しいものを言っているわけだが、
わたしなど、そんなふうに育てられていないので、
すぐ周りの空気を読んでの「I want」なのだ。

つまり、それまでのわたしは、
区別しないことを鍛錬して来たわけで、
仏教文化とは、アメリカ文化のまったく逆だと思う。

たとうれば、
親しき仲であれば何もしゃべらなくても、
「うん、わかるわよ」
というところがあって、
それが、女の気働きというものだと、
祖母や母から薫陶を受けて来たのだ。

アメリカ人が区別の意識を鍛錬して育つのとは逆の、
区別しない方の鍛錬を積み上げて来たわけだから、
最初は、慣れなくて本当に参った。

アメリカ人に対しては、どんな親しい仲でも、
「こうして欲しい。ああして欲しい」
と、意思表示をしなければ何もはじまらない。

そして、仏教の考え方を単純明快に一言で申すなら、
区別のない方に鍛錬して、
ものごとの境目がどんどん無くなっていって、
結局はすべてが一緒になる。
自分は宇宙と一体だとか、
宇宙は一つだとか、
そちらの方の体系を構築して来たのが仏教の考え方だ。

ま、だいたい、いつもアメリカ人にそんな説明をしているのだが、
「なるほど、日本はそうなのか」
と、アメリカ人も一応は頷いてくれる。

で、気がつけば、
わたしもアメリカ的区別文化に慣れて来て、
「強いですね」
なんて日本人の方たちから言われるのだが、

大和撫子のやさしさは失っていない。

つもりだ。



が。
# by leilan | 2005-01-23 23:54

俳句  麦は芽に男は風になりにけり
やはらかき風呂吹き大根あわわわわ

麦は芽に男は風になりにけり

乳房も花びら餅もうすあかり


前に森田療法の本を読んんでいたら、
相談に来た人が、
これこれの事情である男を殺してしまいたいと思うんだけど、
そう思うのが後ろめたい、というふうなことを言う。
すると、相談された人が、

それは気分です。気分というのは過ぎ去るんだから、
そのままにしておきなさい。
別にいいとか悪いとかは思わないようにして、
気分があるんだということを認めていれば、
それでいつかは変わりますよ。

と答えているのを読んで、非常に感心したことがあった。

わたしは、人を殺したいと思ったことはないが、
しかし、そうした気分というものは、
日常生活でしょっちゅう起こるものだ。

夫婦や恋人同士がけんかをすれば、
もうそれこそ別れたいと思う。
上司や同僚と軋轢があれば、
こんな会社やめてしまいたいと思う。
周囲から差し出がましい口をはさまれれば、
なんだこの人と思う。

感情というものは意識化されているわけで、
悲しいとか、腹が立つとかいうように言葉にできる。

ところが、それ以前の動き、
名前の付けられない動きというものがある。
それを勝手にエモーションと呼ぶとすれば、
心の中ですごいエモーションが動くときがある。

やがてそれが意識化されてきて感情になっていく。
そして、さらに洗練されていくと、
いろんな表現の筋道ができたり、
インテグレーション(統合)が行われる。

たとえば夫婦であれば、
別れてしまいたいという感情と、
長い間一緒にやって来たんだから、
いまさら別れることもないか、
といった相反する感情が全体として統合されていく。

このエモーショナル・インテグレーションが、
前述の森田療法のアドバイスにある、
気分というものは過ぎ去るんだから・・・
ということであるのかもしれない。

これが出来ている人というのは、
非常に強いし安定感があると思う。

そして、わたしの俳句はたぶん、
エモーショナル・インテグレーションの一方法で、
そもそも、俳句との出会いは精神病院であった。

友人の娘が一時期、神経を病んで入院していたことがあった。
母親である友人とこの娘の関係がギクシャクしていたこともあって、
よく娘が、わたしにSOSの電話を入れてくるので、
うちに預かったりもしていた。

で、もう大丈夫かなという頃に家に戻すと、
またSOS・・・ということを繰り返しているうちに、
とうとうひどい鬱状態に陥ってしまって入院。
その病院に俳句クラブがあった。

主治医に伺うと、
俳句でも短歌でも、あるいは日記でも、
感情を言語化する行為は自己治癒力になるのだという。

そう考えると、ブログを書くという行為も、
我々は知らず知らずのうちに、
エモーショナル・インテグレーションを行っているのかもしれない。

ところが、この過程で失敗することもあるのだという。
それは、ネガティブな感情を抑えようとするあまり、
悲しいのに、無理して悲しくない、なんて思い込もうとする。
悲しむことに悪の概念がひっついてしまっているので、
悲しくないと、思い込もうとするのだ。

そういう感情が抑圧されて溜まると、
いつか、洗練されない形でダーッと出て来て、
非常な破壊力へとなっていく。
それが怖い。

だから、ネガティブな感情も、
あるものはあるものとして受け入れていく。
その方が、全体としてのインテグレーションが、
うまくいくんじゃないかと思う。
ネガティブな感情も、ポジティブな感情も、
同時に働かせながら、
どう全体として統合させていくかが大事なのだろう。

もう30年以上も前に観たテレビが忘れられない。
画家の司修さんと童話作家の松谷みよ子さんが、
<カラスになった坊さま>という絵本の話をしていた。

この絵本は、松谷さんが終戦後に、
信州の田舎で聞いた話が、きっかけになっている。

戦前はカラスが物凄くたくさんいたのに、
終戦後、急にいなくなった。
「どうしていなくなったんだろう」と訊ねると、
あるおばあさんが、
「あれは坊さんになって南方にお弔いに行った」
と話してくれる。
みんな、南方で息子とか夫をなくしている。

それを聞いて、松谷さんは非常に感激したという。

それから、東北へ行ったら、
そこでもカラスが急にいなくなっていて、
「あれはシベリアへお弔いに行ったんだよ」
と言う。
東北のその辺りの人々はシベリアで死んでいるのだろう。

ひとつも論理性などないのだが、
昔の民衆の感情としてぴったり来るものがあるし、
そういう意識化というものは、
人を悲しみから救うのではないか。
普通に生きるための心のクスリのような気がするのだ。
# by leilan | 2005-01-22 20:15

俳句  声あげて泣く若さ欲し寒昴
はればれと海ありにけり日脚伸ぶ

声あげて泣く若さ欲し寒昴

太郎次郎胸につららの鳴つてをり


歌舞伎座二月公演夜の部の演目に、
森鴎外原作の<ぢいさんばあさん>を見つけた。
筋に曲折のないサラリとした短編だが、
宇野信夫がこれを脚色し、
わたしは、先代仁左衛門の伊織、
先代鴈治郎のるんで観たことがある。
鴎外の原作と同様、凛とした気品のある舞台だった。

るんは安房国の由緒ある家の娘で、
十四のとき江戸へ出て、
さる大名屋敷に十四年奉公した。

御殿から下がったときは二十九歳、
当時の常識ではとうに婚期を逃していたが、
彼女はなるべく御旗本の中で相応の家へ嫁に行きたいと言った。
世話する者があって、
旗本、美濃部伊織と結婚した。
伊織は三十歳だった。

るんは必ずしも美貌ではなかったが、
単に綺麗なだけの女にはない美しさがある。
大柄だから押し出しがいい(無重力さん好み)
目から鼻へ抜けるように賢く、
眉や目の間にその才気が溢れている。
ぼんやりと手を明けているということのない女で、
つまり働き者であった。

仲人が立ってアレンジしたハイミスOLとサラリーマンの結婚というわけだ。
現代の娘はそんな他人の仕組んだ結婚はヤダ、
まず恋愛して、できれば婚前交渉もして、
相手を知ってから結婚したいと願うだろう。

だが、自分は自由だと信じ込んでいる現代人も、
その実は知らず知らずのうちにマスコミに操られたりして、
自惚れるほど決して自由ではない。

むしろ、るんの方が現代女性よりも能動的である。
自由である。
結婚したいと自分から言い出し、
当時の常識に則って相手を発見したのだから。

彼女の結婚は成功だった。
鴎外はその成功のさまを、ごく簡潔に書いている。

  るんはひどく夫を好いて、手に据えるように大切にした。

  伊織は好い女房を持ったと思って満足した。

鴎外は、<ひどく夫を好く妻>と<妻に満足した夫>のカップルを、
夫婦として最高のものと観じていたらしい。
わたしもまた、結婚の幸福は煎じ詰めればそこにあると思っている。

るんは、夫の老いた祖母にもよく仕えた。
少し気の短かった伊織は、
やさしい妻を得て癇癪が出ないようになった。

女は決して完成してしまった男と結婚するわけではないのだ。
夫は概して欠点の多い青年だが、
若いがゆえにフレキシブルであり、妻によって育つ。
妻は子を生んで育てるだけでなく、夫をも育てる。
 
女とは<育む(はぐくむ)性>である。

二人は新婚生活を仲良く過ごした。
るんは妊娠した。
ところが、ちょうどるんの臨月に異変が起きた。

伊織に京都検番の命令が出たのである。
サムライのことだから、むろん単身赴任だった。
そして赴任先の京都で事件があった。

寺町通りの刀屋でいい差料を見つけたが、金が足りない。
そこで伊織は同僚の下島某から三十両を借りて買った。
親しい友を二、三人呼んでささやかな宴を催し、
手に入れた刀を見せたが、
そこに下島某が乗り込んで来て、
「俺から金を借りておきながら招かないとは何事か」
と嫌味を言った。
瞬間、伊織は癇癪を起し、下島を斬った。

斬られた方にも咎があったとはいえ刃傷である。
伊織は知行召し上げの上、
越前の某大名家に、永の御預けとなった。
今日の無期懲役ないし不定期刑に当たる。
夫婦は、生きて再び会えないことになった。

るんが嘆き悲しんだ様子を、鴎外は書いていない。
鴎外の好みで書かなかったのではなく、
当時の妻は夫との永別を、
他人の前で嘆き悲しまなかったからだろうと思う。

昔の日本女性は運命に素直だった。
男もそうだった。
それは運命への卑屈な忍従ではない。
昔も今も、人は運命に逆らうことはできないのだ。
運命に逆らって叫び、足掻き、
これは人災だと言い張るのは、
賢い人のすることではない。
英語の諺にも、こぼしたミルクを嘆くな、と言う。

江戸の美濃部家では祖母がまもなく死に、
次いで父の顔を知らず生まれた嫡男が天然痘で死んだ。
るんは一人になった。
それでも、彼女は生きていくための強い意志を失わなかった。

奉公口をさがして、
るんは黒田家の屋敷に目見えに行った。
運命を甘受する素直さと、
生きていく強い意志が眉宇に漲っていたからだろう。
黒田家は一目見て彼女を雇った。
るんは以後三十一年、同家に仕えた。

夫婦が生き別れてから三十七年目に、
伊織は許されて江戸に戻った。

伊織もるんも総白髪になって、お互いのことが判らない。
しかし、夫が鼻をこすったその癖、その仕草で、
るんは、その人が伊織であるこに気づく。

二人は新婚のときのように仲睦まじく、
伊織の弟が建ててくれた隠居所で暮らした。

運命に素直なことは、
決して漫然と流されることではない。
それは強い覚悟と表裏一体になっていなければならない。
るんの謙虚と毅然の間から、香り高い気品が立ち昇る。

わたしには、とてもるんの賢さはないが、
るんから学ぶことは多い。
# by leilan | 2005-01-21 19:18


バッカスの神さまに愛されたい

by leilan
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